死神はわらう

 笑顔で紡がれた言葉に凍り付くかさね。

 そんなかさねを目にして笑みを深めると、斎は首を緩く傾げて問いかける。


「あなたもおかしいと思ったのだろう? これだけの長い間、女児が生まれないのは不自然だと」


 思わず息を飲み、かさねは更に言葉に詰まった。どうにも奇妙な表情になってしまっている気がする。

 口元に優美と言える笑みを刻みながら、斎は更に問う。


「だから離れに行った、違うかい?」


 更に重ねての問いに、逡巡の後に頷く。

 その通りだった。

 何代もの間一人も女児が生まれないなど不自然、それには何か理由がある筈だ。

 そう思ったからこそ、かさねは離れに行った。

 そして、あの女達を見つけた。我が子を失い嘆き続ける、かつての『胡蝶』達を。

 かさねの中に生じた恐ろしい疑念は、斎の態度によって更に確かなものになる。

 震えそうになる声を必死で抑えながら、かさねは胸に抱いた疑問を紡いだ。


「女児は、殺されていたの……?」

「恐らくそうだろうね。あの離れの中で、生まれるのと時を同じく殺されてきたのだろう」


 さらりと、何事でもないように斎は問いに対して頷いた。

 抱いた恐ろしい疑惑をごく自然に肯定した死神に対して、かさねは呆然とした眼差しを向ける。知っていたのか、と。

 知っていたなら、何故そのまま捕らわれているのだと、問いたかった。

 物言いたげであるのに何も口にできないでいるかさねを、斎は微かな苦笑いを浮かべて見つめた。


「最初は疑う事なく信じていたよ。何時か、約束が守られるとね」


 最初は純粋に、ただ信じていた。何時か約束が果たされる時が来る事を夢見ていた。

 次の百年は、少しばかりおかしいと感じるようになった。もしかしてと思いはしたが、それでも信じる事にした。

 その次の百年、やはりおかしいと感じてしまった。もしかしてと思い、疑い始めた。

 そしてついに百年前、その疑いが正しいと知ってしまった。


 それは百年前の、四葩の季節だった。

 産があったということで離れの様子を伺っていた斎は、赤子を抱えた裸足の女が離れから転がるようにして出てきたのを視た。

 女の魂は半ば黄泉路に去りかけていて、髪を振り乱し、目をむいた様子は鬼女のようですらあった。

 斎は訝しく思った。最早見る影もないが、あれは当主が『胡蝶』とした女ではないか。

 女が腕に抱いた赤子は既に魂が抜けていた。首の骨が折れていることから、誰かに縊られたのだと知れる。

 どういう事だと視ている中で、女は赤子が既に死んでいる事に絶望すると、そのまま息を引き取った。

 もはやほぼ死んでいた、どこにその様な力があったのか不思議な程だった。

 それを見ていた紫園の主が、ため息交じりに呟いた『祖の言いつけとは言え、我が子を殺し、存在を無かった事にするのは気が引けるものだ』と。

 死んだ赤子は、女児だった。

 信じ続けた死神は、その時『何』が続いてきたのかを悟ってしまった――。


 蒼褪め唇を震わせながら、かさねは斎を見つめる。

 あまりに穏やかに静かに語る斎が、おそろしい、と思ってしまった。

 少しでも覗き込めば水底へ引きずり込む魔性が潜む美しい池のような、怖ろしさと美しさを湛えた笑みを浮かべ続ける男。

 言葉と顔色失くしたまま見つめるしか出来ないかさねへ聞かせるように、斎は昔語りを始めた。


「紫園の初代は、人形師だった」


 あれは何時の時代だったか、と記憶を巡るように遠くを見つめて斎は言う。

 一人の男が居た。男は優れた人形師だった。人々は皆競って彼の人形を求めた。

 殊に蝶を意匠とした人形は現世を旅立った魂を慰めるとも言われていた。

 気まぐれ起こして近づいた斎は男の作る人形を気に入り、何かと目をかけてきた。

 ある時、男は生涯最高傑作と呼ばれる人形を作りあげ、精魂こめすぎて、あろうことかその人形を愛してしまった。

 そして斎に、この人形に魂を与えてくれと願ったのだ。

 斎はそれを聞き届ける代わりにお前と人形が転じた女による血筋から花嫁を、と願った。

 祖はいずれ生まれる女児を斎の伴侶として差し出そうと約束し、斎は力の一部である『蝶』を人形に宿らせた。

