蝶の決意

 言葉を失くすかさねに、斎は笑んだまま首をゆるく傾げて問いかけてくる。

 かさねは思わず唇を噛みしめて俯いてしまう。見透かされた事に心が揺れている。

 揺れる心を落ち着けようと試みながら、脳裏に過るのは自分を腕に抱いた鷹臣の言葉。


『お前を死なせたくない……。お前を、失うなど……』


 あの日、かさねを抱きながら休もうとした鷹臣が、かさねを見つめながら紡いだ言葉。

 真摯であり、悲痛な願いの籠った鷹臣の願い。それは、今はかさねの願いでもある。

 覚悟を決めてここまで来た身である。自分の為に命が惜しくなったわけではない。

 ただ、自分を求めてくれる人の為に在りたい。彼がそれを望んでくれるというのなら、鷹臣の為に死にたくない。

 しかし、当主の子を産んだ女は例外なく子と引き換えるように命を落すのが紫園家の倣いであり、呪い。

 紫園の主を死神に呪われていると揶揄させる、今まで連綿と続いてきた悲劇である。

 その原因は、根源は、おそらく。

 かさねは顔をあげて、真っ直ぐに斎の蒼みを帯びた銀の眼差しを見据えて問う。


「貴方が縛られている理由を知りたいの」


 そこに、紫園家を――鷹臣を縛る呪いの根源があるという確信があるから。

 斎は正面から問いかけられて、困ったような苦笑いを浮かべながら息を吐いた。恐らく、何を問われるのか予想していたのだろう。


「それについては、前に触れたような気もするのだけどね」


 そう、斎は以前語ったのだ。斎は紫園の血筋から花嫁をもらうと約束したのだと。

 しかし、遥か昔に為された約束であるというのに、今に至るまで果たされていない。

 それ故に斎は何処にも行けない、そう話していた。

 しかし、何故約束は果たされていないのか。それは、花嫁となり得る女児が生まれていないからだ。

 不自然だと思ったのだ。一代二代なら女児が生まれない事はあるだろう。

 けれど、斎が紫園の主と約を交わしてからかなりの刻が流れているという。そこまでの永きに渡り生まれないなどあまりに不自然である。

 女児が生まれなくなった理由が何かあるのではなかろうか。

 その理由が明らかになったならば、いずれ女児は生まれ来る。

 そして女児が生まれ、斎が花嫁を得る事ができたら。約束が果たされ、斎が解き放たれたなら。

 紫園は……鷹臣は呪いから解放されるのではないだろうか……?

 過度の期待は禁物と自分を戒めていても、生じた微かな光にかさねの心は揺れる。

 瞳や表情にそれが表れていたのだろう。かさねを静かに見つめていた斎は、やや複雑な面持ちでまた一つ嘆息してみせる。

 そして、ある方角を指さして口を開いた。


「子が生まれるのは『胡蝶』に与えられる離れの中。私はあそこにだけは干渉できないし視る事もできない」


 白く滑らかな指が示す方角にあるのは、代々『胡蝶』と呼ばれた女達に与えられた、彼女達の終の棲家となったという離れである。

 離れの主となって、生きて離れを出られた女は居ないというならば、まるで監獄のようだと皮肉に思ったこともある。

 斎はその離れで起きる出来事だけは知り得ない。確か以前にそう言ってもいた。

 離れには何かがあり、斎を阻んでいる。その何かは恐らく、女児が生まれない原因に通じている気がする。ただの勘ではあるが……。

 斎は遠くを見つめる眼差しで離れの方角を見据えながら、更に続ける。


「離れ以外で子を産ませるように言った事もあるけれど、聞き入れられなかった。……無理強いも出来なくてね」


 言って聞かせられるのは鷹臣だけだ、と肩をすくめて嘆く斎。

 斎は紫園の血筋には無理やり言う事を聞かせる事が出来ないだろうか。鷹臣がそれに当てはまらないというのは……?

 鷹臣が斎に見せる不思議な態度や、斎の鷹臣に対する気安さ故だろうか。

 厳しい眼差しを向けたかと思えば、持って行ってやれと甘味を律儀に買ってくる鷹臣。

 何だかんだで我儘を許してしまっている自分を苦々しく思っている様子だが、鷹臣は斎を拒絶しきっていない気がする。

 そして、そんな鷹臣を語る斎はとても優しく見える事がある……。


「何かあるとすれば、あの場所だけれど……」


 その言葉と、かさねが身を翻したのはほぼ同時だった。

 形ばかりの挨拶を口にして駆けだしかけたかさねの背に、斎は戸惑った声音で言葉をかける。


「行くのかい? ……やめておいたほうが良い。あなたにとって良くない場所だ」

「良くない場所だとしてもいいの。……私は知りたい……もう、恐れてほしくない……!」


 かさねには斎が今どのような顔をしているのかを見る事が出来ない。

 戸惑いの声音から想像するのは、少しばかり哀しげな表情。

 何故か心が痛み、生じた心の揺れがかさねの足を止めようとする。

 しかし、かさねはそれと僅かばかりの未練を断ち切るように走りだす。

 自分にとって良くない場所だという不思議な確信と、感じる得体のしれない恐ろしさも、確かに胸の裡には存在している。

 けれども、それ以上に呪いを解く手がかりとなり得るものがあるかもしれない、という可能性の方が重かった。

 もうこれ以上鷹臣が哀しい思いをせずに済むというのならという想いは、駆ける足に力を与える。

 かさねは振り向かず、一心に駆け続けた。



 駆け去る背を黙したまま見送った斎は、暫し静寂の中に佇んだ。

 やがて、くすくすと笑い声が形の良い唇から零れ、やがては高い笑いに転じる。

 斎は愉快で仕方ないと言った風で、笑い続けた。


「ああ、そんなに鷹臣に焦がれているのか。私の花嫁であるあなたが」


 彼の為であれば自分の危険など省みる事なく。彼の心が安らかであるようにと願う心が力となる程。

 目に涙すら滲ませながら、死神はわらう。

 心の奥から暗いものが湧き上がりかける。それは笑みに滲み、やがて斎は声をおさめると静かに微笑んだ。


「ああ……あなたは、本当にうつくしいね」


 焦がれる声に呼応するかのように蝶が舞う。

 斎の心の裡を表すかのように、何かを求め、舞い狂う。


「知りたいね。……あなたが、どんな風になくのかを」


 死神の手に、彼の人の命綱はある。

 与えた猶予は一年間。砂時計の砂は止まる事なく今この時も落ち続けている。

 壊してやってもいいけれど、と言いかけた後に死神は笑う――約束は、守られなければね、と……。


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