カーテンの向こう

悠井すみれ

開けないで

 彼女がさ、「カーテン開けないでね」って言ったんだよ。


 いや、別にエッチの時とかじゃないよ? それなら俺だって普通に開けないからさ。どういうタイミングだったかな、彼女がシャワー浴びてる間に、だったかな。あれ、やっぱりエッチの前だったかもな、はは……。


 いや、やっぱりちょっと出かけてから帰って来て、汗を流して、ってタイミングだったかな。昼間だったし、クーラーつけるほどでもないから窓開けようか、って言ったんだったと思う。

 あ、彼女の家ね。同棲してた訳じゃないから。そう、前カノ。倦怠期だったかもな、一緒に浴びようってことにはならなかったから。


 でも、言い方ちょっと変だろ? 窓の話してたのになんでカーテンのこと言うんだよ、ってさ。窓開けるならカーテン開けるだろ? 開けたくないなら普通にヤダ止めろ、ってだけ言えば良いじゃんか。

 だからなんで、って聞いたんだよ。そしたら隣のアパートの壁が汚いからって言われて。じゃあ風も通らないかなって思って、その時は分かったって言ったんだよね。


 あ、ビール空いてるじゃん。もう一本飲む? どうせ電車だろ、飲んじゃえよ。


  で、彼女がシャワー浴びてる間暇になってさ――ふと、思い出したんだよね。彼女の家だからそれまでも何度も上がったことはあるけど、カーテンが開いてるとこって見たことないな、って。

 うん、大したものが見える訳ないのは分かってるから、開ける必要はないんだろうけどさ。確か三階の部屋だったかな、それでも女の一人暮らしだと外から見られたら、とかあるだろうし。


 だから別に、何もおかしなことではないんだよ。窓を、っていうかカーテンを、開けたことがなくてもさあ。


 でも、一度気になると気になっちゃうじゃん。

 汚いってそんなに? っていうか、隣のアパートって言っても道路を挟んでたよな? とかさ。ちょっとでも明るい方が良い場合だってあるんじゃないの? とかさ。

 そう思い始めると、カーテンも彼女の趣味じゃない気がするんだよね。可愛い感じじゃなくて――茶色っぽい分厚い生地で、なんかダサくて、変だな、って。……だから、さ。確かめてみようと、思っちゃったんだよね。


 彼女のシャワーが長いのは分かってた。髪、長い子でさ。濡らすと乾かすのが大変なんだってさ。シャンプーなのかな、いつも良い匂いだった。

 で、水音がずっと聞こえてたから、髪洗ってるんだなって分かったから――窓際に行ってさ、カーテン、開けてみたんだ。そしたら――


 目が合ったよ。


 人間だよ。

 さかさまの顔が、凄い早さで落ちてった。


 一瞬だけど目に焼き付いたなあ。女だった。髪がぶわあって広がって、顔は、無表情で。でも、目が、はっきり俺を追いかけてた。落ちながら、黒目が動いてるのが見えたんだよ。

 下から上に──いや、あの女からすれば俺をのかな。落ちてるんだもんな、逆になるよな。


 走馬灯――じゃないか。とにかく、あの目の動きだけがやけにゆっくりしててさあ。


 ん、ビール、どうもな。喋ってたら喉乾いちゃうよな。お前にも注ぐよ。素面じゃこんな話聞いてられないよなあ。遠慮すんなって、冷蔵庫空けたいし。


 それで、どうしたかって――そりゃ、腰抜かして叫んだよ。彼女が風呂場から飛び出してくるくらいにさ。

 「どうしたの!?」って。ノーブラノーパンで、タオル巻いただけだったのに全然興奮しねえの。それくらい、ビビっちまっててさ。だから、どうしたって言われても窓を指さすことしかできなくてさ。やべえ、やべえって言うだけで。


 彼女は、俺の情けねえとこを見て「ああ」って言っただけだったよ。窓を見てちょっと頷いただけで。で、すたすたって歩いてカーテンをしゃあって閉めちゃった。窓の下も見ないで、だぞ?

 それで、俺もおいおいって思ってさ。いや、だけどこいつは何があったか知らないんだよな、ってなって──だからやっと、人が落ちた、って言えたんだよ。そしたら彼女、何て言ったと思う?

 へへ、こんな振り方したら分かっちゃうよな。


 ――それ、幽霊だから、ってさ。下見ても誰もいないよ、って言うんだよ!


 でも、そんなの納得できないよな。確かに見たんだからさあ。目も、合ったんだから。んなわけないだろって、外に飛び出たよ。彼女がカーテンはもう開けるなって言ったからさ、直接見てきてやる、ってさ。


 だけど彼女の言う通りだった。

 一階まで降りてさ、わざわざ彼女の部屋の真下に回り込んでさ、確かめたんだよ。……でも、何もなかった。野次馬もいない、救急車も来てない、死体どころか、血の痕だって全然なかった。


 で、俺がまた戻ってくるまでに彼女は服着てたんだけどさ。

 どういうことだよって、問い質すよな。

 だって、あいつすぐに幽霊って言ったし。カーテン閉める時も全然慌ててなかったし。そもそも、ずっとカーテン閉めてたってことは、知ってたんじゃねえか、ってなるだろ?


