呪い殺された聖女の遺書

亜逸

呪い殺された聖女の遺書

 親愛なるフレルク様へ。



 フレルク様がこの手紙をお読みになっているということは、おそらく私はこの世から去っていることでしょう。

 

 命を狙われるようになった以上、こういう日が来ることは覚悟はしていましたが、実際にそうなってしまったことは本当に残念でなりません。


 心優しいフレルク様にこんな言葉を送るのは酷だということは重々承知しておりますが、願わくば、私が死んだせいでフレルク様が哀しみにくれないことを心から祈っています。


 最後に。


 一つだけ、ワガママを言ってもよろしいでしょうか?


 私との最期の別れの際は、どうか花ではなく、フレルク様の口づけを手向けてはいただけないでしょうか?

 それだけが、愚かにもフレルク様を残して逝った私の、たった一つの、最後の望みです。


 フレルク様。


 愛しています。


 たとえこの身が朽ちようとも。


 たとえこの魂が果てようとも。


 あなた様ただ一人を。


 永遠に。



 ラフィア・アルフースより。




 ◇ ◇ ◇




 ダルタニス王国の王子フレルクは将来を誓い合った聖女の遺書を、もう何度目になるかもわからないくらいに熟読し、涙する。


 いまだに信じられない……というより、信じたくなかった。

 ラフィアが亡くなったという現実を。


 だが、いくら現実から目を背けようとも、ラフィアが亡くなったことは事実。

 心の臓が止まり、完全にぬくもりを失ったラフィアの遺体を、フレルクはこの目で見ている。この手で触れている。


 さらには聖女の国葬という名の現実が、もうあと一時間というところまで迫っている。

 ダルタニス王国の王子として、聖女ラフィアの婚約者として、この現実から目を背けるわけにはいかない。


 フレルクはラフィアの遺書を書棚に仕舞い、涙を拭う。

 ラフィアの遺書に記されていた「最期の別れ」は、まさしく国葬を指した言葉。

 ラフィアの最後の望みを叶えるためにも、フレルクは決然と自室を後にした。











 歴代最高と称された聖女の国葬というだけあって、参列者の数は数えるのも馬鹿らしくなるほどに膨大だった。


 顔ぶれも、諸国の王族貴族、聖女とも関わり合いの深い教会の重鎮、王族相手ですらも対等に取引してみせる大商人、賢者と称されるほどに高名な魔法使い、最強と名高い騎士団の長などなど、錚々そうそうたるものだった。


 さすがは歴代最高の聖女ラフィアだと言いたいところだが、


「ラフィアくんが呪い殺されたという話は本当なのかね?」


「呪いを解く力に優れている聖女が呪い殺されるなど前代未聞だぞ」


「歴代最高と謳われていたが、死因がこれでは、歴代最低と言われるようになるのも時間の問題かもしれないな」


 そんな心ない言葉が否応なく耳に入ってくる中、フレルクは国葬の会場となる、ダルタニス城内にある大聖堂を歩いていく。

 ラフィアの婚約者としては声を荒げて訂正を求めたいところだが、国葬を主催する国の王子としては、心が血を吐き出そうとも我慢するほかなかった。


 ただただ我慢を強いられながら、フレルクは諸国の王族たちに一通り挨拶を済ませ、定められた席につこうとする。

 その時だった。ラフィアと聖女の座を争い、ラフィア亡き今は次代の聖女を担うことを確実視されているルビーナが声をかけてきたのは。


「フレルク様……この度はお悔やみ申し上げますわ」


 あるいは、フレルクよりも落ち込んだ表情をしながら、ルビーナは小さく頭を下げる。


「こちらこそ、お悔やみ申し上げる。聖女になるべくラフィアと切磋琢磨していた君の方が、僕よりもラフィアとの付き合いは余程長い。君こそつらかった……いや、違うな。今この時も、つらいはずだ」


 フレルクの言葉が心に刺さったのか、それともフレルクと同様、ラフィアに向けられた心ない言葉がすでにもう刺さっていたのか、ルビーナの目尻にじわりと涙が滲む。


 余計に哀しませるような言葉を口にしてしまったと思ったフレルクは、すぐさまルビーナを慰めようとするも、さすがはラフィアと聖女の座を争った相手というべきか、袖で涙を拭うことで、目尻から零れかけていた哀しみを押し止めた。


「ごめんなさい。お見苦しいところを見せてしまって」

「いや、そんなことはない。むしろ次代の聖女の気高さを見せてもらったと思っている。僕の方こそ配慮の足りない言葉をかけてしまって、本当にすまなかった」

「いえ、それこそお気になさらずに。……国葬が始まるお時間も迫っておりますし、わたくしはこの辺りで失礼させていただきますわ」


 そうしてルビーナと別れ……ほどなくして国葬が開始される。


 祈祷を捧げ、賛美歌を斉唱し、出席していた教会の最高指導者たる教皇自らがラフィアの略歴と人柄を語り、説教を済ませたところで、いよいよ最期の別れ――告別の献花を捧げる時間がやってくる。


