第35話 茶番劇の準備 うりふたつ
「ところでこれ、どっちが本物なんだい。どちらも同じに見えるんだが」
まあここまで似せれば無理のない反応ではあるな。
「右下のサインを見てください」
「サインねえ。あ、左のほうにはサインがないな。なるほど、サインの有無で区別できるのか」
「でも、完璧な偽物にするのなら、サインを入れないわけにはいきません。これから偽物にもサインを書き入れますね」
忍は絵の具を筆ですくい取り、右下にサインを施していった。
「うわーっ。これはますますわからなくなりましたよ、おやっさん。どっちが本物で偽物なんでしょうか」
「
「もちろんですよ。三箇所ほど微妙に変えてありますから」
「その三箇所を教えてもらえないかな、義統」
「口に出していうことはできないよ。だって集音マイク付きなんだろう。いつこちらの声を聞いているのかわからないじゃないか」
「そうだった。じゃあ紙に書くとか」
「駿河、お前はすぐズルに走るな。こういうときにしっかりと審美眼を磨かんでどうする」
「でも、おやっさん。今からこの絵をシャッフルしたら、どちらが本物か、区別できますか。そのくらい似ていますよ、これ」
まあ駿河を援護射撃したほうがよさそうだな。
「いちおう九十五パーセント似ているものは描けていますから、元の絵を知らないかぎり区別はつかないでしょう。とくに解像度の低い写真で区別しようとしている犯人ならなおさらです」
「つまり即席の強盗団なら簡単に騙せるってことか」
「はい、
「正直驚きました。ここまで似せるのに二時間ほどしかかかっていないなんて。もし時間を無制限にして本気で模写したら、どのレベルになるのか。空恐ろしいものがありますね」
「これからは、窃盗団に狙われそうな絵はすべて義統くんにまかせたいところだな。騙せたら発信機から逮捕できるし、騙せなくても犯人はあきらめざるをえない。模写があるというだけで犯罪の抑止効果は抜群だ」
「ですが、無料で描かせられるのだけは勘弁してください。かなりの集中力を要しますし、この技術を維持するにもお金が必要です」
「そう言われれば確かにな。これほどのものを用意するのに、タダ働きでは割に合わなさすぎる。上司の
「とりあえず、この二枚をその課長さんにお見せになることですね。ただ、高山様としては、この絵を持ち出されるのは嫌なはずです。もしあなた方が警察でなければ、そのまま本物も模写も盗まれるという最悪の事態も考えられますからね」
「義統。僕が偽物だとでも言うのか」
「少なくとも駿河が窃盗団の一員でないという証拠は残念ながら存在しないからね。仮に浜松刑事も偽物の可能性がある以上、予告状が出されて絵に近づいてくる人はすべて窃盗団と判断してもいいくらいだと、僕は思います」
「ではどうすればいいと」
「課長さんをここへ呼んでください。そして本物と模写を見比べてもらう。そうすればこの場で模写代金の見積もりもできるはずですよね。もちろん経理班の方も来ていただければ振込もスムーズになるでしょう」
「義統、お前絵を仕事にはしないんじゃなかったのか」
駿河の言いぶんもわからなくはない。
しかしこれだけ心血を注いだ模写をただ犯人を捕まえるだけのために書くのは割に合わないこと甚だしい。
「義統くん、君の考えはわかった。今から玉置課長をこちらに呼ぶとしよう。どうせ三課長は暇だからな」
高山
「課長が暇ってどういうことですか。普通、組織は上に行くほど多忙になるものじゃないんですか」
「お恥ずかしい話ですが、強盗などの強行犯は一課の仕事なのです。特殊なものや経済犯は二課。三課は窃盗やスリなどを管轄しているに過ぎないのです。つまり今回久しぶりに三課の仕事が入りました。だから課長としても私たちの聞き込みを参考にして指揮をとることになります」
それでは玉置課長は昼行灯になってしまう。以前会った印象では、切れ者の警察官僚という印象を受けていた。浜松はあえて低めて言ったのかもしれない。
「僕は高校時代に、警視庁の玉置さんという方にお会いしているのですが、同一人物でしょうか」
「同一人物だよ、義統。課長とはお前の話で幾度となく盛り上がっているからな。同級生ってことで才能を買っているんだろうな」
あのときの玉置さんは切れ者だったが、今でもあれだけの人物なのだろうか。
「まあ、課長もお前の模写を見れば、きちんと対価は支払ってくれるはずだ。おやっさん、課長をここへ呼びましょう」
浜松は考えごとをしている。
「そうだな。経費もそうだが、われわれの作戦を報告するにも、実物があったほうが説得しやすいだろう。ちょっと待っていてくれ、連絡をつけてくる」
スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出して書斎を出た浜松刑事は、さっそく話を始めたようである。
しばらく部屋をあけている浜松をよそに、駿河は二枚の絵を見比べている。
「駿河、違いがわかったら褒めてやろうか。かなり難度の高い間違い探しだからね。というより本物との違いはわずかだから、ここから見分けるには描いた人から直接教えてもらう以外にないだろうけど」
じっくり比べていた駿河は、思いついたようだ。
「サインだな。若干形が違うような気がする」
「そりゃそうだ。最後に入れたサインまで一緒だとまったく区別できないだろう。サインはボーナスポイントだよ。それ以外に三箇所違うんだけど、それはわかるかな」
「絶対見つけてやるからな」
ぐぬぬという声が聞こえてくるようだ。
すると、浜松刑事が書斎へと戻ってきた。
「課長がこちらへ来るらしい。義統くんとも久しぶりに話したいらしいからな」
ということはやはりあのときの刑事さんか。忍の技術を高く評価してくれていたが。今回はどう評価されるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます