華の葬列

 内容を考えれば不釣り合いなほどに穏やかに明るく言われた言葉に、かさね達は目を見張る。

 驚愕に言葉を失くしている様子を見た斎は、肩を竦めて笑って見せた。


「死神であるということが、私が現世に存在する意義だったからね。意義を手放したならば消え去る。……それだけの事だよ」

「それだけの事、って……!」


 迂闊ではあったと思う。

 確かに死神を継いだら自分はどうなるのだろうという思いはあったが、斎がどうなるのかにまで考えが至らなかった。

 鷹臣をこれで救えるという思いが先がって、そこまで思いを巡らせられなかった。

 自らを裡にて責めるかさねの横で、鷹臣が強張った表情のまま斎へと叫ぶ。


「お前、何故それを言わなかった……!」

「言ったなら、かさねは絶対に継いでくれなかっただろう?」


 しれっとした様子で応える斎に、鷹臣が呻いたのが聞こえた気がする。

 握り拳に力が籠っているけれど、鷹臣の横顔には悲痛な喪失への恐れがある。

 鷹臣にとって斎がどのような存在だったのか、分かった気がする。

 駄々をこねる子供のような雰囲気すら纏う鷹臣を見て、斎は苦笑いを浮かべたまま嘆息した。


「お前だって、本当の事を言ってくれなかったじゃないか」


 鷹臣の身体が、打たれたように震えたのが分かった。

 斎も、鷹臣も言わなかった、伝えなかった。

 本当は何を望んでいたのか、何を互いに思っていたのか。

 飄々とした顔の裏に、厳格に戒めた顔の裏に、どんな想いがあったのかを……。

 唇を噛みしめる鷹臣を見つめながら、徐々に薄れゆく斎は微かに笑った。


「ただの、手駒のはずだった」


 ふわり、ふわりと斎の身体が透き通っていく内に彼の周りに集まり始める光が死神だった男の表情を照らす。

 斎は、残された時間を使って言葉を紡ぐ。

 紫園家に仇為す為に戯れに拾い上げた命。

 鷹臣が紫園の当主であり続ければ、偽りの血筋が紫園家を貶め続ける。

 鷹臣が本当の紫園の血筋である女児を探し出したなら、彼は花嫁を得る。

 どう転んだとしても、彼には益しかない。とても都合の良い手駒を得たと思った。

 けれど、何故か少年は放っておけないと感じさせるところがあった。

 環境故に年齢不相応に大人びて、名家を継いだものとして万能であり無敵であろうと常に気を張っていて、見ていられなかった。

 少年は揶揄ってやるととても楽しい反応を……年齢相応の、いやもっと幼い子供のような顔を見せる。それが嬉しかったと斎は語った。

 だからこそ、あの瞬間の哀しみが強かった。

 『また』裏切られたという想いが強すぎて、延命を解くと告げてしまった。

 鷹臣の気性を考えれば、彼が抗う事など無いとわかっていたのに。失う事など、望んではいなかったというのに……。


「私は、ただ寂しかったんだ」


 気が付いた時には、彼は死神としてこの地にあった。

 何故に生じたのか、自身がその役割を背負っているのかも分からず、一人唯務めを果たしていた。

 けれども満たされぬ何かに何時も悩まされていた。それが何かに気付いた時、彼は紫園の祖に出会った。


「誰かと共にありたいと願った、始まりはそれだけだったんだ」


 だからこそ、伴侶を求めた。約束の果てに、共に生きてくれる相手を望んだ。

 その願いは裏切られ、果たされる事はなかった。

 斎はそこで、寄り添いながらも揃って泣き出しそうな様子のかさねと鷹臣に視線を向ける。

 鷹臣、次いでかさねへと蒼銀の双眸を巡らせた後に再び口を開く。


「けれどね? お前が生まれてからは寂しくなかった。かさねが生まれてからは希望を持てた」


 今までの当主は斎の事を家を繋ぐ為の存在としか見なさず、斎もまたあれこれ命じてもそれ以上は踏み込まなかった。

 しかし、鷹臣はあくまで斎を、そこに確かに居る一人として、対等に接してきた。斎は少しだけ日々が楽しくなった。

 やがて、かさねが生まれた。

 彼が待ち望んでいた花嫁となり得る娘は、歪んだ意図から逃れるために彼の手の届かない外へと出されてしまう。

 でも、故に希望が持てた。成長した花嫁が、何時かこの屋敷に戻り、彼の元にやって来る日がくる。

