episode1-1-4 動き出す運命(中編)

 終わらない戦争の終戦から20年の歳月が経とうとしている。

 しかし、宗教国家『ニサン』では今なお戦禍が色濃く漂っている。ガストラ帝国による侵攻から半世紀近くが経過した。内界の様々な国々の支援もあってか、宗教国家ニサンはようやくかつての姿を取り戻しつつあるが、国内の至る所にはいまだに戦火の傷跡が色濃く残っている。顔を失った聖母ソフィアの像が痛々しい姿が訪れた者に戦争の悲しい記憶を思い出させた。

 戦禍で居場所を失った多くの難民が、救いを求めてこの地を訪れる。国境周辺には難民キャンプが無数に点在し、入国できる日を待ちわびている。内界で千年間も続けられた終わらない戦いの爪痕が消えることはない。戦争は終わったというのに、それを感じることができる者はこの中にはいない。聖母の慈愛を求めて訪れる難民の列は、一日たりとも途切れない。

 難民で溢れかえる平和とは程遠い光景を前にして、平和を心で願いこそすれ口にする者はいないだろう。


 だが。

 しかし。

 それでも。


 ニサンでは人々が望む平穏な時間が流れている。

 ニサンの建国者である初代聖母ソフィアの像は、侵略したガストラ軍によって破壊されてしまった。だが、それでも人々から聖母への信仰心が失われたわけではない。

 修繕中の大聖堂前の広場は、今日も耳を聾するほどに騒々しいくらいの活気に満ちていた。ニサンの復興への道のりは遠い。だが、少なくともニサンではかつての平穏な日常が戻りつつある。広場には、内界各国から派遣された支援団体の様々なテントが立ち並び、多くの人々でひしめき合っている。各国から復興支援の為に聖堂や教会といった建物の修復する作業員達が、がなりながら建材を担いで広場を突っ切って行く。野戦病院では各国からボランティアで訪れた医療スタッフが、声を張り上げて傷病人を治療している。炊き出しの暖かな白煙があちこちで立ち上り、多くの難民達が我先にと食料を求めて立ち並ぶ。

 嘆きや苦しみ、痛みや怒り、広場は悲嘆と悲痛の声で埋め尽くされている。そんな騒然とした騒動の中、ニサンのシスター達の明るく優しい声が暗澹とした空気を吹き飛ばすかのように響き渡る。炊き出しを配る時、怪我人や病人の介護をする時、難民に声をかける彼女達の声には慈愛が満ちている。そんなシスター達の声が、陰鬱とした空気が立ち込める広場の刺々しい雰囲気を和らげていった。シスター達の献身的な姿が、戦禍で傷ついた人々の心を癒していく。

 かつてのように、ニサンは平和を求める人々の避難所となり、平穏な日常への希望が蘇っている。

 広場には陰鬱な空気は消え去り、陽気な笑顔が溢れていた。そんな平和な光景を見守るように、シスターの像が優しく微笑んでいた。この像は、ガストラ帝国の侵攻に際して、ニサンに避難してきた難民たちを身を挺して守った聖女の姿を模している。


 その活気あふれる賑やかさは、修復中の大聖堂三階にある一室は大教母の執務室にまで伝わっていた。

 大教母とは、ニサンの政治と統治を司る法王庁の最高指導者であり、実質的な国家元首である。現在の大教母アグネス・デートメルス、荒廃したニサンの復興に尽力したシスターである。

 彼女は五十年前にガストラ帝国によって殺害された前任者の後を継ぎ、内界の千年にわたる戦争を終結させるための重要な役割を果たした。彼女は内界の対立する国々との仲裁を行い、内界三大帝国に対抗するための連合協定を設立した。戦後、彼女はガストラ帝国から莫大な賠償金を得て、そのほとんどをニサンの復興や難民の救済に充てた。

 大教母の地位についたアグネスはその権力と権威を巧みに利用し、彼女自身が持つ高い政治力と外交力を活かして、終わらない戦争を終わらせる為に多くの国々との外交や協定に携わっていた。その功績により現在の大教母は国内外問わずに人々から尊敬されている。しかし、その手腕から鉄の聖女と呼ばれ、内界各国の指導者達は彼女を恐れていた。今でも彼女が睨めば、三帝国の皇帝達は顔を青ざめるほどだ。


 大教母の執務室は、清貧の美徳を体現するかのように簡素だった。ガストラ帝国の侵攻の際に、ニサンの歴史的な遺産はほとんど失われてしまっていた。大きな執務机の上は書類の山で埋め尽くされ、現大教母の多忙さを物語っている。だが、部屋は埃一つなく整理されていた。部屋の主の性格が伺い知ることが出来る。

