第8話 義統忍、中学生の逸話 父との軋轢
公立中学に上がると、
だが父・
「なぜ父さんは僕が美術部に入るのを拒むんですか」
それまで忍の技量を高めるために、母・
「お前はすでにプロ級なんだ。たかが部活動でお前のレベルを下げたくない」
「それなら僕の作品も売ってくれればいいじゃないか。プロとして活動していれば、美術部には入れないだろうし」
「お前の作品を売るのは、お前がプロとして好評を博してからだ。そのほうが高く売れる。プロになるまでは著名な画家の模写だけをしていろ。これは命令だ」
あまりの横暴に忍は反発を覚えたものの、自分の作品を売ってもらえていない母のことを思うと、致し方ない気持ちもあった。
「父さんはまず母さんの作品を売ってください。それだけで生活は安定するはずです。僕の作品がまだ売りものにならないとしても、母さんはプロですよね。父さんのコレクションするよりもよほど有意義じゃないんですか」
言い放った忍はそれ以降、絵の練習で手を抜くようになった。
なんのために絵のスキルを高めるのか。意義を見いだせなくなったのだ。
それからは体育の授業で本格的にスポーツを始めることにした。父は手の怪我を心配して辞めさせたがったが、安定して絵を描くためには体力も必要だと説得する。
そうして始めた部活動は体操だった。体力が最も求められ、そのために家での絵の練習が疎かになっても言い訳ができると考えたのだ。
父は息子が初めてスポーツに打ち込むことに最初こそ抵抗したものの、大会に出れば観戦に来るようになった。
「まあ、体操ができる画家として売り込むのも悪くはない。一度始めた以上は一番になるつもりでやるんだな」
父としては絵さえ描いてくれれば、日常の過ごし方に口出ししないことにしたようだ。
おかげで部活動のトレーニングが忙しくなって絵から自然と遠ざかることができた。
父に反発して絵から遠ざかったものの、母の力になるため休日はなるべく母のそばにいるようにした。
「お父さんも、あなたの将来性は買っているのよ。ただ、パトロンとしては自分のコレクションの充実も図りたいところなの。よい作品を手元に置くことで、画家を見る目が養われるところもあるから」
母の言い分は「父を許せ」ということなのだろう。
大好きな母の言葉であるから、信じたい気持ちもあったが、やはり母の力作が世に出ない事実に変わりはなく、鬱屈した気持ちを抱きもした。
「母さんは自分の絵が売られていないことをどう思っているの。僕なら売れる絵はすぐに売って、自活するべきだと思うんだけど」
「お母さんはね。自分の絵の最大の理解者と結婚したの。お父さんが私の作品をあまり売らないのは、愛情の表れね。一定以上の作品を描けば売ってくれるんだから。きっと今はまだお父さんのリクエストに応えられる作品が描けていないだけなのでしょう」
だが、忍から見ても母の絵はレベルが高かった。
デッサンにやや狂いはあるものの、それはクセであり持ち味ともなっている。
父はどれだけ要求が高いのだろうか。
少なくとも他のお抱え画家である
なのにそちらはポンポン売りに出されて対価を彼女に還元していた。
そんな状況でもあったので、なおさら母の不遇に憤りを禁じえなかった。
しかし当の母が納得しているのだから、忍が父に歯向かっても無意味だろう。
そして忍自身の作品も描かせる割にはいっこうに売らないところを見ると、母よりも劣っているからだとしても落胆してしまう。
少なくとも丸川優子よりは上手に描けている自信があった。
中学生だからといっても、描いた絵が売れないわけではない。
忍が大賞を射止めた小学生絵画コンクールで、文部大臣賞を獲った少年は中学生ですでに個展を開くほどの活躍を見せている。
それよりも上だと自負している忍の絵が売れないとは、どうしても考えられなかった。
なぜ父は忍の絵を売りに出さないのだろうか。
いや、個展さえ開いてくれたら売り尽くす自信はあった。
それなのに、父は頑なに売ろうともしないし、個展を開く話も出てこなかった。
「父さん、なぜ僕の個展を開いてくれないんですか。そうすればお金も稼げて、僕だって前向きに描けると思うんだけど」
「お前の真価はまだまだ発揮されていない。それを見つけさえすればいつだって個展を開いてやる。開いてもらいたかったら練習に励むんだな」
中学生になれば欲しいものは山ほどある。ゲームだってしたいし、携帯電話だって持ちたい。クラスではスマートフォンと呼ばれるものを持っている生徒も数多い。
連絡手段としての携帯電話も持たせてもらえていない今、やはり欲しいものは自分で稼いで買うしか手段がなかった。
高校生になればアルバイトもできるだろうが、今はまだ中学生だからそれもできない。
だからこそ絵を売ってほしいのだが、それすら叶わないのだ。
「父さん、スマートフォンとは言わないから携帯電話を持たせてください。友達とのやりとりに使いたいので」
そう切り出してみたものの返ってくるのは素気ない言葉だけだった。
「よそはよそ、うちはうちだ。お前にはまだ携帯電話は早い。そもそも稼いでもいないのに携帯電話を持つ必要もないからな」
「それなら絵を売ればいいじゃないか。そうすれば自分のお金で持てるんだから」
「お前の絵はまだ完成されていない。デッサンから模写にかけては申し分ないが、オリジナルが描けなければプロの画家とは言えないからな。寸分違わぬ絵が欲しければ写真でも手元に置いておけばいいんだから」
なるほど、言われてみれば確かに。
どんなに精巧な模写ができても、それは写真でも手に入るのだ。
だが、父から今は母の絵を中心に模写に打ち込むように言われている。
体操部の合間に模写をしているが、オリジナルを描く練習も始めるべきだろう。
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