 永劫に果たされぬかと思われた契約が終わる日が来ると。いつか、一人ではなくなる日がくるのだ、と。

 願いが、いつの間にか不思議な形で叶っていた事に気づかずに……。


「お前達が、それぞれに違う相手を選んだのなら許せなかったけれど。お前たちが、互いの手を取ったというなら」


 大切な存在が、大切な存在の手を取った。

 二人は互いを唯一と想い、選んだ。それは彼が選ばれぬという結末になってしまったけれど。


「……今は、不思議と寂しくない」


 斎はただ笑って、そう言った。

 ほんの少しの寂しさと悔しさを滲ませながらの微笑みは、哀しい程に優しかった。

 かさねは鷹臣の手を握った。

 力の籠った拳が震えてを押し殺そうとしているのを感じて、かさねは思わず目を伏せる。

 斎の存在と引き換えになると知っていたならば、かさねは死神を継ぐのを拒絶しただろうか。

 そこで是と言っただろうと思うには、鷹臣を救いたいと言う想いが強すぎた。

 知っていたとしても、恐らくそれを選んだだろう。

 例え今どれ程悔いたとしても、知らなかったとしても。心のどこかでかさねは確かに選んだのだ。斎を犠牲にしても、鷹臣を助ける事を。

 生じている痛みは、かさねがこの先背負い続けるべき咎だ。

 斎の哀しい微笑を胸に刻んで彼を引継ぎ、鷹臣と生きていく。それが、かさねが選んだ道だから。


「四葩の結界を解いて、私を外に行かせておくれ。そろそろ、かえりたいんだ」


 もはや向こう側の景色が透けて見える程となってしまった斎が、静かに屋敷を囲む紫陽花の生垣を示して言う。

 あれは、斎を閉じ込める為の結界だとかつて斎は言っていた。

 結果として、四葩は斎と共に紫園の繁栄の為に死した魂たちを……子を産み死んだ女達を、殺された女児たちを、口封じのために殺された者達を閉じ込め続けてきた。


「迷い続けた魂たちも連れていくよ。……それが、私の最期の役目だからね」


 長い事仕事を放り出していたのだから、と笑う斎は何時も通り過ぎて。尚更哀しいとかさねは思った。

 だが、それを面に出さぬように必死で耐え、代わりに強い決意と共に頷いて見せる。


 今のかさねには『視えて』いた。複雑に縺れ絡まる因果の糸のようなものが。

 どうすればそれを解く事が出来るのか、かさねにはもう分かっている。

 斎が此処に縛られるのと同じ時の中、紫園の祖から連なる妄執の犠牲となった魂。

 斎が還る為に、魂達が還る為に、連綿と続いてきた華の獄を終わりにしなければならない。


「鷹臣。この刀はお前に託す。……これからは、これを振るうのはお前の役目だ」


 斎は手にしていた刀を鷹臣へと差し出した。

 かつて斎が死神として魂と現世との繋がりを断ち切る為に使っていた刃を、鷹臣は一瞬の逡巡の後に厳かな表情で受け取った。

 斎は一人で刀を振るい、魂を導いてきた。

 それをこれからは二人で担え、と斎は言いたいのだろう。二人で一つの存在として、これからの時を共に生きていけと……。

 言葉に依らぬ想いに、かさねもは胸が詰まる程に痛くて言葉を紡げない。

 鷹臣は何かを必死で耐えるように唇を噛みしめながら俯いている。恐らく、かさねも同じような表情をしている気がする。

 言葉に詰まるかさね達に、斎がふっと表情を緩めたかと思えば。


「くれぐれも、手を滑らせて自分を斬ったらいけないよ? 次はないのだから」

「……私がそこまで迂闊だと思うのか」


 揶揄うような斎の言葉に、鷹臣が憮然とした面持ちで呟く。

 鷹臣の不貞腐れたような、必死で心が溢れだすのを堪えているような表情を見た斎は、本当に愉しそうに笑った。


「だって、お前はとびきり不器用だからね」


 軽やかな笑い声さえ立てて言い切る斎の瞳には、もう隠す事のない鷹臣への慈しみがあった。

 そして、斎はかさねに向き合うと在る方向を示した。


「かさね、彼女を。……最後の願いを聞いておやり」


 そこには燁子が居た。

 怨霊たちに蝕まれながらも、傀儡として動けとどれほど命じられても、唯涙を流しながら立ち尽くしている。

 かさねには分かる。

 燁子はまだ生きているけれど、もう人には戻れない。