 執務机の前には、来客用のテーブルとソファがあった。大教母の執務室には不釣り合いなほど豪華だったが、これはニサンの周辺国からの贈り物だった。

 そのソファには一人の少女が座っていた。少女は見る者を圧倒する存在感を放っていた。赤い髪は炎のように揺らめき、赤い瞳は太陽のように輝いていた。幼くも美しい顔立ちながらも、その表情は高慢で傲岸だった。少女の視線は、触れれば灼かれるほどの熱さを感じさせた。少女からは、見るのも触れるのも危険な雰囲気が漂っていた。

 太陽には二つの面がある。光と炎だ。ある神話物語に、太陽の光に導かれて空を飛んだ少年の話がある。彼は太陽へ近づこうとするが、近づきすぎた彼はその炎で燃え尽きたという内容だ。 彼女の瞳はまさしくそれだ。全てを照らす太陽の光では無くて、すべてを飲み込み燃やし尽くす太陽の炎だ。


 異様な少女だ。その異様さを更に強調するかのように少女の背後には、二人の絶世の美女が無言と佇んでいる。その風貌から両者共エルフであるのが一目で解かる。亜人種族の中でも最も長命で、最も美しい様子を持つ、数ある亜人種族の中でも最も知名度があり人気がある種族だ。だが両者とも、ファンタジー小説で語られるエルフ像とは少し異なっている。

 少女の側にいるエルフは、夜を落し込んだような紫の髪と瞳に白い肌。反対側で壁に寄りかかっているエルフは、奔放さと妖艶さを感じさせる褐色の肌色に金色に輝く髪と瞳。前者をナイトエルフ、後者をダークエルフ、両者はエルフの亜種とされている。


 三人くらいならば余裕で座れる大きなソファに、少女は一人で座っている。真ん中に座り傲岸不遜とした少女の態度に、客人のもてなすように仰せつかったシスターは驚いた表情で見つめた。周辺の国々の指導者達は、ニサンの大教母の機嫌を損ねないように言動と行動に注意している。それだけではない。内界にある全ての国がその規模の大小に関係無く、ニサンの大教母を蔑ろに扱うことはない。特に現大教母に至っては、内界三大帝国の皇帝達が彼女の顔色を窺っているくらいだ。

 それだけの強大な権力を持つ大教母の執務室で、少女は退屈そうに欠伸をかいた。手を広げて足をテーブルに置きながらソファの背もたれに体を預けている姿は、まるでこの部屋の主のような態度だ。シスターは、少女の尊大な態度に困惑としている。少女は苛立ちを抑えも隠そうともせずに周囲に駄々洩れで、愚痴を漏らしては舌打ちを繰り返している。刻一刻と不機嫌になっていく少女に、シスターは部屋の隅でビクビクと肩を震わせて怯えていた。異様な雰囲気を纏う少女を恐れて行儀の悪さを注意することもできずにいる。


「大体、人を呼びつけておいて待たせるってのはどういった心境なの? アタシにだって予定ってのがあるのに、古くからの知り合いだってだけなのに、それに甘えられても困るのよね。大体、ここ何十年も連絡なんてしてこなかったのに」


 少女は苛立った口調で文句を漏らしながら、紅茶の注がれたカップを汚らしい音を立てながら飲み干した。部屋で唯一の安全地帯であるかのように、部屋の隅で縮こまっていたシスターが慌ただしく出て来た。侍女のシスターは、恐る恐ると震えながら空のカップに紅茶を注いでいく。シスターは初めて見た時から、十代前半にしか見えない少女に畏怖していた。彼女の強く燃え盛る炎のような瞳に圧倒されている。それは獣が火を恐れるのと同じことである。


「大体、送られた手紙の内容もムカつくのよね。ふざけるなって感じだわ。助けを求めるくせに、偉そうにして、しかも昔のちっぽけな恩をずけずけと持ち出してくるなんて。本当に腹が立つ。二人はどう思う?」


 少女は大きく仰け反って、後ろの立つエルフ達に向って言った。二人は口を閉ざして、じっと見つめていた。少女の声が聞えないわけでもなければ、少女の質問を無視しているわけでもない。


「……ねぇ、アナタはどう思う?」


 少女は紅茶を注ぎ終わってばかりのシスターに声を掛ける。突然のことに驚いたシスターは危うく手にしたポットを落すところだった。


「は、はい?」

「だから、アナタはどう思うのかしら? 人を呼び寄せておいて、こうやって待たせることを」


 子供のように癇癪を起して愚痴と苛立ちを漏らしていた少女とは思えない口調に、シスターは当惑した。妖艶な色香が漂う大人な声音は、性別や年齢だけでなく種族の違いも関係なく惹き込まれてしまうような魅力で満ちている。


