第22話 水田の暗躍 画商の沢入

 かれえだゆき邸を後にしたしのぶみずは、途中で警視庁捜査三課のたま課長と合流した。

「君が水田の言っていたよしむね忍くんだね。ずいぶん昔に会っているのだが憶えているかな」

 高そうなブランド物と思われるスーツを着た、スキのない立ち姿で玉置課長が声をかけてきた。


「小学校に寄贈した絵を取り戻すためにご尽力いただきました。その節はありがとうございます」

「いや、窃盗の捜査はうちの本分だからね。ただ仕事に忠実だっただけだよ。で、今日はお母さんの絵について話があるということだが」


「はい、盗まれた母の作品を取り戻したいと思っております。警察の方のご協力がいただけるとは。玉置さんにお礼を申し上げます」

 玉置課長は右手を上げて遮った。


「いやいや。まだ犯人を捕まえたわけではないからね。お礼を言われるのは一味をひっ捕らえてからだよ」

「確かにそのとおりですね。私どもも協力は惜しみませんので、ぜひとも犯人一味を逮捕してください。そして父のコレクションが取り返せたら言うことはないのですが」


「そのためには、早いうちに手を打つに限るよ。おおかた売られた後では、追跡も難しくなるからね」


 どうやら玉置警視からは疑われていないようだ。

 半眼で周囲を見渡している姿から、へたに本物や模写など話そうものなら、そこから足をすくわれかねない。ひじょうに抜け目のない表情をしている。

 水田の事前情報どおり、すべてを見透かすかのような佇まいだ。


「それでは、画商のさわいりのところへ向かおうか。私はそのまま直帰だから、多少時間が押してもかまわないが」

「いえ、警察の方を長く拘束するわけにはまいりません。聞き出すことをあらかじめ決めておいて、その答えがわかったら今日はお暇いたしましょう」


「それだとはぐらかされたときに追及する手が使えない。取り調べるからには確実な情報を引き出すべきだ。もし美術窃盗団の一味であれば、うちの者に逮捕状を請求させるよ」


 心強い味方が出来たな。これで絵のすり替えを見逃してくれたら御の字だが、さすがに課長の役職にそこまで求めるのは難しいだろう。

 どこまで手を組めるのか。そのあたりの感触も確かめながら、画商の沢入氏との交渉に臨むことになる。


◇◇◇


 水田の運転する自動車で、よしむねえつの作品を扱っているのではという画商の沢入氏を訪ねた。

 真っ先に水田が降りて助手席のドアを開けると、玉置警視がゆったりと車外へと出る。それを見届けてから、忍は自分でドアを開けた。


「今日は必ず画廊に残るように伝えてあるから、会えないはずはないんだが」

「それでしたら、まず画商同士、私が顔を見せましょうか」

「いや、アポイントをとったのは私だからな。私が最初に顔を見せるべきだろう」


 水田と玉置警視のやりとりを、忍は当事者意識もなく見ていた。

 腕利きの画商でありパトロンでもある水田と、警視庁捜査三課の敏腕課長の会話である。すでに化かし合いが始まっているのだろう。


 今の忍にはここまでの駆け引きはできそうにないが、いずれ母の絵の購入者との交渉をリードできるだけの手腕は身につけておくべきだ。

 その意味では手練のふたりの会話術はまたとない勉強のチャンスといえる。玉置警視を先頭に沢入氏の画廊へ入り、受付で玉置警視が話している。


「警視庁の玉置です。沢入さんとアポイントをとっていますが、今お会いできますか」

 品のよさそうな中年の女性が、内線電話をかけている。


「沢入様、警視庁の玉置様がお見えになりました。いかがなさいましょうか。はい。お見えになったのは三名様でございます。はい、かしこまりました。それでは事務所へご案内いたします」

 受話器を置いた女性が受付カウンターを出て、左手を差し出している。

「沢入がお会いしたいとのことですので、ご案内いたします。私についてきてくださいませ」


 すらりと伸びた肢体をゆったりと使って、カツカツと規則正しいヒール音を響かせる。自信を感じさせる足どりで程なく事務所へ到着した。


 受付嬢がインターホンのボタンを押すと、沢入氏と思われる女性の声が入室を許可すると返してきた。沢入氏とは初めての対面である。


「沢入様、ご予定の玉置様含め三名をお連れいたしました」

「ご足労いただきありがとうございます。どうぞこちらのソファへお座りくださいませ」

 その言葉で玉置警視を筆頭に、水田、忍の順に着席した。


「玉置課長からお聞きしましたが、今画商の間で噂のあった義統悦子の作品についてでしたわね。確かに他の画商から絵を買わないかと打診されました」

「その申し出を受け入れたのですか」

「いえ、胡散臭さを感じてお帰り願いました」


 ということはそれほど接点があるわけではないのか。忍は心のなかで落胆を隠せなかった。

 水田は表情を変えずに話を続けた。


「それで、その画商から名刺などは預かっておりませんか」

 沢入氏はその言葉に得心したようだ。

「少しお待ちくださいませ。名刺フォルダーを確認いたしますので」

 水田はすかさずフォローした。


「おそらくただかつという名前だと思うのですが」

「ああ、確か同じ名だったと記憶しております。宇喜多、宇喜多、と」


 デジタル全盛の時代に、名刺をそのまま保管するのは効率が悪いのではないか。

 しかし素性がわからない以上、紙で残すのもわからない選択肢ではない。

 とくに画商として取引する際、電子データは持ち運びに苦労するので、ホルダーは不可欠なのだろう。


「ありました。こちらの名刺ですね」


 玉置警視は素早く手袋をはめると、名刺を受け取った。

 水田もしていたということは、指紋を付けないためなのだろう。


「こちらお預かりしてよろしいでしょうか。あとで沢入さんの指紋もご提供いただきませんか。この名刺で他の指紋が出てくれば、宇喜多の特定に役立ちますので」


「それでしたら喜んでご提供いたします。盗品を扱うなんて、画商とは言えません。宇喜多さんが捕まれば、われわれも顧客の信用を取り戻せますから」


 沢入さんは損得勘定がしっかりとできる人のようだ。

 彼女を取り込みたいところだが、玉置警視と知り合いということは、いずれ内通されるおそれもある。

 味方にするかどうかは、慎重に見極めなければならないだろう。




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