 蝶は魂となり人形は受肉し、一人の美しい娘となる。祖は喜んで娘を妻と迎えた。

 斎は素直に祖を信じ、花嫁を迎えるまで自分の刀を証である守りとして預け、血筋を守り繁栄を約束する契約を交わした。

 そして紫園家は始まり、斎が与えた加護にて富み栄えながら今日まで続いてきた。

 しかし、花嫁と為る筈の女児は一人として生まれないまま。

 契約の代償が支払われていない為、加護は……呪いは続いていている。


「私はね、謀られていたのだよ」


 微笑みながら、斎は先程口にした言葉をもう一度口にする。

 かさねも、紫園家が代々何を続けてきたのかを悟ってしまい思わず唇を噛みしめる。

 続いてきたのは『子殺し』だ。それも、女児に限っての。

 女児が生まれ斎が花嫁を得てしまえば、契約は満了となり斎の加護は失われてしまう。斎は花嫁を連れて去っていくだろう。

 それを懸念した祖は、恐ろしい決断をした。

 女児が生まれたらその場で殺して『なかった事』にするようにと子孫に遺したのだ。

 それに母親が抗ったとしたら、恐らく母親ごと殺して、闇に葬ったのだろう。

 そうして、紫園家に女児は生まれなくなった。

 それ故に、斎は未だにこの場所に、果たされぬ約束に、悪意の契約に縛られ続けている――。


「あの四葩はね、私を閉じ込める為の結界だ」


 斎は白く長い指を巡らせ、屋敷を取り囲むようにして植えられている紫陽花を示す。

 季節を問わず咲き続ける不思議な花は、契約によって斎を閉じ込める為に植えられたらしい。

 万が一にも、斎が諦めて去って行く事のないようにとでも思ったのだろうか。

 しかし、かさねは不思議に思う。

 斎はもう百年も前に真実に気付いていた。自分が偽りを以て縛られているという事に。

 それなのに何故、何もせずに此処に居たのだろう。

 仮にも神と呼ばれる存在であるならば、謀った者達に罰を与えてやろうとは思わなかったのだろうか。

 その問いは顏に浮かんでしまっていたらしい。一つ嘆息すると、斎は再び口を開いた。


「契約とは面倒なものでね。どれだけ意趣返しをしてやりたくても、私は紫園の血筋に仇を為せない」


 人ならざる者であるならば尚更、交わした約束や誓いには縛られる。

 加護を与えると誓ったのであれば、前提となる契約が果たされるまでは害を及ぼせない。

 報復してやりたくても、どれ程憎いとおもったとしても。

 瞳の底に暗い焔を宿したまま淡々と言葉を紡いでいた斎が、ふと再び笑みを浮かべた。

 それは、とても美しくて、とても歪んだ微笑みだった。


「だから、手駒を手に入れた。調度良く池に沈んだものが死んでいたから、拾って繋いだんだ」


 斎が眼差しを池に向けるのにつられて、かさねもそちらを見てしまう。

 池に沈んでいた、その言葉で何かを思い出しかけ、次いで目を見開いた。

 あの日記帳にそのような記述があったような気がする……。

 しかし、それと今の斎の言葉の繋がりが分からない。分からないのだろうか。

 分かるのが怖いのだろうか。もはやそれすらも分からない。


「割と言う事を良く聞く良い子だった筈だったけれど。……最近どうにも反抗的で困っていたものだよ」


 のんびりとした声音の呟きも、かさねの裡に長くは留まれない。 

 斎は何の事を、誰の事を。ぐるぐると巡る思考が最早留まる事を知らない。

 明かされた真実に、伝えられてきた恐ろしい言いつけに、騙されていたと微笑う死神に。

 言い伝えが続いていくというならば、かさねが産む子も女児ならば殺されてしまうのだろうか。鷹臣は、どういう心算でいるのだろうか……。

 その時、揺れに揺れるかさねの耳に、喜びに満ち溢れた声が聞こえたのだ。


「でも、もうどうでも良い事だ。……もうじき鷹臣は消え、私は焦がれてきた花嫁を手に入れる」


 弾かれたようにそちらを見ると、斎がかさねを見つめていた。

 その瞳には歪んだ喜びの光が満ち溢れていて、目にして思わず身体が震える。

 斎は確かに、出会った時からかさねを花嫁と言い続けてきた。

 かさねは鷹臣の子を産むために買われてきた筈だ。それ以外には何も知らない。

 それ以外に理由がある筈が。それに、鷹臣が『消える』とはどういう……。

