第三章 パトロン水田との出会い
第13話 パトロン水田との出会い 十二星座の連作
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「奥さんの絵がいちばん高値で売れるんですけどね。もちろん他の画家もいい絵は描く。義統さんが見込んだようにね。しかし、やはり観る者の心を震わせるのは、奥さんの絵にまさるものはない」
「忍がいる。あいつが本気を出せば、悦子すらをもかるく凌駕する。その気になればいつでも画業に戻れるよう、道を整えるのが俺の役目だ」
父がそこまで忍を買っているとは思わなかった。単に母などの模写で終わるなと発破をかけられていただけだ。
「以前見せてもらった模写のレベルは群を抜いていましたね。あれは本物よりもよい出来栄えでした。あのクオリティーでオリジナルが描ければ、美術史に残る名画を生み出せるでしょう」
その言葉に父はにこやかに答えた。
「ああ、あいつの画力は日本美術界でも屈指だろう。模写だけで埋もれさせるには惜しい逸材だ。水田、もし俺になにかあったら、あいつの絵はお前にまかせてもいい」
「待ってくださいよ、義統さん。あなたのコレクションを息子さんに譲ると言ったばかりですよ。それでいて息子さんにも画家をさせるつもりなんですか。パトロン業と画業は両立できるようなものじゃないことは、あなたがいちばん知っているはずだ」
病室に入るタイミングを失っていた忍は、看護師の声かけで入室を決めた。
「父さん、僕は画業もパトロン業もするつもりはない。一介の体育教師でじゅうぶんだと思っているよ」
「立ち聞きしていたとはな。だが、お前の実力はこの水田も知っているところだ。お前ならじゅうぶん両立できるだろう」
「体育教師とパトロンとの両立、じゃないよね」
「当たり前だ。画家とパトロンの両立に決まっている」
水田は居心地の悪そうな、そわそわした態度をとっている。
「水田さん、でしたか。あなたは利害関係から外れているはずですよね。あなたから見ても僕の絵は売れるとお考えですか。正直にお答えください」
突然話を振られた水田はきっぱりとした口調で言い放った。
「おそらく世界に名が知れ渡るほどの画家になれるはずですよ、義統くん」
「お世辞は要りません。自分の実力はよく知っていますよ」
「私はお世辞を言わないことにしています。才能のない画家にはずばり直言するタイプのパトロンでしてね。だから囲っている画家のレベルは高いんです。そのなかに入れても、トップがとれるレベルだと見ていますよ」
「まあパトロンは画家に気持ちよく作品を描かせるのがお仕事でしょうからね。僕もそのなかに入れば絵を描くだろうとお思いですか」
「というより、君は絵を描くべきだ。君の絵がお母さんの名前を否応なく世に知らしめることになる。君はお母さんの絵が嫌いかい」
水田はずいぶんと切り込んだ話をしてくる。即答してよいものかどうか。判断に迷うところだ。
「母の絵は好きですよ。模写もたいていは母の絵ですから」
「それじゃあ、君は十二星座の連作を見たことがあるかな」
「十二星座の連作、ですか。いえ、そんな話は一度も聞いたことがありませんけど」
「あれはお母さんの最高傑作と言っていい。お父さんもあれだけは絶対に売らないと頑なでね。まさか息子さんにも見せていなかったとは」
「あの連作だけは誰にも見られたくない。まあ管理をまかせている水田には見せているわけだがな」
「もしものために写真は残してあるので、いずれ息子さんにもお見せしますよ。どうせパトロンとしてのコレクションを息子さんに引き継ぐのであればなおのこと」
「忍に見せていいのは、俺が死んでコレクションを引き継ぐときだけだ。もしコレクションを継がないようなら、見せることはできないな」
母の最高傑作か。
多くの絵を模写してきたが、それらを上回る作品がまだしまい込まれていたのか。
もしそれらが売れていたら、母はもっと楽な生活をしていられたのではないだろうか。死んでから価値を見出される画家は、幸せといえるのだろうか。
「パトロンにならなければ見せない絵。母さんはそれで満足だったんでしょうか。画家としては描いた作品を正当に評価されたかったはずです。たとえパトロンとして父さんがすべての作品を買い取っていたとしても。死後に絵が評価されるなんて、あまりに可哀想じゃないですか」
「絵画というものは、出来不出来だけで値が決まるわけじゃない。需要のあるときに、それを満たすから売れるし、稀少性があるから高くなる。母さんの絵は残念だが存命中には需要がなかった。しかし死んだ今、稀少性があるから高く売れる。画家として稼いだ額では、これまでの比ではない」
「死んでから稼いだって生活は楽にならない。事実母さんは体調を崩しても病院にさえ行けなかった。父さんは襲撃されて入院しているけど、本当に入院しなければならなかった母を見殺しにしたのは父さんじゃないか」
忍は珍しく激昂した。
どんなにすぐれた画家でも穏やかな死を迎える権利が平等にある。
とくに忍が慕う母であれば、なぜ病気に蝕まれてまで絵を描き続けなければならなかったのか。
どんな傑作を描いてもすべて父が買い取り、世には出回らない。
地位も名誉も手に入らず意欲を奮い立たせることさえ困難な状況のなか、母は描き続けるしかなかった。
そんな生活、忍なら放り出していただろう。現に忍は体育教師を目指したのだから。
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