仮面の理由

 かさねは、部屋に籠る事が増えていた。

 以前は書斎にて本を読む事や庭園に散策に出る事もあったが、それも止めていた。

 鷹臣に連れられて観劇や買い物に外出したり、燁子と共に訪れた商人の品物を見たり茶をしたり、と外に出ない訳ではない。

 けれど、それ以外の時間は部屋に閉じこもるようにして過ごしていた。

 気を抜けば、物思いに沈んでいるのが表に出てしまいそうになる。

 かさねの中では、先日知った出来事が巡り続けていた。

 鷹臣が自分を屋敷に招いたのは、自分の本当の血筋を見出したからなのだろうか。

 けれど、それならば何故かさねを買ったのか。腹違いであれど血のつながった妹を、何故妾としたのか。

 そして、何故あのように求め、縋るのか……。


 鷹臣と共に眠る夜は続いていた。

 かさねの様子がおかしいと気遣う鷹臣に、かさねは本当の事を言えない。

 聞かない内はまだ、それが真実ではないという思いを抱いて居られる。

 けれど、鷹臣がそれを肯定したとしたら。かさねの今の世界を構成する全てが足元かが崩れ落ちてしまう。

 鷹臣とだって、もう共に居られない。

 かさねは、拒まなければと思う。

 けれども、拒絶できない。

 自分を見つめる熱を帯びた真剣な眼差しを、喜ぶ自分を否定しきれない。

 あれは本当なのだと恐れながら、手を振りほどきたくない自分が居る……。


 かさねが裡に煩悶を抱えたまま日々が過ぎる中、事件は起きた。

 ある朝、鷹臣と燁子が激しい口論をした挙句、激昂した鷹臣が燁子に手を上げたのだ。

 その際倒れた燁子の顏から何時も着けている仮面が飛び、かさねは初めて燁子の『本当の』素顔を見た。

 燁子の顏は文句のつけようのない程、絶世と評しておかしくない程に美しい――半分だけは。

もう半分、いつもは秘されていた部分は無惨な程に焼け爛れていた。

 残された片側が美しければ美しい程、惨い火傷の痕が尚更悲惨に映る。

 事情があって隠しているのは知っていたけれども、初めてそれを目の当たりにすると一瞬言葉を失う。

 かける言葉を探している内に、燁子は立ち上がり止める声も聞かずに駆けて行ってしまった。


 無言の非難をこめて見ると、鷹臣は大きく嘆息した。

 口籠る様子を訝しく思いながらいると、観念した様子で鷹臣は話し始めた。

 何と、燁子が他の妾を探すよう言い出したという。その女に子を産ませるようにと鷹臣に迫ったらしい。

 当然ながら鷹臣はそれを拒否したが、燁子は引かずに食い下がる。そして、先程の騒ぎになったというのだ。

 出立する鷹臣を見送ってから、かさねは暫し愕然としていた。

 他を探せと言われる程に気分を損ねてしまったのか、優しく接していてくれたけれど内心ではそうでなかったのか。

 いや、今までが恵まれていたのだ、と思い直す。

 この屋敷においては扱いが特異なだけで、本来妾とはそういうものだ。

 妻にとっては目障りで憎らしい存在に、今まで目をかけてくれていただけでも過ぎた扱いだったのだから。


 追い返される事を覚悟しながら、かさねは燁子の部屋を尋ねた。

 しかし、意外にもあっさりと扉は開かれ、女中が丁重にかさねを招き入れる。

 燁子は打たれた頬が未だ赤いものの、何時もの優しい笑みを取り戻していた。

 予想に反してかさねを温かく迎え入れた燁子は、女中に言いつけて茶の支度をさせると下がらせた。

 二人きりとなり、沈黙が満ちる。茶の豊かな香気と焼き菓子の甘い香りがその場に漂う。

 手を付けるにも付けられず、事の成り行きを見守っていたかさねに、不意に燁子が問いかけた。


「驚いたでしょう? ……見苦しいものを見せてしまったわね」


 何の事を示しているのかは、仮面に触れている燁子の手が示している。

 とんでもないという思いをこめて唇を噛みしめたままかさねは激しく首を左右に振る。

 確かに驚きはした。けれど、そんな事を思ってなどいないのに。

 かさねの必死な様子を見て、燁子は微かに苦笑した。そして、静かに昔語りを始めた。


「……もう大分遠い昔のようにも、ほんの少し前のようにも思うけれど」


 燁子は元々皇族とも縁組を望めるほどの名家の生まれであったという。

 それは聞いた事があった。奥様は名家の姫君でいらしたのです、とタキが教えてくれていた。

 美貌に教養を兼ね備えた深窓の令嬢に、縁談はかつて降るほどあったという。

 燁子の父は、典型的な暴君であった。その在り方に嫌悪を覚えてはいたものの、娘が父に逆らえる筈がない。

 少しでも都合良い条件で娘を嫁がせる為に選り好みしていた頃、それは起きた。


 原因は、素行不良だった弟の煙草の不始末。蔵で隠れて喫煙していた弟を、燁子は咎めた。

 しかし弟は言っても聞かない。

 それどころか嫁ぐしか価値のないお前は黙っていろと反発する始末。

 口論を続けた二人が気付いた時には、既に遅かった。

 蔵に火がまわっている事に二人は愕然とする。

 狂乱状態の弟は、姉を焔に突き飛ばした事すら気付かぬままに一人だけさっさと逃げ出した。

 幸いにして家人が異変に気付いて火は程なく消し止められ、燁子は助け出された。

 けれども、その時には燁子の美しい顔の半分は取り返しのつかない傷を負っていた。

 燁子の不幸はそればかりではない。意識を取り戻した時には、蔵の火事は燁子が起こしたものという事になっていたのだ。

 蔵で火遊びをして、それに自ら巻かれただけであると。

 自分がそのような事をする筈がないとどれだけ訴えても、蔵の所蔵品を損ねたばかりか傷物となりおって、と父は激しく叱責したらしい。

 燁子が火事にて顔に火傷を負った事により、燁子の父は彼女に最早価値が無いと断言した。実際、山のようにあった縁談は綺麗に消えたという。


「傷物になった女に唯一きたご縁とやらが、この屋敷の主だったのよ。大分高く買ってくれたようよ?」


 口元を歪めて燁子は言う。そこには、隠しきれない程の嫌悪が表れていた。

 紫園家の当主である鷹臣に妻を探していたという名士が、是非とも燁子を嫁がせてはと話を持ってきた。

 紫園家に纏わる噂はあまりにも有名だった。

 最初こそ渋っていた燁子の父は、多額の支援の申し入れの話が出ると目の色を変えた。

 燁子の家は、家柄は良くとも、父と弟の放蕩のおかげで資金繰りはよろしくなかったのだ。

 嫌だと訴える燁子を足蹴にしながら、父は喜色満面でその縁談を受け入れた。そうして、燁子は紫園家にに嫁いできた。


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