第三章 ジロデ公国との戦
第9話 ジロデ公国と鶴翼陣
軍師の執務室へ男女計十名が現れた。彼ら彼女らがユーハイム公国の間諜だろう。ただ、どうもしっくりこない。
「あなたが新しく軍師となったカナタ様ですね。ずいぶんとお若いようですが、軍略には通じているとお聞きいたしました」
「俺は異世界人だからな。こちらとは異なる兵法を学んできた。それにしてもユーハイム公国の間諜はこれだけではあるまい。すでに各国へ送り出されている者もいるのではないか」
奏多の疑問は当然である。
大陸には大小合わせて三十の国があり、それぞれに間諜を配したのであれば、最低でも三十名が必要だ。
ユーハイム公国に間諜を放たなければ二十九名である。十名では確実に足りない。
「お若いのになかなか目のつけどころがよろしいですね。すべての間諜を把握しているわけではありませんが、総数で百名ほどいるようです」
先ほどから皆に先立って話をしているこの男性が、この場にいるなかでのリーダーなのだろう。
「わかった。他の者たちにも接見する日が来るだろう。ここにいる者はユーハイムの情報を管理していると見てよいのか」
「おっしゃるとおりです。われわれが軍部や国政、市井に耳を傾けてユーハイムの者たちを監視しております。治安がよいのはひとえに私たちの働きによるものです」
「もしかしてだが、治安を維持する組織にも情報を流しているのではないか」
「ご
こちらの世界にも警察が存在するのか。
日本語でしゃべっていることからしても、やはり過去に幾人かの日本人がこちらに来たのは間違いないだろう。
「わかった。皆に問いたいのだが、俺が軍師となったことで間諜を辞めたい者はいるか」
「いえ、われわれは元々軍師付きの間諜です。主が変われど仕事には影響しません。ただ公国のために働くのみです」
つまり俺以外の何者かが軍師についても、忠誠心は変わらないということか。
「それでは、各自持ち場に戻ってもらいたい。だが、こちらへ挙兵しているジロデ公国へ派遣している間諜に偽情報を渡してジロデ公国軍を混乱させたい。誰か適任はいるか」
女性の間諜が挙手をした。
「私が向かいましょう。ジロデ公国との国境付近で活動しておりますので、接触するのも容易です」
「では、まかせよう。ただ、俺はまだこの世界の文字を知らない。これから言うことを文字に起こして持っていくように」
「かしこまりました。すでにジロデ公国軍は動いておりますので、すぐにでもお届けいたします」
これでジロデ公国軍を後方から撹乱する。
それとともに正面から撹乱すれば、勝利は自ずから手に入るだろう。
◇◇◇
「俺がこのたび軍師に就任した奏多だ。前戦での手腕を見ている者は少ないが、俺を信じて行動するように」
兵たちに動揺が走ったようだが、それを察したエルフィンが口を開いた。
「このカナタは歳こそ若いが、異世界から来て軍略に通じておる。その手並みは私をも上回るのだ。皆も私を信じるようにカナタを信じてもらいたい」
動揺が和らいだのを確認して、奏多は話を続ける。
「今回は鶴翼陣を用いる。敵に中央が薄く本営を直撃できるとの幻想を見せて惑わせるのだ」
そろそろジロデ公国軍に対して放った計略が功を奏すはずだ。それまではできるだけ対戦を遅らせるのも作戦の一環である。
そのためにも、なにかあると思わせるために鶴翼陣を選択したのだ。
おそらく戦い慣れていればすぐには攻めてこられまい。明らかになにかを企図するから鶴翼陣のような詭計を用いるのだから。
「カナタ、鶴翼陣とはどのようなものか」
エルフィンが疑問を口にした。日本人が何名かこちらの世界を訪れているにしても、兵法に詳しい者がいたのかまではわからない。だからこそ、エルフィンは口を挟んできたのだろう。
「鶴翼陣とは、中央の本営を後方へ置き、左右の部隊をそれぞれ斜め前に展開する陣形だな」
「その意図するところはなにか」
「案ずるな。戦が始まればわかること。敵にも兵法に詳しい者がいれば、すぐには動き出せないだろう。ゆえにこちらの思惑どおりになる」
「カナタは戦いたいのか戦いたくないのか」
「攻め込まれた以上戦うべきだ。だが、今すぐである必要はない。にらみ合いを続けつつ敵が混乱した隙を突くのが狙いだ。そのための工作はすでに行なってある」
奏多は不敵な笑みを浮かべた。
こうした表情や動作ひとつで兵に自信があると見せつけ、信頼をかちえなければならない。
そしておもむろに軍配を振り上げる。
「これから配置についてもらおう。急ぐ必要はない。敵はこちらが陣形を作っている最中には襲ってこない。時間を稼ぐ意味でもゆっくり陣形を組むのだ」
ユーハイム公国軍は、チルダ湖沼のほとりにゆっくりと鶴翼陣を布いた。
数にまさるジロデ公国軍は、ユーハイム公国軍が本営を置く中央が手薄であることを看破したのだろう。密集隊形をとって中央突破の構えを見せている。
どうやら勝ちパターンにハマったようだ。あとは口火を切るきっかけがあれば両軍が前進して交戦が始まる。
そして敵の本営へジロデ公国側から早馬が駆けつけるさまが見て取れる。
これで勝利は決まったも同然だ。
ジロデ公国軍は是が非でもすぐに戦って勝たなければならない。そのための計略が見事に成功したようだ。
「ユーハイム公国軍。
「おー」と鬨の声があがった。
これで兵は身を守ることに専念できる。
戦う前から勝利は確定しているのだから、あとは生還することだけを考えていればよいのだ。
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