 大勢の人間が参列したがゆえに献花は長丁場になってしまい……二時間という時が過ぎてようやく、最後の一人――フレルクの番が回ってくる。


 花ではなく口づけを手向けてほしい。

 それがラフィアの最後の望みであることはわかっている。

 けれどフレルクは、口づけとは別に彼女の好きな花をどうしても手向けたかったので、関係者が用意したものではなく手ずから摘んできた桃色の花を手に、彼女が眠る棺へと向かった。


 棺に辿り着き、そこに眠るラフィアを見下ろす。


 ラフィアは、婚礼用を想起させる真白いドレスで着飾られていた。

 

 棺の中は参列者が手向けた花でいっぱいになっており、そこにうずもれるようにして、ラフィアは覚めることのない眠りについていた。


 ラフィアの最後の望みについては、父である国王にも伝えてある。

 だからこそ、父の取り計らいのもと、献花の順番を最後にしてもらえた。


 フレルクは桃色の花を手向けた後、ラフィアの頬に、そっと掌を添える。


 聖女の奇蹟の力か、あるいはその残滓か。

 防腐のための処置をするまでもなく腐敗が完全に止まっているラフィアの肌は、死んでいるとは思えないほどにつややかで。

 だけど、掌から伝わるラフィアの体温は、どうしようもないほどに彼女の死を痛感させられるほどに冷たくて。


 こらえきれなくなった哀しみが一筋、頬を伝ってラフィアの胸元に落ちていく。



 そして――



 おごそかなまでの静寂の中、フレルクはラフィアの冷たい唇に、自身の唇をそっと重ねた。




 ◇ ◇ ◇




 棺から遠く離れた席にいたルビーナは、フレルクがラフィアに口づけする様子を、眺めていた。


 う。

 このルビーナこそが、ラフィアを呪い殺した張本人だった。


 ルビーナの聖女としての才能は、次代の聖女を任される程度には秀でている。

 けれどそれは、歴代最高と謳われたラフィアがいなければの話。

 聖女を目指していたルビーナにとって、ラフィアは目の上のたんこぶ。目障り極まりない存在だった。


 そして、ルビーナにとってラフィアが目障りな理由がもう一つ。


 ルビーナは、フレルクのことを密かに慕っていた。


 王族でもなければ貴族でもないルビーナが、フレルクと婚約することは天地がひっくり返らない限りあり得ないが、聖女という付加価値があれば、その天地をひっくり返すことができる。

 事実、聖女になったラフィアは、業腹にもフレルクと婚約を結ぶことに成功した。


 だからこそルビーナは、ラフィアのことが許せなかった。

 目標としていた聖女の座を奪い、慕っていたフレルクまでをも奪ったラフィアのことを、どうしても許せなかった。


 だからルビーナは、あの手この手でラフィアを殺そうとした。


 ある時は、金で雇った者をけしかけて。

 ある時は、金で買収した者にラフィアの料理に毒を盛るよう仕向けて。

 ある時は、ラフィアの乗る馬車を暴走させることで人為的に事故を引き起こして。


 だが、その全てを、ラフィアは歴代最高と謳われた聖女の奇蹟の力で乗り越えた。


 業を煮やしたルビーナは、自らの手でラフィアを殺すために、呪いの術を学んだ。


 ルビーナは、ラフィアさえいなければ聖女になることを確実視されていた逸材。

 だからこそというべきか、ルビーナは聖女の奇蹟でも解呪できない最低最悪の呪いを生み出すことに成功した。

 そして、呪いを発動する鍵となる、ラフィアの体の一部――彼女の髪の毛を入手、呪いを発動して歴代最高の聖女を亡き者にした。


 正直、死してなおフレルクの唇を奪うあの女には、はらわたが煮えくりかえって仕方がないが、


(それもこれも今日で――いいえ、〝今〟で終わりですわ。ラフィア……あなたを失って哀しみに暮れるフレルク様は、このわたくしが責任をもってしっかりと慰めますので、どうか天国でも地獄でも好きなところに堕ちてくださいまし)


 心の内でほくそ笑みながら、ラフィアへの口づけを終えたフレルクが棺から離れていく様子を眺めていた、その時だった。



 



「…………へ?」



 全く状況が理解できず、呆けた声を漏らすルビーナを、驚きのあまりに言葉を失っている、フレルクも含めた全ての人間をよそに、ラフィアは心底哀しげにルビーナに話しかける。


