第30話 茶番劇の準備 警察の再訪
ガチャリと音がしてロックが解除され、正門が自動で開いていく。
「前にも感じましたが、たいしたお屋敷ですよね。田園調布にこれだけの坪数だと、いくらくらいするんですかね」
駿河は好気に満ちた目つきをしている。まだまだ腹芸ができるだけの経験はない。
警察は相手に感情を読まれてはならない。相手の偽証を誘発するおそれがあるからだ。
こちらに気に入られようとしたり、こちらが想定している答えを見透かして嘘をついたり。だからこそ、警察とくに取り調べを司る刑事は、相手に感情が読まれてはならないのだ。
「駿河、浮かれるな。ここは戦場なんだぞ。覚悟を決めて相手と対峙するんだ」
「はい、おやっさん」
今年度配属されたばかりの駿河が浮かれるなというのも無理な話かもしれない。
ただでさえ出動が少ない捜査三課である。強盗事件は捜査一課の担当であり、三課は窃盗などの軽微な犯罪を担当している。今回のように三課を名指しでもされないかぎり、他課の応援をすることが多い。
「ですが、予告状に対応するなんて、ついに僕たちの本領を発揮できていいじゃないですか」
「馬鹿野郎。本来なら俺たちが出向かないように治安を維持するのが警察の役割だ。それができていないのだから、本領発揮もへったくれもない」
本宅である館の入り口までやってくると、ドアが開いた。
「お待ちしておりました。どうぞお入りください。狭い家で申し訳ないのですが」
若い男性が気安い雰囲気で挨拶する。これだけ広い邸宅に住んでおいて「狭い家」は嫌味にしか聞こえないが。
まあ自慢をしているふうでもないので、そこはスルーしておくほうが親しい関係を築けるだろう。
「なかなか立派なお屋敷ですな。玄関も佇まいがいい。しっかりと設計されたのでしょうな」
「そうですね。建築士さんと相談しながら決めました。家は建てる前がいちばん楽しいものですね」
プラモデルも作る前がいちばんワクワクして、作り終えると飾っておくだけだからな。これから形になるというワクワク感は戻ってこない。
「やはり何事も準備をしている段階がいちばん楽しいものですな」
「そうですね。キャンプに行くのも、誕生会を開くのも、準備しているときがいちばん楽しいですね。こちらです」
高山西南の案内で応接間へと通された。
「どうぞお座りください。今お茶をお持ちいたしますね」
「いえ、お構いなく」
そう伝えたが、高山西南は廊下へと出ていった。
「この絵、すごいですね。前に来たときとは違う絵ですよ。有名な画家の作品でしょうか」
駿河は応接間に飾られた富士山の絵をしげしげと眺めている。
「相当質が高いな。だがサインを見るかぎり、有名とは言い難いが」
「でも応接間に飾るくらいですよ。きっと高かったんだろうなあ」
「お前も三課の一員なんだから、絵画の勉強くらいもっとするんだな。犯人を捕まえたとき、持っているのが本物か偽物かの区別がつかないと、現行犯での逮捕も難しくなるぞ」
「わかっていますよ。きちんと研修も受けているじゃないですか」
浜松が駿河にもう一言告げようとしたところで、高山西南がお茶のペットボトルをふたつ持ってきた。
「すみません。男の独り暮らしですから、お茶っ葉なんて買いませんので。ついペットボトルに頼ってしまいます」
「あ、それわかります。僕も急須と湯呑よりペットボトルですね」
「警察では急須と湯呑の用意はないのですか」
「いや、警視庁では経費でお茶っ葉と急須は用意されています。湯呑は各自が持ち込むんですけどな。この駿河が言っているのは自宅の話でしょう」
「浜松さんのおっしゃるとおりです。ペットボトルは自宅用でして」
駿河は照れ隠しのように頭を掻いている。
「立ち話もなんですのでお座りください」
高山西南はふたりの刑事の向かい側に座った。それを見てから浜松と駿河はソファに腰を下ろした。
「警視庁に届いた窃盗の予告についてなのですが。われわれに予告状が届いた以上、その絵が盗まれないよう警備しなければなりません」
「それで、この予告状に書かれている『魚座の涙』という絵画についてなのですが、よろしければもう一度拝見してもよろしいでしょうか」
「うーん。あなた方が窃盗団でない保証もありませんよね。窃盗団なら警察手帳もいくらでも偽造できるでしょうし」
その言葉に駿河は慌てだした。
「いや、しかし。我々の身分を証明するのは警察手帳くらいしかありませんが。他にどのような証明が必要なのでしょうか」
「そうですね。その警察手帳と運転免許証をお渡し願いますか」
「われわれもこれがないと仕事にならないのですがな」
「ちょっと確認したいだけですよ」
浜松は駿河と顔を見合わせてから、警察手帳と運転免許証を高山西南に手渡した。
「では警察手帳のIDナンバーと免許証番号を口頭でおっしゃってください。それと照合しますので」
これにはさすがの浜松も動じざるをえない。警察手帳はともかく運転免許証は交付されたときから一度も番号の確認なんてしていない。
「すみません。私は免許証の番号を憶えておりません。駿河、お前は憶えているか」
「僕も憶えていませんよ。そもそも運転免許証の番号を記憶しておく必要がありませんから」
慌てている様子を眺めていた高山西南は苦笑しつつ警察手帳と運転免許証をそれぞれに返却した。
「すみません。普通の刑事なら、自分の警察手帳のIDナンバーはともかく運転免許証番号などご存知ないだろうと思いまして。もし警察を装っているなら、そこまで憶えておいて相手を信頼させようとするでしょう。それができないということは、少なくともそれを憶えなくても職務を遂行できる人です。つまり憶えていないから本当の刑事さんだと確認がとれました」
浜松と駿河は狐につままれたような顔を見合わせて、警察手帳と運転免許証をポケットにしまった。
「前回お越しいただいたときに確認をとればよかったのですが、あのときは予告状のことで頭がいっぱいだったもので。それでは書斎へ向かいましょう」
高山西南はさっそくソファから腰を上げた。
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