「あ、アグネス様はとてもお忙しい御方ですので」


 シスターは少女の赤い瞳と視線を合わせられなかった。その瞳は、太陽の炎のようにすべてを焼き尽くすかのように見えたからだ。シスターは、少女の視線に触れるだけで、身体が灼けるような錯覚に苛まれた。


「だからって、呼びつけた人間を待たせて良い理由にはならないでしょ?」


 少女は不満げに言う。彼女はニサンの大教母アグネスに会うためにこの部屋に呼ばれたが、なかなか現れない。彼女は自分の時間を無駄にされていると感じていた。


「そ、そう言われても、ニサンは戦争の傷跡がまだ深く残っています。外に目を向ければ、救済を必要とする人々の姿が見えます。大教母アグネス様は、救いを求める人々の為に寝る暇さえなく働いておいでです。ですので、どうかあと少しだけご辛抱ください」


 弱弱しく、たどたどしく、シスターは答えると先ほどの避難場所である部屋の隅へと逃げていく。少女はシスターの恐怖に気づくでもなく、紅茶を飲み干して不満をぶつぶつ言い続けた。


「アイツだけが忙しいわけじゃないわ。アイツが一番忙しいわけでもない。私が待たされてるってことが、一番の問題なのよ!」


 少女は大教母をアイツと呼んで大声で文句を言った。シスターはその失礼な態度に怒りを感じたが、少女の赤い瞳に圧倒されて何も言えなかった。


「もう、これ以上待ってられない!」


 少女の怒鳴り声にシスターは思わず小さく悲鳴を上げた。

 後ろに控える二人のエルフは動じた様子を微塵も見せず、ただ静寂で身を固めているかのようにその場で立っていた。まるで少女を守る影のように。

 少女は紅茶を一息で飲み干すと、荒々しく音を立ててカップ皿に置いた。


「ファリエス! すでに何時間待った?」

「そうですね。ほんの二、三十分程でしょうか」


 ここでエルフのうちの片方が口を開いた。夜を纏ったような紫の髪と瞳を持つナイトエルフの方である。朝露で濡れた葉から零れ落ちた滴が湖面を叩くような、静かさの中に深々と響く美しい声音だ。だが、どこか氷のような冷淡さがあった。


「もう待ってられない。二人とも帰るわよ!」

「ちなみに今日を含めると一か月前から暇を持て余している状況が続いているかと思うのですが」


 少女は立ち上がろうとしたが、ナイトエルフが冷たい声で制した。彼女の声は氷を叩くように鋭く響いた。


「……ファリエス、何が言いたいの?」

「いえ、私としてはここらあたりで『久々に』一仕事受けておきた、と思っています。ただでさえ我がギルドのギルドマスターは、ご自分の気まぐれでお受けするので、ここ一か月以上も内界で余暇を楽しめましたし。何よりもニサンからのクエストを受けておけば今後何かと我がギルドに『メリット』がある、そう言いたいのですが」


 ファリエスの声には、露骨な棘が込められている。だが、少女はその声に一切動じなかった。少女は不敵な笑みを浮かべて、挑戦するように言い返した。真っ赤な瞳は激しい情熱や攻撃性で燃えていた。


「あら、それならいくらでもクエストを受注してあげるけど?」


 少女の大人びた声音に、ファリエスはこめかみを押さえて疲労困憊とした溜息を漏らした。


「やめてください。お願いだから、そんなことは決してしないでください。そんなことをしたら、貴方はギルドメンバーの構成を無視して高難度のクエストばかり受けるはずです。そんなことされたら、クエストクリアの為の人員の配備やら準備とかで私が過労死します。ただでさえ我がギルドはメンバーが少ないうえに、今どこで何をしているのか解らない者ばかりだというのに」


「それが貴方の仕事じゃないの?」

「私の主な役割はギルド運営の資金管理だったはずですが。業界での私の異名をお忘れですか?」

「あら、貴方は私の優秀な片腕なのよ。ならば、何でもできるはずよ。無理なことはないし、無理だと拒むことを私は許さない」


 否定も拒絶も許さない力強い言葉で言い放つ少女からは、見た目の幼さとは裏腹に凛とした表情をしている。ファリエスを見据える紅蓮の瞳は攻撃的な意志で燃え上がっていた。まさに太陽だ。その瞳には手を伸ばしたくなる魅力があるが、触れればその身を焼かれるだけ。遠目で少女の瞳を見ていたシスターは、その瞳を心の底から恐れながらも視線を動かすことができなかった。