「まさかあなたが、私の命を狙っていた犯人だったなんて……本当に残念です」


 まさしくラフィアの言うとおりだったため、ルビーナは思わずドキリとしてしまうも、すぐさま次代の聖女という仮面を取り繕って抗弁する。


「な、何を言ってますのラフィア!? わたくしは、あなたのことを親友だと思っておりますのよ!? いえ、そんなことより、どうやって蘇りましたの!?」


 自分でも惚れ惚れするほど完璧に白を切る。

 そんなルビーナの反応にますます哀しみを見せながら、ラフィアは告げる。


「取り繕ったところで全ては無駄に終わりますよ、ルビーナ。なぜなら私は、


「…………へ?」


 言葉の意味を理解できなかった――否、理解できてしまったルビーナの口から、再び呆けた声が漏れる。


 その直後だった。

 視界が赤色に染まり、鼻腔が鉄のにおいで溢れ、口腔が鉄の味で満たされたのは。


 ルビーナの、目から、鼻から、口の端からは、血が滴り落ちていた。


 顔の穴という穴から血が漏れ出し、地獄の苦しみの果てに命を落とす――ルビーナがラフィアにかけた呪いがまさしくそれであり、ラフィアの言葉どおりに術者ルビーナに跳ね返った呪いが、彼女の肉体を蝕み始める。


「ぁ……あぁ……やだ……痛い……苦しい……」


 頭の天辺から爪先まで、体という体が激甚な痛みを訴えてくる。

 呼吸すら覚束なくなり、息苦しさのあまり「ひゅーひゅー」と笛のじみた呼吸が口から漏れていく。


 いよいよ苦しみに耐えられなくなったルビーナは、血と涙にまみれながら、ラフィアの目の前で倒れ伏した。




 ◇ ◇ ◇




 結局、ラフィアを弔うはずだった場は、ラフィアの命を狙った痴れ者を成敗する場になってしまった。

 ラフィアの命を狙ったルビーナはというと、ともに聖女を目指して切磋琢磨した間柄ゆえか、他ならぬラフィアの恩情によって一命を取り留めた。


 つまりは、ラフィアが施した聖女の奇蹟の力によって、ルビーナに跳ね返った死の呪いが解かれたことになるわけだが。

 その御業みわざは、聖女の奇蹟という言葉だけで済ませていいものかと首を傾げたくなるほどの奇跡で。

 歴代最高の聖女というラフィアの名声は、結果的としてこの出来事を契機に、盤石なものになったのであった。



 これにて一件落着……と言いたいところだが。



「ラフィア。申し開きはあるか?」



 静かな怒りを見せるフレルクを前に、彼に言われるまでもなく正座していたラフィアが、心底申し訳なさそうに説明する。


 ある時、おそらくは髪の毛などを媒体にして標的を殺す呪いをかけられたことに気づいたことを。


 呪いを跳ね返すこと自体は造作もないが、これはもしかしたら自分の命を狙う犯人を特定する好機だと思い、あえて呪いを受けたことを。


 自分が呪いで死んだように見せれば、その後に行われるであろう葬儀に、犯人が現れるかもしれないと考えたことを。


 そのお膳立てをするために遺書をしたため、その身にとどめていた呪いを不活化させるために、自身を仮死状態に追い込む奇蹟を施したことを。


 最後の望みとしてお願いしたフレルクからの口づけは、ラフィアの仮死状態を解くと同時に、術者に呪いを跳ね返す起点であったことを。


 フレルクならば、必ずやり遂げてくれると信じていたことを。


 ラフィアは包み隠さず説明した。


「本当はフレルク様にも説明する余裕があったら良かったんですけど……さすがに私でも何の対策もなく呪いをその身に留め続けるのは危険だったので、万が一犯人に見つかっても気づかれない内容にした上で、遺書という形でヒントを残すしかなくて……」


 と、一通り言い訳してから、


「ごめんなさい!」


 正座したまま、フレルクに向かって深々と頭を下げた。


「……ラフィア。頭を上げてくれ」


 言われて、おそるおそる頭を上げる。

 フレルクはラフィアの前で片膝を突くと、これが答えだと言わんばかりに彼女を抱き締めた。


「フ、フレルク様!?」


 頬を赤らめて目を白黒させるラフィアに構わず、フレルクは告げる。


「すまない。怒って見せたのは、ただ君にイジワルをしてみせただけだ。初めから、君がやったことはどのような理由であっても許すと決めていた。だが……」


 フレルクは唇を噛み締めてから、言葉をつぐ。


「たとえ嘘でも、君を失うなんてことはもう二度とごめんだ。だからもう二度、あのような真似はするなよ」


 あまりにも真摯で、あまりにも愚直な言葉に、ラフィアは嬉しさと申し訳なさを抱きながらも、


「はい……わかりました」


 素直な返事をかえし、フレルクの背中に手を回して抱き返した。



 これにて本当の本当に一件落着……と言いたいところだが。



 この時、ラフィアも、フレルクも、夢にも思っていなかった。

 聖女の枠を越えたラフィアの所業が噂となり、世界中の人間が畏敬を込めてラフィアのことを〝凄女せいじょ〟と呼ぶようになることを……。

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