 いや、酔ってねえよ。ちょっと思い出したら腹が立ってきてさ。うん……うん、夜中だからな、大声出しちゃいけないよな……。


 そうだよ、彼女とは軽く喧嘩みたくなっちゃってさ。別に、俺に黙ってたことじゃねえよ? だって話聞いてみたら、あいつも入居してから気付いたって言ってたんだもん。平日は仕事があるし、土日だって絶対家にいる訳じゃないだろ? だからしばらく気付かなくて、しばらくしてからを見たんだってよ。


 一度気付くと、窓を見る度、ってくらいに見ちゃうんだって。目が、俺の時みたく、合っちゃうんだって。で、仕方ないからカーテンで目隠ししてたってことらしい。

 でも、それって普通、不動産屋で言われることだろ? 事故物件って、ちゃんと告知しなきゃいけないんだろ?

 家賃はどうなんだよって聞いてみたら、周りとそんな変わらない、ってあいつ言い出すしさあ。それって舐められてるじゃん。あいつもあいつだよ、物件押し付けられたんなら、ちゃんと交渉しなきゃ、そだろ?


 だから俺、彼女の代わりに不動産屋に怒鳴り込んでやったんだよ。あの物件、自殺した奴がいるだろ、黙ってたんだろ、って。今までの家賃も割引して返せよ、ってな。……でも、そいつも知らないって言ったんだよ。


 でも、絶対おかしいと思うじゃん? 俺も彼女もあんなにはっきり見えたんだから、事故物件に決まってるじゃん。だからばっくれられないように証拠見つけてやろうと思ってさ、俺、色々調べたんだよ。らしくない、かもな、はは。ちょっと意地になってたからなあ。絶対認めさせてやる、って。


 何だっけ、サイトあるだろ? 事故物件が載ってるやつ。アレとか、地元の図書館の記録まであたってさあ。ネットでも、他に見たやつがいないか調べたし。ほんとは、他の部屋の人も見てないか聞ければ良かったんだけど、それは彼女が嫌がってできなかったけどな。


 オチ? ないよ。ほんと、なーんも出てこなかった。不動産屋が騙してたとか、土地に因縁が、とかあれば良かったんだけど。

 噂レベルでも、その場所もそのマンションも、何かとか、何かあった、って話は出てこなかった。調べきれなかった可能性は、もちろんあるよ? でも、そんな古い話のはずもないんだよなあ。あの幽霊、洋服着てるんだもん。絶対、死んだの最近だと思うんだけどなあ。ん、よく覚えてるな、って? ……そりゃ、目に焼き付いたんだろうなあ。


 その彼女と別れたのは、別にそれが原因じゃないぞ。カーテンさえ閉めてりゃ見えないんだし。うん、部屋の中は、何もなかったな。彼女の話でも、俺がいた間でも。変な音とか臭いとかは、全然……。その後だってエッチしてたもん。カーテン閉めた部屋の中で。外じゃ、幽霊が落ちてたのかもしれねえけど。見えないから関係ないわな。

 誰も見てねえのに、、ずっと落ち続けてたのかなあ。それは──可哀想なのかな。ちょっと面白いかな。バカっぽくもあるよなあ。


 俺がやらかしたからって、そりゃねえよ。あいつの代わりに色々やってやったんじゃねえか。大体あいつ、別れる時は「今までありがとう、助かった」って言ってたんだぞ。やっぱ、俺が調べたりしてやって良かったってことじゃねえか。

 別れ話は……あっちからだったけどさ。俺が嫌いだからじゃないぞ。それは、自信をもって言える。


 が何だったかは――今だに分かんないなあ。俺が教えて欲しいくらいだもん。

 ただ、まあ、幽霊にも色々ってことなんだろうな。自殺したヤツだからその場に出る、っていうのがそもそも古いっていうか、思い込みなのかもな。助けて欲しいとか、そういうのがあるなら、色んな人のとこに出た方が良いだろうしなあ。死んだところにじっとしてるなんて効率悪いだろ。だから人から人へ移ってって、人を探してる、とか? うん、こういうと怪談っぽくまとまったかな?


 あ、そのコは今も元気だぞ。直接は会わないけど、普通にやってるってさ。

 だからまあ、見ちゃっても気にしないのが一番ってことかもな。うん、だってさ、事故物件なら避けられるかもしれないけどさ、こんなん普通に生きててもどこかで当たっちゃうかもしれないじゃん。見ない振り、気にしない振りが、良いんじゃないのかねえ。


 お、もうこんな時間か? 終電の時間、過ぎちゃってたな。ま、こんな話した後だし、泊まってけよ。暗い中歩くのだろ? ソファで、ってことになるけどさ。






 あ、リビングのカーテンは絶対開けるなよ。別に、何が見えるって訳じゃないけどさ。……そう、朝日が眩しいからさ。それだけだ。良いか、絶対、だからな?

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