第36話 茶番劇の準備 模写の代価

 駿河するがしのぶに語りかけてきた。


「そういえば、高校時代に小学校へ寄贈した絵が盗まれたんだったな。あのときの担当がうちのたま課長だったんだけど、よしむね憶えているか」

「憶えているけど。そうか、あの刑事さん課長になっていたのか」

 ダンディな佇まいで捜査を指揮していたと記憶しているけど。


「とりあえず、俺たちでも二枚の絵の真贋を見分けるポイントがあるといいんだが」

「それでいて、他人には気づかれない、というのが狙い目ですよね」

「さすが義統くん、察しがいいな」


 そんな都合のよい見分け方があったら教えてほしいものだが、さりとて警察へ無愛想に対応するわけにもいかない。

 それにこの絵を警備するのは彼ら三課の人たちである。


「それじゃあ、ありきたりだけどサインを変えましょう。ほんの少しだけ手を入れますので、少々お待ちください」

 忍は絵筆を持って模写のサインに手を加えた。ほんの少しハネる距離を伸ばしてみた。


「駿河、これでどちらのサインがどう違うか、わかるかな」

「えーっと、確かになにかが違うような気はするけど、どこが違うのかまではわからないな」

「じゃあ変えたところをいうから、比べないでどちらかわかるまで判断できるかな」

「やってやろうじゃないか。で、違いとは」


「サインのこの部分のハネを長くしてみたんだ。ぱっと見でサインはなにかが違うとはわかっても、どう違うのかはわからないはず。でもこのハネの長さを見ればどちらかの区別はつくはずだ」

 駿河の後ろで二枚の絵を見比べていたはままつ刑事とたかやま西せいなんは感心しているようだ。


「なるほど。言われてみれば確かにサインがわずかに違っているな」

「すごい。これほど似せられるだけでなく、違和感が少ないながも微妙に異なるサインを描けるだなんて」

「サインすらこれだけ似せられたら、贋作作家としても仕事ができそうだな」

 駿河のその言葉に忍は反発しなければならない。


「贋作作家なんてご免ですよ。そもそも僕は体育教師であって画家じゃありませんから。あくまでも絵画は趣味以外のものではありません。絵画で食べていくつもりなら美術教師を目指していますよ」

「それもそうだな。駿河、義統くんにきちんと謝れ。絵が描ける人に贋作作家は屈辱でしかないからな」


「義統、すまなかった。貶めるつもりはなかったんだけど。贋作作家は詐欺行為だから犯罪を助長するような不適切な発言だったよ」

「わかればいいさ。とりあえず玉置さんが来るまで一階のリビングでテレビでも観ていようか」


「そうですね。玉置さんという方が来られるまでは手持ち無沙汰ですし、テレビでも観ていましょうか」

 高山西南が同意した。

 地下のアトリエを出て、一階のリビングへ場所を移し、玉置課長の到着を待つことになった。


◇◇◇


 ピンボーン。

 玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると玉置さんが立っていた。


「お久しぶりです、玉置さん。憶えていらっしゃいますか」

「ああ、義統くんだね。五年ぶりくらいかな。元気にしていたかね」


「はい、おかげさまで体は丈夫で病気もせず暮らしております。玄関での立ち話もなんですので、ぜひお上がりくださいませ。駿河くんと浜松さん、依頼人の高山西南さんもいらしております」

「それじゃあ上がらせてもらおうか」

 玄関で靴を脱いでスリッパに履き替え、まずは皆が待っているリビングに着いた。


しな、ここで打って逆転だ」

 駿河は野球中継に夢中だ。

「玉置課長、お待ちしておりました」

「浜松、ご苦労さん。駿河はテレビにかじりついているようだな」

「おい、駿河。課長がお越しだぞ」

 浜松の指摘で我に返った駿河は、立ち上がって玉置さんに振り向いて敬礼をする。


「お早いお越し、誠にありがとうございます」

「どうやらもう少し後になってから来たほうがよかったようだな」

 テレビを観ていて課長が来たことに気づかなかったとは。

 やはり駿河はまだまだ一流の刑事には程遠いな。


「いえ、課長の貴重な時間を損ねてしまいました。反省しております」

「それじゃあ義統くん、模写のあるところへ案内してくれるかな」

「はい、こちらです」

 今度は玉置を含めて地下のアトリエへと降りていった。なかに入ると並べられた二枚の絵を見て玉置は度肝を抜かれたようだ。


「これは、どちらも素晴らしい出来だな。義統くん、これどちらかが模写だと浜松から聞いていたんだが、どちらがマスターか把握できているのかい」

「はい、右側がマスターです」

 玉置は右の絵に近寄ると、隅々まで丁寧に視線を走らせている。

「なるほど、この絵にはスキがないな。人魚の左手が若干甘いがこのくらいなら誤差の範囲だろう」

 次に左の絵へ向かっていく。こちらも丹念に調べているようだ。

「左手のデッサンが甘いところも含めて模写したわけか。これだとここで真贋はわからないわけか」

 玉置は感心すること頻りだ。


「試みに聞くが、真贋を見分けるポイントを教えてくれないか」

 鋭い視線を投げてきた玉置に忍が飄々と答える。


「この絵は四箇所だけ元絵と変えてあります。最もわかりやすいのはサインです。しかしこれはサインを記憶していれば区別がつく程度ですので、おそらく見分けるのは至難でしょう。人魚の下半身の鱗で一枚だけ流れをわずかに変えてあります。これも元の絵がわからないと区別はつかないでしょう。というより、本物を見ながら模写を見て、ようやく違いがわかる程度には似せてありますから、怪盗や美術窃盗団、強盗団対策にはなると思います」


「うむ。これは双方ともに名画に違いない。義統くんもまた腕を上げたようだな」

「いえいえ、僕なんかまだまだですよ。昔言ったように、僕は模写しか描けませんから」

「それなら、今回のような予告状で狙われた絵画の模写はすべて君にまかせようか」


「お気持ちはありがたいのですが、僕は都立高の体育教師です。絵にかかりっきりになるわけにはまいりません」


「浜松からも聞いたが、贋作を依頼するなら対価が欲しいということだったな。地方公務員の都立高校教師なら兼職にも当たらないだろうから出せないことはない。ただおいそれと捜査報償費を出すわけにはいかない。捜査報償費はマスコミの監視が厳しくてな。君の素性がバレかねない。まあ私のポケットマネーから内々に謝礼金を支払うくらいなら問題なかろう。そのあたりは本庁で確認しておくよ」


「ありがとうございます。僕としては二時間かけて描いた絵ですから、相応の対価をいただきたいだけなので。それをポケットマネーから支払っていただけるとは恐縮です」

「二時間でこの模写を作ったのか。わかった。それじゃあ事件解決の後に相応の額を支払おう。捜査報償費として出せないか上とかけあってみるよ」

 どうやら玉置課長にも認められたらしい。




(第六章完結。次話より第七章スタートです)


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