亡霊たちは哭く

『ああ、見つけた』

『それがあれば。それさえあれば』

『あいつを殺せる』


 かさねは弾かれたように振り返る。

 誰かが居るはずがない。かさねは一人でここに来た。

 女中がかさねを探しに来たのかとも思ったけれど、人の気配を感じない。

 それに声が聞こえた瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 振りむいた先には誰もいない筈だった。否、ただ見ただけではそう思っただろう。


 けれども、怪訝に思い顔を歪めた瞬間、見てしまった。こちらに恨めしげな眼差しを向ける、青白い女達の姿を……。


 ゆうれい、と思った瞬間恐怖を露わにした表情のまま凍り付いてしまう。

 女達はかさねを取り囲み、泣き喚きながら言い募る。


『私の娘は生きる事を許されなかったのに』

『どうしてお前は生きているの』

『お前だって殺されるはずだったのに』


 かさねは呆然とした面持ちで、まるでかごめかごめの遊びでもするように、自分を取り巻き巡る女達を見ている。

 何を言われているのか分からない。何故と問われても、分かる筈がない。

 分からないのに、人ならざる世界の女達はかさねを責めるのだ。


『私のあの子は殺されたのに……!』

『ここで生まれたのに、殺された……!」


 徐々に女の数が増えていく。幽霊達は漣のように呻き、叫んでいる。

 女達は子を産んだ。けれども、その子供は殺されてしまった。何故、誰に。

 そもそも、この女達は誰なのだろう。皆揃って顔かたちは美しいけれど、憎悪に歪んでしまって恐怖しか与えない。

 この女達は誰なのかと問い続けて、怖ろしい可能性が脳裏に閃いた。

 この場所は代々『胡蝶』に与えられたものである。

 此処で子供を産めるのは『胡蝶』だけ。

 女達の子は、この場所で生まれた。そして子は殺され、女達は此処に留まっている。


 もしかしたら、まさか。

 ――このひとたちは、今までの『胡蝶』なのではないだろうか……。


 紫園家には跡継ぎ達とは違う子供が生まれていたと言う事なのか。

 けれど何故、その子供を殺す必要がある? 跡継ぎ以外に、子は何人あってもいい筈だ。

 跡継ぎが無事育つ保証はなく、まだまだ子が夭折する事が多いのだから。それなのに、何故。


 その瞬間に、不意に蘇るのは蒼銀の死神の姿だった。

 彼は何故この地に留まり、紫園に縛られている。

 それは彼が交わした約束が未だに果たされていないからだ。そして、その約束とは。

 かさねは目を見開いた。色を失って白い頬を冷たい汗が一筋、二筋伝う。

 まさか、と知らぬ内に呟いていた。

 女の一人が刀に手を伸ばしたと思えば、雷撃のような光が走って弾かれる。

 符が淡い光を帯びているところをみると、現世ならざる存在はあの刀に触れられないらしい。

 無念の呻きがその場に満ちる。恨めしいと呟いていた女達は、一斉にかさねを見る。


『お前がこの刀をとるの』

『お前が、死神を殺すのよ……!』


 女達が青白い手を次々とかさねに伸ばしてくる。

 形を持たぬ手が触れる度に凍り付くような冷たさを覚えて思わず悲鳴を上げた。

 何かが入り込んで来ようとする感覚を覚えて、必死に藻掻く。

 かさねの蝶が内から解き放たれて女達に向かっていく。

 けれども、それに払われながらも女達はかさねに手を伸ばす。抗い続けても、女達は尚もかさねを責めながら近づいて来る。

 必死にかさねはその場から逃げた。否、逃げようとした。

 しかしどれだけ駆けようとも、何故か入口に辿り着けない。

 走っても走っても、何故か辿り着くのは入口ではなく刀がある奥座敷。

 閉じ込められてしまったのか、とかさねは愕然とする。

 女達はかさねににじり寄ってくる。力が抜けて膝をつきかけた時、切り裂くような鋭い叫びがその場に響いた。


「かさね! こちらだ!」

「斎……!」


 少し離れた場所に、大きな切れ目のようなものが生じていた。

 そこから手を伸ばしているのは、先程別れた斎だった。

 何時もののんびりした様子はない。切羽詰まった形相で、必死にかさねに手を伸ばしている。

 蒼褪めつつある端正な顔には、玉のような汗が伝っている。

 斎の姿を見た女達が、一斉に形相を変えた。

 憎悪の眼差しを向けながら、殺気だった女達は喚き始める。


『死神、死神……!』

『お前が、お前が花嫁など望むから……!』


 幽霊たちはかさねから離れて、斎のもとに殺到しかけた。

 けれども斎が手を振るうとその場に旋風が走り、女達は吹き飛ばされる。

 打撃は浅からぬようだが、女達は呻き声と共にまた斎に向かっていこうとしている。


「早く! 私とてそうもたない! 早くおいで……!」


 何がどうなっているのか分からない。

 けれども、今はその声こそが唯一の道であると信じて、かさねは畳を蹴った。

 伸ばされた青白い指が後ろ髪を掠めかけたのと、かさねが斎の手を取ったのはほぼ同時。

 次の瞬間、かさねの姿は離れから消えていた。

 残されたのは、恨みに呻く女達の霊と、意味ありげに据えられた刀だけだった……。




「いやあ、我ながら無茶をしたものだ」


 斎の手に触れたと思った次の瞬間、気が付けば庭園の何時もの石碑の側に居た。

 斎は地面に座り込みなが大仰に肩をすくめ、傍らでかさねが荒い息にて同じ様に座り込んでしまっている。

 二人は、暫く揃って何とか息を整えようと必死だった。

 やがて、かさねより先に調子を戻したらしい斎が、かさねの問うような眼差しを受けて口を開く。


「……あなたが居たから、辛うじてこじ開ける事ができたのだよ。まあ、かなり無理はしたけれどね」


 確か、斎は離れにだけは何もできないと言っていたのを思い出す。

 けれども先程、かさねを助け出した。彼の言葉によれば、かさねという存在を使って何かしたらしい。相当な無茶であったのは疲弊ぶりから分かる。

 かさねの裡は、助かったという安堵よりも、何故という問いだらけだった。

 見つかった日記帳の主。あの場所に居た女達。

 子を失った女達がかさねに向けた怨嗟。

 そして、封じられていた刀……。


「でも、あそこにあったとはね。『あれ』を、私を弾く術の源にするなんて、大した皮肉じゃないか」


 平素の柔和な様子は何処へ消えたというのだろう。

 悪意に彩られた酷薄な笑みを浮かべながら、死神と呼ばれる青年はわらう。

 皮肉交じりに感心したような言葉を口にする斎を、かさねは凝視してしまう。

 斎はあの刀を知っている。そして、何故あの場所にあるのかにも気づいた。

 幾つもの問いがぐるぐるとかさねの裡を巡り続けて形にならない。何を聞きたいのか、何を問えばいいのか。

 そんなかさねを見た斎は、優しく、それでいて底無し沼のような深い笑みを浮かべて言った。


「私はね、謀られていたのだよ」

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