第12話 義統忍、高校生の逸話 襲撃された父

 実家に居づらくなったしのぶはひとり暮らしを始め、高校でも絵画に真剣に取り組まない生活を送り始めた。

 しかし、母の月命日には実家へ帰って位牌に手を合わせている。

 父はあいかわらずまるかわゆうのパトロンを続けているが、母の代わりとなる画家は見いだせていない。

 いや、すでに見出しているものの、当人が頑なに拒んでいるのだ。


 父のすぐるは顔を合わせるたび、忍に「絵を描け」と催促するのだが、彼自身は絵への情熱が冷めていた。

 母との唯一の接点だった絵画は、母が死んで意味をなさなくなったからだろうか。

 あいかわらず趣味としての模写は続けているものの、亡き母との対話に思いを馳せるためである。もし母が画家でなければ、これほどまでに絵画を描き続けることはなかったはずだ。


 そうして描きあげた模写は、忍の部屋を占領することとなる。売れないものではあるのだが、品揃えとしてもはや画商の域に達している。


 ある日父が訪ねてきたとき、そのさまを見て嘆いていた。

「お前が画家としてオリジナルの絵を描けば、必ず画壇をリードする画家になるだろう。今からでも遅くはないから、自分の絵を描くんだ」


 その問いかけに、忍はいつも同じ答えを返している。

「模写が楽しいから描いているのであって、僕にオリジナルは描けない。もし描けるのなら、最初から模写などに明け暮れず画家を目指していたはずだからね」


 画家としては精神的な死を意味していただろう。いくら模写がうまくても贋作家になるでもなければ意味がない。

 しょせん画家と呼ばれる人物は、すべからくオリジナルが描けるものだ。

 忍のレベルからすれば数段落ちるとしても、オリジナルの絵が描ける。

 それは得がたい才能であり、最低限画家であることの証明でもあった。


「模写では画家として生活していくことはできない。お前の才能は小学生の頃に捨ててしまったのか。まだ模写をするだけの情熱が残っているのだから、あの頃を思い起こせばまたオリジナルが描けるはずだ」


 忍に父は、つねに「画家になれ」「オリジナルを描け」と言い続けてきた。お前にスポーツは向いていないから、絵に活路を見いだせということだろう。


 忍は自分の体がスポーツに適していないことを中学生の頃に自覚したが、だからといってスポーツへの情熱が冷めたことは一度もなかった。

 父は自分の生活のために忍へオリジナルを描けと言っているようなものだ。

 それが透けて見えるだけに、忍は断り続けなければならなかった。


 いまだ父は忍を一人前とはみなしていない。スポーツはあくまでも子どもの遊びに過ぎないと思っているのだろう。

 そして芸術とくに絵画を描くのは、自立した大人になることを意味すると考えているのかもしれない。

 だから体育教師より美術教師にさせたいのだろう。いつまでも愚痴をこぼしているのである。

 そんなある日、父が何者かに襲撃される事件が起こった。犯人の狙いは父のコレクションだったという。

 保管している場所を話さなかったために暴漢から手ひどく殴打され、入院を余儀なくされたのだ。


 病院へ見舞いに来た忍は、父の姿を見て衝撃を受けた。

「父さん、もうパトロンは廃業したらどう」

「バカを言うな。支援している画家たちが路頭に迷うだけだろう」


「父さんが死んだら、誰が画家たちを支えていくんだよ。歳を考えれば画家よりも父さんのほうが先に死ぬんだから」

「俺は死なんよ。いや死ねないんだよ。路頭に迷う画家を生まないためにな」

「それならコレクションをじょじょに減らしていったらどう」


 単純な問いだったが、父にはなにか響くものがあったのだろうか。


「確かにそろそろコレクションを売却していくべきだろうな。だが、俺が死んだらいずれお前が引き継ぐことになるし、そのときに絵の時価総額が決まっていると相続税もかなりとられることになる。あくまでも値段のない絵画であれば、税金対策にはなるからな」


 どうやら父のなかでは忍がパトロンの後を継ぐと確定しているらしい。

 絵を描けと言われるよりはましだが、父のように画家を支援するだけの資金力は今の忍にはない。


「とりあえず、コレクションの管理を任せている水田と早めに合わせてやる。やつからパトロンの活動を学んでくれ。それが済めばお前にコレクションを譲ろう。少なくともお前は格闘技にも通じているし、俺よりコレクションを守るにふさわしい人材ではある。それにお前のデッサン力が衰えていなければ、新しい画家を囲うことだって難しい話じゃない」


 まあ相続税を払ったとしても、コレクションの大半は守れるのであれば、父として悪い話ではないと言うことだろう。そこまで思い至ったとき、父の真意に触れた気がした。


「もしかして、僕に絵を描けと言ったのは囲っている画家たちをこれからも支えていくためだったのかな」


「それもある。しかし、ひとりの画家としてお前は可能性が無限大だ。いずれ世界を代表する画家になると確信している。だから、少なくとも絵の世界とは手を切らないほうがいい。俺のためでなく、画家たちのためでもあるんだ」

「でも、僕はまだ他の画家を見分ける目はないし」


「小学生であれだけのデッサン力を持っていたんだ。審美眼は確かにある。あとは経験を積むだけだ。そこは水田に任せればいい」


 父から全幅の信頼を寄せられている水田とは何者なのか。

 父のパトロン活動をサポートしているようではあるが。

 今回の襲撃事件に、水田はどのように関係しているのか。

 そもそも父のコレクションに価値を見出している人でなければ、襲う理由がない。

 そして父が死んでもコレクションの場所がわかっているのであれば、いつでも手に入れることだってできるはずだ。


「その水田って人、信じられるのかな。僕には今回の襲撃が水田って人が仕組んだことに見えるんだけど」

「ははは、水田はそんな荒事はしない。なにせ神父だからな」


「神父って、聖職者の」


「そうだ。だから安心してコレクションをまかせている。やつとは長い付き合いだが、一度も俺を裏切ったことはない。信頼できる人物だ」

「まあ、コレクションをまかせられる人がいるのなら、僕がパトロンになる必要はないわけか」


「相続税を考えれば、もちろんお前が継いでくれるに越したことはない。第三者の水田に相続するといろいろと面倒だからな」

「それじゃあ、その水田って人と会って、あとのことを決めればいいんだね、父さん」


 話し疲れたのか、父は即答しなかった。




(第二章完結。次話より第三章スタートです)


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