第23話 水田の暗躍 濃い赤茶色のスーツ

 さわいりさんの画廊を出ると、みずたま警視を警察まで送り届けるとのことだ。どうやら直帰できない事態になったのだろう。しのぶはタクシーで自宅へ帰ることにした。


 自宅に着いたところで水田から連絡が入った。


「玉置は警察へ届けてきた。よしむねくん、仕事着としてスーツを作るから、明日外資系の仕立て屋へ行くぞ」

「ずいぶんと急な話だな。なにかあったのか」


「どうせ模写を盗むのなら、名も知らぬ者より名の知れた者のほうが美術窃盗団への衝撃が大きくなるからな」

「仕事着がスーツというのもそのためか」


「そういうことだ。色はまかせてくれ。オーダーメイドだから体にもぴったり合うし、体型をカバーして細身に見えるシルエットにするからな」

「今のスーツじゃダメなんだろうけど、そこまでスーツにこだわる必要はなんだ」


 スーツならなんでもいいわけではないのだろう。水田には彼なりの計算があってのことだろうが、忍を当事者と見ていないようなときがたまにある。


「そりゃあ、怪盗といえば紳士と相場が決まっているからな。かのアルセーヌ・ルパンも怪盗紳士として有名になったくらいだ」

 聞き捨てならない単語が出てきたな。


「怪盗ってなんのことだ。自分の描いた絵をただ持ち帰るだけじゃダメなのか」


「それだとすぐに身元が割れるだろう。怪盗の作業着としてきちんとスーツを着込んで、警察や依頼人の前で華麗に絵を盗むんだ。そうすればマスコミが取り上げてくれて、美術窃盗団を牽制できる」

「そのために怪盗でなければならないのか。気が進まないんだが」


 あきらめがちな声を聞いた水田は意気揚々としている。


「なにを言う。どうせ窃盗は現行犯か盗品を押さえない限りは逮捕できないんだ。それなら指定したスーツを着て、盛大に盗んでこそ名が売れるってものだ」

「怪盗の作業着なら全身タイツとかどうなんだ。引っかかるところがなくて動きやすいだろう」


「ははは。いや、スーツって元々作業着なんだよ。汚すことを前提として作られているんだ。だからスーツは意外と便利にできているからな」

 ここまで水田が推すということは、スーツは確定なのだろう。


「どうしてもっていうなら、目立たないデザインにしてくれよ。真っ白とか真っ赤とかはごめんだからな」

「ああ、色は濃い赤茶色ってところだ。ワインレッドをより深めた色合いだな」


「結局は赤系統なのか。目立つよなあ」

「だいじょうぶ。夜なら闇に溶けやすい色味だ。盗む時刻を夜に限定するなら、日中は黒よりも人目は惹かない」

「本当に闇夜には溶け込むんだな。それなら濃い赤茶でもなんとかなるか」

 忍は渋々同意した。すかさが水田が話を進める。


「それと、明後日からハンググライダーやパラグライダーなどの講習を受けてもらう。スケジュールはこちらで組ませてもらおう。格闘術も俺のつてで、いい道場を紹介するから徹底的に鍛えるんだな」


「おいおい、やることが山盛りじゃないか。そんなにみっちり詰められると授業に響きそうだが」

「まあ体育教師なんだから、いろんなスポーツに精通すると思って頑張るんだな。とくに格闘術はマスターしていないと、警察から逃げられないぞ」


 確かに逮捕術に長けている警察から逃げるには、こちらも格闘術くらい使えないと煙に巻くのは難しいだろう。


「わかったよ。じゃあ格闘術を優先して習えばいいんだな。いくら俺でも三つも四つも同時に習うのは厳しいからな」


 電話口の水田が急に改まった声色になる。

「まあ今回はハンググライダーやパラグライダーなどを使う必要もないからな。これから先で必要になるだろうから、習っておくにしくはない。要はいかにして美術窃盗団を出し抜くかだ」


 明日はスーツを新調して、それからは運動漬けの日々になるのか。まるで体育教師になるための大学生活のような暮らし方だな。


「ちなみに、明日仕立てるスーツから俺のことが割れるなんてことはないだろうな」

「それは心配無用だ。俺のネットワークに入っている顧客のひとりに仕立て屋がいてな。口裏を合わせることくらいはわけない。それに出来上がったスーツを見て仕立て屋を割り出すなんていうのはまず不可能だ」

「本当にだいじょうぶなんだな」


「ああ、スーツになにか特徴がないかぎりはな。仕立て屋も学校で作り方を習っているのだからデザイン自体は凡百なんだよ。よほどのデザイナーなら奇抜なスーツも作るだろうか、そんなのにまかせるわけにはいかないからな」


 水田なりにリスク管理はしているわけか。このあたりは画商やパトロンとしての交渉力が物をいうのだろう。

 色味だけが特徴的で、デザインは既製品と同じなら裏はとりづらいのは確かだ。しかも怪盗が噂になれば、同じ色味のスーツが流行る可能性もある。

 そうなればもはや怪盗を識別するのは困難だ。


「義統くん、今、色味が流行ったらって考えただろう。そこもこちらの狙いなんだ。一見して既製品だけど実はオーダーメイド。しかしデザインは既製品そっくりにするから、怪盗が名を上げれば世間で同じ色味が流行るはず。そこまでいけば、もはや影武者だらけになって警察も追及できなくなる」


 正直、ここまで水田が考えているとは思わなかった。

 単に水田が母の絵を買わされた人を見つけ出し、忍が模写を描いて交換して改めて模写を盗むというのが忍の思い描いていた構図である。


 しかし、警察が介入してくるのだから、彼らと戦えるだけの能力を求められる。また美術窃盗団が絡んできたら、手玉にとるだけの交渉力も要求される。

 今の忍には足りないものだらけだ。そのすべてを水田が用意してくれるのである。

 あとはしっかりと憶えて使えるレベルまで鍛え上げるだけだ。

 やはり水田は頼りになるな。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る