 冷たい感触が頬を頬に覚えた。気が付けば、斎が両手でかさねの頬を包み込むようにして覗き込んでいる。


「鷹臣の為に駆けるあなたはうつくしかった」


 恐怖に耐えながらも、鷹臣を想う心を力と変えて離れへと駆けていったかさね。

 その姿はとても美しくて心惹かれたと死神は謳うように口にした。

 でも、と男は笑いながらいう。


「それならば。鷹臣の為に泣くあなたは、どれほど美しいだろうね……?」


 覗き込む蒼銀と、かさねの黒が、真っ直ぐに交差する。

 その途端、背筋が凍り付くような、強烈な恐怖を覚えたかさねは、気が付いた時には斎を振り払っていた。

 きょとんとした表情の斎は何時も通りに見えるけれど、違うのだ。

 もう、かさねの目には斎が今までのようには見えない。

 かさねを現世から見えない暗い世界へと引きずり込もうとする、恐ろしいものにしか見えない……。

 少しだけ傷ついたように溜息をついた斎は、かさねに向き直ると告げる。


「あなたは、私の花嫁になる為に生を受けた。そして、その為にこの屋敷に『帰って来た』」


 今まで言い続けてきたように、斎はかさねを花嫁と呼ぶ。それが動かせぬ真実であるように語る。

 少しでも言い返そうと口を開きかけたかさねが、再び凍り付く。

 斎は今『帰って来た』と言わなかっただろうか。

 かさねは、この屋敷に買われてきたのだ。戻って来たのではない、帰って来たのではない。

 かえってきた、その言葉が成立する為には、かさねがかつてこの場所に在ったという事実が必要になる。

 かさねは、かつて赤ん坊の頃に……嘉臣が生まれた時に、離れを訪れただけだ。

 その後は、かさねはあの村で育った。

 この男と同じ蝶を従える『蝶憑き』として忌まれながら、全く似ていない父母と共に。

 先の『胡蝶』であった叔母の事を何も知る事なく、不思議な『よひら様』のご加護を受けながら育った。

 心が騒めいて止まらない。そんな事がある筈ないと思うのに、言いようのない不安が止まらない。


「燁子はあなたを『形代』と呼んでいたが、的を射ているよ。あなたは、形代の……人形から生じた血筋なのだから」


 かさねの裡なる揺れを読み取ったように、斎は愉快そうに言う。

 絶対的な真実を知っているのに、敢えて口にせず焦らしているような意地悪な笑みを浮かべている。

 聞きたいのはそれではない。いや、聞きたくない。

 相反する心はそれぞれの方向にかさねを引こうとする。

 心の天秤は揺れに揺れ、もはや平衡に留まる事を知らない。

 斎は心から愉しそうに笑みを口元に刻むと、ゆっくりとそれを口にした。


「あなたは、紫園の娘だよ。間違いなく、あなたは先代の子だ」


 かさねの顏から完全に色という物が失せる。

 有り得ない、それが脳裏を埋めつくしている。そんな事がある筈がない。

 田舎の卑しい村娘が、紫園家の娘で有る訳がない。

 それならば、かさねは誰から生まれたというのだ。

 先代の妾はかさねの叔母一人だけだったはず。

 先代は、誰にも知られぬよう他の女に子を産ませたと言う事になるではないか。

 母が不貞を働いたわけがない。それも姉が……嘉臣の母が世話になっている相手となど。

 嘉臣。あの、兄を慕う人の好い青年の。

 そういえば、自分は彼を最初に見た時、誰と見間違えかけたのだったか……?

 考えかけて、思い出しかけて、かさねは弾かれたように身を翻す。

 斎が笑みを浮かべたまま黙って見送っているのを背に感じながら、かさねは一心に駆け続けた。

 何事かと問うタキや女中達を振り切って走り抜け、自分の部屋へと辿り着いたと思った瞬間、力なく床に座り込んでしまう。

 有り得ない、有り得ない……!

 その言葉はぐるぐるとかさねの中を空回りするばかりで、明確な音として唇から紡ぐ事が出来ない。

 何故と問うても、自分を叱咤しても、出来ない。

 有り得ない、認めたくない。

 斎の言葉が正しいのならば。生じた仮説が正しかったというならば。

 自分が本当に紫園家の血筋であり、先代の娘であるというならば。

 かさねの主であり、愛しいと思う唯一人の人は。


 鷹臣は、かさねの兄だ――。

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