第30話 小競り合いと調練
カスパーがエピオーネ国から正式に兵法を学ぶ人材としてやってきた。ジロデ公国のショーカことユリウスクラフトもユーハイム公国を訪ねてきた。
これでようやく兵法を教え込む準備が整った。
そこでまずは調練の仕方を見せることにした。エルフィンとデュバルは見慣れているが、カスパーもショーカも初めて見る光景だろう。
音の組み合わせによって軍にさまざまな行動をさせるさまは、魔法のようにも見え、ダンスのような華やかさも放っていた。
「これが軍師殿の練兵ですか。戦場でも感じましたが、音で合図を送るとは考えましたね」
カスパーが大いに感心していた。
この世界では魔法のメガホンがあるため、兵士に直接語りかけることができる。しかし、いつ魔法が封じられるかわからない。その用心も兼ねて太鼓や金鼓などで行動を指示する必要があるのだ。
「それにしても、打ち方ひとつでこうも行動が変わるとは。まさしく魔法ですね」
ショーカも興味深げに見入っていた。
音による行軍は昼夜を問わない。旗指し物で合図すると、夜には動きがとれなくなる。
無線やスマートフォンでもあれば、小隊ごとに細かな動きを教え込めるが、ここは剣と魔法が支配する異世界である。そんな便利なものは存在しない。
せいぜい魔法のメガホンがいいところだ。
「音による行動は、まず撤退の合図を教えるのです。先に突撃の合図を教えてしまうと、兵たちに使い捨てにされているような悪印象を抱かれます。撤退が先なら兵たちは自分たちの命を最優先にしてくれていると感じて、将軍の命令に素直に従うようになります。この順序をけっして間違わないように」
ショーカは要点を紙に書き留めていく。
もしかしたら、このような形で『孫子』は著されたのかもしれない。
司馬遷『史記』によると、孫武は兵法十三篇を書き表して会談前に呉王へ届けて謁見したとされている。
しかし、実際に練兵したり行軍したり交戦したり。その時々で行動の指針を語って聞かせた可能性もあるのではないか。
今のショーカのように、孫武が語った内容を書面で残せば、後世に伝えることもできるからだ。
「それではひとりずつ実行してみようか。まずはエルフィン殿から」
エルフィンが指揮台へ上がると、真っ先に声を発した。
「全軍撤退せよ」
勇ましい声に応えるように、兵たちは整然と密集し、順次後方へと退いていく。
「全軍止まれ、反転攻勢用意」
兵たちは後退をやめて武器を正面に構えた。
「全軍突撃せよ」
ただちに鬨の声があがり、猛然と前進を始める。
「全軍止まれ」
その声に合わせてぴたりと行動が止まった。この様子を見たエルフィンは満足げだ。
「ここまで仕込むには毎日の積み重ね肝要だな。軍師殿が欠かさず練兵しているのは、兵たちに忘れられないようにするためなのか」
「その要素が強いな。他にも、誰が軍を統率しているのかを知らしめるためでもある。今までは俺以外に兵を動かす者を置かなかったが、ジロデ軍、エピオーネ軍もそれぞれ統一された将軍を置くことで、兵たちは迷わず行動できる」
続いてショーカ、カスパーの順に試していく。そして自分が下した命令が忠実に実行されていくさまを見て、大いに満足したのだった。
「今日は音による調練だけを反復しようか。兵法の第一は将軍の思いどおりに兵を動かすことだ。自国へ戻ったら真っ先に教え込むように。あと合図は私たちと揃えてもらえるかな。たとえ一国の将軍が倒されても、他の国の将軍が指揮権をとって戦闘を継続できる。合図がバラバラだと統一された行動はとれないからな」
行軍のパターンは数十にも及ぶため、それを憶えるにも時間は必要だ。だから毎日調練しているのだ。強い軍隊は一日では作れない。毎日の積み重ねがものをいう。
「これほどまでに統一された行動は見たことがありません。よほど毎日真剣に教え込まれているのですね」
つねに整然と行動するユーハイム公国軍を見て、カスパーは奏多の手腕を高く評価したようだ。
ショーカも音の響かせ方を詳しく書き記している。これなら兵法を教え込むのにも都合がいい。
◇◇◇
それからひと月の間に兵法の理論を徹底的に叩き込んだ。
数の多いほうが少ないほうに勝つ。充実しているほうが疲れているほうに勝つ。整っているほうが不揃いなほうに勝つ。
この大原則を実戦レベルで発揮できるように、さまざまな状況を想定して教えていく。
もし敵のほうが数にまさるのなら、相手を分散せざるをえなくして、局所的に数が上回るようにする。
敵が整然と隊列を並べているのなら、予測しないところへ打って出て戦況を掻き乱し、敵の態勢を崩せばいい。
そういった細かな状況に対してどう兵を動かせば大原則に適うのか。それを徹底して理解させるのである。
兵法の理論は、大原則をいかにして実現するかの用例集である。
エピオーネに勝ったのも、充実しているユーハイム同盟軍が、長駆して疲れて到着したエピオーネ軍と戦ったからだ。
もし同じ土俵で戦っていたら、数の多いエピオーネが勝って当たり前。
奏多はエピオーネの知らぬ間に土俵を変えてしまったのだ。それに気づかなかったエピオーネは負けるべくして負けたといえる。
カスパーに火炎魔法を実践してもらい、どういう脅威になりうるのかも把握する。スタニスラフの雷電魔法は、対抗する魔法が存在しないとされている。
エピオーネの火炎魔法とユーハイムの水氷魔法は互いに作用するため、対抗手段として役立つ。だが雷電魔法は対抗手段を見出しづらい。
いちおう地面を濡らすこで漏電の機能を持たせることはできるだろう。
それでも電撃が体内を通ることに変わりはないので、戦闘不能に陥る兵が増えるはずだ。
スタニスラフが攻めてくるまでに、なんとかして雷電魔法を封じ込める手段を考えなければならなかった。
スタニスラフを牽制するために木製だが急ごしらえの要塞を大河を堰き止めて作ることを考えた。もしスタニスラフが南下してきたとき、迎え撃つ拠点が必要だからだ。石造りのほうが防御力は格段に上だが、建設に時間がかかりすぎる。
今はスタニスラフを牽制できればいいので、丸太を寄せ集めた要塞でも不都合はないはずだ。
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