 このままでは蠢く怨霊たちの悪意に取り込まれ、人ならざる悪しき存在へと変貌してしまうだろう。

 救う術があるとすれば、それは。


「奥様……」

「かさね……」


 歩み寄ったかさねは、燁子を細い腕を回して彼女を抱き締めた。

 この人もまた紫園の呪いの犠牲となった一人なのだと思えば悲しい。この家に嫁がなければこんな事にならなかったと思えば。

 燁子はひたすらにかさねを愛してくれた。

 最初は己の満足の為と言っていたけれど、燁子は何時も優しく、かさねを慈しんだ。

 恐れを抱いてこの屋敷に来て、燁子と出会った。

 恐れは不思議な戸惑いに代わり、何時しか幸せな気持ちに変わっていた。

 それが、かさねが燁子に向けるものとは違う想いだったとしても、歪とされる形であったとしても。

 誰よりも、誰よりも、この人は優しく美しいと思う。だからこそ、変わり切ってしまう前に救いたい。

 そう思うかさねの耳に、辛うじて聞こえる程度の、力を振り絞って紡がれた燁子の囁きが聞こえた。


「わたくしは……蝶になりたい……。お前と共にある……美しい……蝶に」


 燁子を強く抱きしめたまま、かさねは何度も頷いた。

 愛してくれたこの人に報いる術が残されていて、その人がそれを望んでいる。

 迷う事は何も無い。

 かさねの腕の中で、蝶に、と呟く燁子の姿が徐々に淡い光を帯びていく。

 蝕んでいた黒い影が消えていくと共に、徐々に燁子の輪郭が薄れていく。 


「共に参りましょう、燁子様……」


 もう正妻も妾もない。ただ愛し愛される者同士。初めてかさねは燁子の名を呼んだ。

 それを聞いた燁子は、最後の瞬間に今まで見た中で一番美しい微笑を見せて、一際強い光に包まれた。

 そして目を灼くかと思う程の光が散じた後、燁子の姿はなかった。

 代わりにいたのは、一匹の美しい蝶だった。

 ひらりと優雅にかさねの周りと舞う蝶につられるように、かさねの内から次々と蝶が現れ舞い始める。

 斎と目が合うと、死神だった男はひとつ頷いて見せた。

 かさねの従える蝶たちが複雑に舞い、光の軌跡を描く。

 それはやがてある場所を示すようになる。

 かさねの目にはそこに『結び目』が生じたように見えた。

 あれこそがこの屋敷を閉ざし続けた要である、そう思った瞬間鷹臣の方へ視線を向けていた。

 鷹臣はかさねに向かって頷いて見せると、斎から受け継いだ刀を手にそちらへと歩みより、刀を構え。

 閃光かと思う程に鋭い軌跡が走った次の瞬間には『結び目』が断ち切られていた。

 要を失った結界が、複雑に組みあった因果が解けていく。

 屋敷を取り囲むように咲いていた四葩が不可思議の光に燃えるように輝き、次々と散り始める。

 四葩の花弁が風に吹かれ舞う中、斎は天を仰ぎながら一歩踏み出した。

 もはや眩い光の塊と貸していた斎は、もう一歩踏み出した次の瞬間には蝶の群れへと転じていた。

 最後に、何時もこの場所でかさねを出迎えた時のような、鷹臣を出迎えていた時のような、朗らかな笑みを残して。


 四葩の花弁が風に煽られるようにして螺旋を描きながら空へ、空へと上っていく。

 その中を、不可思議の光を帯びた蝶の群れが天へと昇り、地上にて蠢いていた怨霊達がひとつ、またひとつと光となって続く。

 ああ、やっと出られるのだ。やっと会いに行けるのだ。やっと、還る事が出来るのだ。

 怨嗟に焼かれていた魂達は、歓喜の声と共に次々に元の形を取り戻しては、一人、また一人と舞い狂う花弁の中を蝶に続いて昇っていく。

 それは、あまりにも美しい光景だった。

 見送るかさねの目にも、刀を手にした鷹臣の目にも、見届け人となった嘉臣の目にも。

 長きに渡り数多の者を縛り閉じ込め続けていた華の獄が、今ここに終わろうとしている光景が焼き付いた。

 妄執が断ち切られ、解放の喜びに輝きながら魂たちは笑いさざめき旅立っていく。

 舞い散る花弁に包まれるように光を帯びた蝶が導き、煌めくような光が次々に天へと還っていく。


 ――それは、あまりに美しい華の葬列だった。

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