第36話 仲違いとカスパー (第九章完)

 エルフィン、ショーカ、カスパーに兵法を教え始めてひと月が経った頃。エピオーネに従っていた中小国のハンプシャーとジャージーが相次いでユーハイム公国の庇護を受けたいとの使者を送ってきた。

 もちろん勢力拡大は望むところなのだが、これを受け入れることはエピオーネとの全面戦争を意味していた。


 言うまでもなく、国力はエピオーネはユーハイム公国とジロデ公国を合わせたものより大きい。正面切って戦えば、敗北は必至だった。

 またカスパーの扱いに気を使わなければならない。いくら兵法を学びたいという一心でかなのもとで修行していても、元はエピオーネのちょう|隊隊長である。彼女をエピオーネに送り返すべきか、人質代わりに留め置くべきか。その対処次第で状況が一気に変わるおそれがある。


 まずエピオーネに送り返す場合、リスクとしては初歩といえども兵法が流出し、兵法対兵法の戦になる可能性があること。利益はエピオーネとの全面対決となった場合に、配慮する必要がないこと。


 人質代わりに留め置く場合、リスクはユーハイム同盟内部に猜疑心が宿り、割れる可能性があること。利益はエピオーネ人であっても厚遇することでかえってユーハイム同盟にひびが入らないこと。


 将来的にエピオーネと仲良くしたいのであれば、ここでカスパーを送り返してしまうよりも、留め置いて手駒にしたほうが得である。

 ユーハイム公国とエピオーネが真に統一された同盟関係、統一国家樹立を考えたら、あえて亀裂を深めるよりも糸をつなぎとめておくほうが有効である。


 あとはカスパー本人の意向次第だ。

 さっそく三人を軍師の執務室へ呼んだ。


◇◇◇


「というわけで、今回のハンプシャーとジャージーの庇護を認めてしまうと、エピオーネと敵対することになる。そこでカスパーさんの立ち位置がひじょうに微妙なものになるのだが。エピオーネとしては戦に輜重隊がいないのは論外なはず。おそらくは本国から帰還命令が出ていると思うのだが」

「輜重隊は副長にまかせてきました。私がいなくても支障はございません。それに私は兵法を学びたくて軍師殿のもとへ参ったのです。兵法を習い終えるまでここを離れるつもりはございません」


 これにショーカが反応した。

「それではエピオーネとユーハイムが戦うことになったら、カスパー殿はどちらにつくつもりですか」


「私はどちらにもつきません。もし態度を明確にするよう求められたら、今はユーハイム公国側に立つとだけ申しておきます。軍師殿の弟子である以上、師匠である軍師殿に従うのが道理だからです」

「その言葉は嬉しいが、それではエピオーネに帰りづらくはならないか。軍師殿のそばにいてエピオーネをかばっていた、というような情報を流すこともできると思いますが」


 やはりショーカは政治のバランス感覚にすぐれているな。

 彼が同盟の首座につけばすべての国を平等に扱えるだろう。

「軍師殿はどうお考えですか」


「俺はカスパーの意志を尊重する。帰りたいといえばこちらが不利になるとしても帰らせる。少なくとも未熟な兵法はかえって危険であるという言葉もある。兵法のすべてを上げて戦えば、敗れる道理もない」

「生兵法は大怪我のもと、というやつですね」


「そうだ、ショーカ殿。兵法を完璧に身につけなければ、かえって兵法の餌食となる。だからカスパーが帰りたいと言い出しても止めることはしない。それに」

「それに」

 カスパーの刺すような真摯な視線を感じた。


「一度友誼を結んだ者と別れるのはあまり気持ちよいものではない。もといた世界の友人と離れ離れになったことを、俺は今でも後悔している。偶然にしろ必然にしろ、カスパーさんと知り合えたのは俺の人生に彩りを与えてくれている。これからも弟子として豊富な識見を活かしてもらいたい」

「弟子として、ですか」

 カスパーの視線に陰りを感じたものの、あえて無視をした。


「では、カスパーさんは軍師殿に従うのか、帰国するのか。お気持ちは決まりましたか」

 数瞬目を閉じたカスパーは踏ん切りをつけるように瞠目した。

「私は軍師殿のもとに残ります。軍師殿のおっしゃるリスクと利益を秤にかけた結果です」


 ここまで沈黙していたエルフィンが口を開く。

「そうだな。ここに残れば兵法を学び終えて軍師となることもできる。帰国したら内通者と疑われて軟禁されるかもしれないし、二度と兵法を学ぶ機会は回ってこないかもしれない。どちらが得か、自明だな。それに」

「それに」


「軍師殿ではないが、私もカスパー殿とは友誼を結べている。友と別れるのはたいへん惜しい。私でなくても、ここにいる男性ならあなたの夫はじゅうぶん務まるでしょうし」


「い、いえ。未来の夫を探しにきたわけではありませんので」

「軍師殿、本当にカスパーさんを残らせてよいとお考えなのですね。あなたがそうお考えならわれわれは従うのみですが」

 ショーカの問いに奏多は軽く笑ってみせた。


「だいじょうぶです。カスパーさんは裏切りませんよ。それが兵法として最悪手であることはここまで学んでいればすぐわかりますからね」

 そう。ここまで兵法を習っていながら途中で放棄するのは、ただ時間の浪費であることは火を見るよりも明らかだ。

 せっかく来たのだから、修了するまでは居残る覚悟を持って当たり前だ。


「それでは、ハイブ公爵閣下のもとへ赴き、詳しい内容を聞こうか。ハンプシャーとジャージーの言いぶんや待遇面での交渉もあることだしな」

 二国がどんな見返りを求めて庇護を受けに来たのか。それにより二国の後ろにいるものの存在にも明らかになるはずだ。




(第九章完結。次話より第十章スタートです)


────────


 ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。

 本作はすでに第一稿が完成しており、期間内での完結を保証致します。


 面白かったと感じられましたら、ハート評価や★評価、フォローなどしていただけますと、連載が捗ります。

 ほどほどかなと思いましたら、エピオーネを真に降すための戦がまもなく始まりますので読み進めていただけたらと存じます。

 それまでは戦闘準備に奔走しますので、ここをしっかり把握すると兵法が好きになるはずです。

 皆様に兵法物語を楽しんでお読みいただけたら幸甚です。




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