候補
私たちが大陸へ渡ってから一週間が経過した。スズちゃんの手がかりとして浮上した宋宇然はやはり邪教の根城にいるらしく、彼の家を何度か尋ねてみたが誰も出なかった。地主に頼んで鍵を開けてもらうともうしばらく帰ってきていないのがわかるほど薄く埃が積もっており、またふりだしかと肩を落とす私に父は「そんなもんだ」と笑った。
正直父のことを思えば早く帰りたいところではある。あの後問いただしたがやはり緋紅が煎じた薬で回復したらしい。けれど朝晩あの煎じ薬を飲まなければならない上に、夜になるとどうしてもぼーっとして何も手につかない様子なのだ。おかげで限られた場所を回るほかなく、この町からも出られない。
「それじゃあおやすみ」
「……」
気のせいじゃなければ父は日に日に弱っている。今も私が声を掛けたのに気づいていないようだった。理由はわからないけれどもしかしたら土地が合わないのかもしれない。
————パパにはご先祖様の加護があってね、そのおかげで人とは違うものが見えるんだ。
以前父が言っていた言葉が脳裏をよぎる。
もしそれが本当ならこの地の土地神に目を付けられた可能性がある。以前一度だけ父が高熱を出した時もそうだったから。とはいえここまで弱ったのは初めてだし不安ばかりが募っていく。異国の文化を完璧に解すことなどできないしそれが神ともなればより私達の常識は通じないだろう。もしこのまま衰弱していけば遠くない未来に父は私の前から姿を消してしまうかもしれない。降って湧いた別れの恐怖が心をべったりと塗りつぶしていく。
しばらくの間父の部屋のドアを見つめていたが結局どうなるものでもないと部屋に戻るべく踵を返した。
「ねえちょっといいかしら」
突然低く潰れた声がして振り返れば初日に木佐貫さんと一緒だった派手な女性が立っていた。彼女はアイシャドウのたっぷり乗った瞼の隙間から覗くブルーのカラーコンタクト越しに私をじっと見つめている。今まで接点などなかった彼女の接触に警戒するように間合いを取る。そんな私に腹を立てるでもなくめんどくさそうにするでもなく淡々と彼女は私に質問を投げかけた。
「アンタ、人探ししてるんだろう?」
「ええ、まあ」
隠す理由も無いので認めれば目の前の性別不詳のその人は私の部屋に押し入った。
混乱して部屋のドアより一歩入った場所で固まっているとその人は「やだ良い部屋じゃない、ここにすればよかった」なんて部屋を物色し、やがてソファにどかっと腰を落ち着けた。
「煙草良い?」
「禁煙です」
「……じゃあ仕方ないわね。手短に済ませるわ」
咥えた煙草をライターを持った右手で外して箱に戻すと彼女はようやく自分の身分を明かすに至った。
彼女はキャシーと名乗った。元はここの出身で彼女も人を探しているらしい。木佐貫さんとはその道中で出会いお互いのために協力しているのだという。彼女の尋ね人の目撃証言を集めていた時に偶然私たちの話を聞いたという。
「私が探しているのはアンタたちが探しているのと同じ人物よ」
「……宋宇然ですか?」
「ん、目的は言えないけれど絶対に見つけ出したいの」
そう言った彼女はどんな表情をしているのだろう綺麗に手入れされたプラチナブロンドが揺れる。彼女は立ち上がるとテラスに出てようやく振り返った。
「ここでなら吸っていいかな?」
はにかんだ顔は月明かりに照らされて切ないほど美しかった。
二人の関係はわからないけれど今協力者が現れるのは私にとっては願ったりかなったりだった。スズちゃんの捜索範囲を広げられるし父に無理をさせなくて済む。ただ木佐貫さんも彼女もどこまで信用してよいのかわからず結局明日までに答えを出すということで出て行ってもらった。
「はぁ、どうしたらいいんだろう」
ベッドに寝転んで頭を悩ませる。解決のためには勢いも大切だ。それでもあと一歩の勇気が踏み出せない。
“だからお前はダメなんだ”
嫌いな声が頭に響く。そう言った男は今どこで何をしているのだろう。いつものようにクーラーの効いた室内でスケープゴートを詰っているのだろうか。
“俺が残っているのにもう帰るつもりか”
終電の時間に言われるその一言が苦痛だった。あの日の前日もそうだった。貧血気味の私は少しでも睡眠時間を確保したくて定時に間に合うように仕事を進めていた。けれど定時ギリギリの時間になって明日必要な書類を回されたのだ。
断ろうとすれば詰られ時間がどんどん削られていく。仕方なしに向き合ってはみるものの視界がチカチカして思うように進まない。彼が帰った後に仕方なくタクシーで帰宅してそのまま気絶するように眠った。
「ゔっ……げほっ……ぅ」
思い出して胃酸がこみあげてくる。私は横を向くと荒くなった息を整える様に深呼吸をした。
「大丈夫か?!」
そう聞こえた気がして顔を上げれば赤いシルエットが見える。心配そうに私の顔を覗き込むとそっと前髪を払ってくれたその人は緋紅だった。彼は私の背中を摩りつつ声をかけてくれる。