 ファリエスは息を静かに飲み込む。表情は氷のように冷たいままだが、心の中には焼けつくようなプレッシャーに耐えていた。ジリジリと焼けつくような少女からの視線に負けることなく、ファリエスは氷のように冷たく少女を見つめ返した。


「私の苦労を少しは考えてくれないと困りますが。できれば、我が身を思ってこの労苦を減らしてくれたりはして欲しいですね」

「アタシはね、出来ない奴には仕事を任せないし、期待もしない。貴方は出来るし、私の期待を絶対に裏切らない」


 少女は幼い顔に似合わない言い方をした。他者を支配するような威圧感をまとった少女の言葉に、ファリエスは反論できなかった。人間の何倍もの寿命を持つエルフから見れば、目の前の少女はまだ子供のようなものだ。だが、ナイトエルフは少女の赤い瞳に圧倒されていたし、何よりも惹き付けられていた。

 少女はそんなエルフの心情を見透かすように、婉然と微笑んだ。そして、挑発するように言った。


「違う?」


 ファリエスはすでに反抗する気力など失せていた。ただ無言と、一瞬だけ目を伏せて頷くと、口を氷で閉ざしたかのように黙り込んで少女の赤い双眸を見つめた。

 少女が前へ向き直ると、終始黙って二人の成り行きを見ていたダークエルフが、ファリエスに向かって得意げな笑みを浮かべる。明らかにファリエスを挑発している。しかし、ナイトエルフはそれを横目で見るが、冷え切った視線でその侮辱的な笑みを一蹴した。


「それじゃ、二人とも行くよ」


 少女がそう言って立ち上がろうとすると、これまで部屋の隅で少女の視線から隠れていたシスターが慌てて進路上に立ち塞がった。


「ちょっと、何よ」

「あ、ああ、あと少し、あと少しだけ! お、お待ちください!」


 少女に睨まれた為に、シスターは恐怖のあまりに顔を引きつらせていた。両目に涙を溜めて、少女が放つ雰囲気に屈従しそうになる気持ちを奮い立たせて、少女に向かってこの場に少女を留まらせよう必死に哀願する。

 小柄な少女よりも頭を低くして頼み込むシスターを前に、これまで他者を屈服させる超然とした雰囲気を纏っていた少女が困惑した表情を浮かべた。


「ちょっと通れないじゃない。道を開けなさいよ」

「お、お願いします。あと少しだけ待ってください!」

「あのねぇ、私も暇じゃないの。別にあなたの責任じゃないのよ。アグネスには私が勝手に帰ったって言えば、それだけでわかってくれるわよ」

「そういうわけにはいきません。私はずっとアグネス様の側に仕えていたから解るんです。アグネス様ずっと貴方様とお会いすることを願っていました」

「その割には本人はここにいないじゃない」

「お願いします。アグネス様が来るまで、あと少しだけでいいのでお待ちください」

「……まったくアナタもアイツに負けず劣らずの頑固者ね」


 頭を下げて必死に懇願するシスターの耳には少女の声は聞こえていないし、少女の表情も見ていない。シスターの涙混じりの懇願は部屋の外の廊下にまで響き渡っていた。


「まったく何事なの? 廊下にまで聞こえる様な大声を上げて」


 気が付くと部屋の扉は開かれていた。そこには、一人の年老いたシスターが驚いた顔で立っていた。この老女が、内界の平和の象徴として多くの人々から敬われ、周辺の国々の指導者から鉄の聖女として恐れられる宗教国家ニサンの大教母アグネス・デートメルスである。厳しくも威厳と慈愛に満ちた眼差しは、戦争の傷跡を癒すために尽力してきた証だったが、その瞳には隠しようもない疲労が滲んでいた。


「ア、アグネス様!」


 大教母アグネスの姿を見た瞬間、シスターは天に感謝した。涙ぐむシスターの様子に、アグネスは苦笑しながらシスターの心情を察した。

 シスターはアグネスに一礼をした後に、先程から彼女の定位置となっている安全地帯へと一目散に逃げて行く。部屋の隅でインテリアの一部となろうとするシスターを、アグネスは呆れながら見送る。

 そして、少女の方を見た。その瞬間、アグネスは息が止まるほどの衝撃を受けた。目眩がするほどの現在と過去が激しく入り乱れる心境に、アグネスは感情を抑えることが出来なかった。


「あ、あぁ! ……な、なんてことなの」

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UNKNOWN FANTASY -FINAL FANTASY STRANGE STORY- OSUMOU @OSUMOU

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