「気持ち悪いのか?吐いて楽になるといい。無理はするな」
彼の手は氷のように冷たくて頬に触れると私の中の不安や恐怖が溶けだしていくようで真っ白な頭のまま縋るようにその手を掴んだ。
「大丈夫、俺はここにいる。もう何も心配などいらない、安心して目を閉じろ」
不思議なことに彼の声に導かれるように私は眠りに落ちる。そのまま翌朝が来るまで私は一度も目を覚まさなかった。
目を覚ますと目の前には赤い衣があって、身動きが取れず私は混乱した。眼球の可動域を目いっぱい動かし、手や足も可能な限り動かして状況を察知しようと頑張ってみたが頭の上から降ってきた緋紅の声が一番この状況を分かりやすく教えてくれた。
「起きたのか?」
「は?はえ?は?」
どうやら私は緋紅に抱きしめられているらしい。意味が分からない。いい香りがするとかそんなこと考えてる場合じゃない。何がどうしてこうなった。
昨晩の記憶を必死に手繰り寄せてみても彼の手を掴んでいたことくらいしか思い出せない。けれどそれも握っていたというよりは添えていたに近く、彼がこの場に留まる理由になどなりはしないはずだ。
困惑する私を愉快そうに眺める緋紅と目があって顔が熱くなる。寝起きだと言うのに心臓が飛び出しそうなほど強く跳ねて死んでしまいそうだ。
「あ、あの、すみません」
一旦謝っておこう。謝るのが正解なのかはわからないけれど無難であることは間違いないと思う。思わせてほしい。それに私も落ち着きたい。
「いや、よく眠れたか?」
ちょっと待ってください。このまま会話を続行しますか。どう考えても起き上がって適切な距離を取る流れですよね。もしかしてこれが大陸男子流なのでしょうか。それとも緋紅がイケメンだと自覚しているからできることなのでしょうか。いずれにしても心臓に悪い。
寝起きの働かない頭では現状を正しく把握することもできないらしい。私は離れようと緋紅の胸板を押すがびくともしない。線が細い印象だったが引き締まった筋肉がついているのだ。
「あ、あのさすがに同じベッドはよくないと思うんです。だから、あの、離していただけると……」
「……嫌か?」
「え?」
「いや、すまない」
なんとか交渉できたおかげで私は無事彼の腕から解放されて起き上がる。時計を見ると十時を過ぎていて私は飛び上がった。
「どうした?」
「寝過ごしました!ああどうしよう……まずはシャワー浴びなきゃ」
「じゃあ俺はこの辺で」
「はい、あ、緋紅!」
「ん?」
「ありがとう、おかげでぐっすり眠れたよ!」
「……ああ」
扉が閉まったのを確認して急いでシャワーを浴びる。
「冷たっ」
水のまま浴び始めて熱くなる頃に出た。それからスキンケアを済ませて買ってきた服に袖を通し急いで食堂へ向かう。キャシーさんはもういるだろうか。戸惑う私の前に誰かが立ちはだかった。
「すみません、急いでいるので……」
「あ、あのさ、俺のこと覚えてない?」
それは今じゃなきゃダメなのかと腹が立って視線を上げればそこには食堂車で騒いでいた三人組のうちの一人が立っていた。
「ほら、初日にもいたでしょ?友達と三人で来てるんだ……」
聞いてもないことをベラベラ語られて鬱陶しさに顔を顰めれば相手は一瞬戸惑うように表情を強張らせた。
「あ、えっとそれで……俺その時から君のこと気になっててさよかったら連絡先交換しない?」
「……なんで?」
「え?」
「私はあなたの名前も知らないし素性も知らない。それなのにどうして個人情報を交換しなきゃいけないの?」
「それ、は……あ!」
「?」
男は思い出したように財布を取り出すと一枚のカードを取り出して私に見せてきた。それはどうやら学生証のようで、男の顔写真、名前、所属大学名が記されている。
「……
あくまでも線引きしたようなスタンスを崩さないように言えば彼は表情を明るくした。
「そう!俺、河内!初めましての人は大抵かわうちって呼ぶのに……あ、君は?」
この程度の偶然で喜ばないで欲しい。私は少し悩んだ後仕方なく教えることにした。
「相楽と言います。それから年は二十五で貴方より上なので馴れ馴れしくしないでいただけます?」
「え、相楽ちゃんてそんな上なの?」
別に彼に限ったことではないが童顔と身長のせいかよく年下に間違われる。もう少し歳を重ねればそれも嬉しく感じるのかもしれないが生憎と今の私は年相応に見られることの方が嬉しいのでこの態度には些かうんざりしている。
「まあいいや、これ俺の連絡先だからさよかったらちょうだい!明後日帰るから明日一日フリーだし相楽ちゃん……さん、さえ良ければ一緒に観光しようよ」
河内は言いたいことだけ言い切ると風のように去っていった。私は誰が連絡するかとポケットの中で紙を握りつぶし食堂に足を踏み入れた。
彼女を見つけて 彩亜也 @irodoll
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