第7話 義統忍、小学生の逸話 学友を描いた絵

 父のすぐるしのぶの内閣総理大臣賞を喜んだ。

 しかし、それ以降学内のコンクールにすら絵を発表しないよう小学校から言い含められた。

 他の子どもが自信をなくすから、というのが表向きの説明である。

 実際には傑が、レベルの低い小学校の図画工作は学ばせられないと考えたのだ。母・えつとともに英才教育を施し、未来の巨匠に育て上げたかったのだろう。


 そこで忍は美術準備室にひとりで絵を描くこととなった。

 もちろんそこへ入ることを許されたのは忍だけである。

 級友は内閣総理大臣賞を獲った忍の実力を知り、彼と仲良くしようと近づいてくる。それを学校側が阻止する日々が続いた。

 自然、友達と呼べる同級生はひとりも出来なかった。


 絵が図抜けていたとしても、学業を疎かにするわけにはいかない。

 つねに最高評価を得るべく勉学に励む必要があった。

 そのため、遊んでいる時間はいっさいなくなり、学業と絵画にのみ時間を費やすこととなった。


 当初はそれに納得していた忍だが、クラスで親しい児童が誰ひとりいないので昼休みも勉強に時間をとられていた。

 立派な勉強家であっても、無邪気に遊ぶことができないので、体力がどんどん落ちていった。

 そのため、発熱やインフルエンザなどで学校を休む日も出てくる。

 そんな日でも、授業で習う範囲の自習と絵の練習をしなければならなかったのだ。


 そのおかげで、小学校の卒業まで体育以外の教科は最高評価を得続けた。

 父は美大の附属中学校へ進ませたかったのだが、母の希望で公立中学校に進学することとなった。

 絵がいくらうまくても、友達がいない人生なんて瑞々しい感性には程遠いと判断したからだ。

 画家としての母の意見だから、父も渋々同意した。


 そうして同じ中学へ通うことになる生徒とゆうを深めるために、担任教師は忍の家へクラスの子どもたちを連れてきた。

 彼らが見たのは、絵画コンクールに応募した作品よりもさらにレベルの高い油絵の数々である。


 そこで自画像を描いて欲しいと申し出た女子児童の絵を描くことになった。

 他の子どもたちは忍が絵を描く様子を眺めていることになる。

 しかし小学六年生とはいえ遊びたい盛りなのですぐに飽きてきて、部屋中で遊び始めた。


 それを見た父・傑は遊んでいた子どもたちを部屋から追い出そうとした。

 デッサンの終わった忍は、あとはひとりで描くからと子どもたちを帰宅させることにした。

 実際、色を塗るには時間がかかる。

 最後まで見守るなんて、相当根性が据わった子どもでなければできるものではない。


 級友が家を離れてから、忍は急いでデッサンに油絵の具を塗り始めた。

 卒業記念にもなるだろう作品は、翌朝までには完成した。

 父はあまりの速さに驚くとともに、その出来栄えを見て、美術系の学校へ進ませられないと惜しむ気持ちを抑えられなかった。


 額にしまった人物画を月曜の朝に学校へ持っていった。まずは職員室で教職員が見ることとなり、多くの大人を感嘆させた。

 担任教師からはその絵を学校で飾りたいと申し出たが、それは描かれた女子児童の意志次第だろう。

 本人が持ち帰りたいのなら、その願いは叶えるべきだ。

 それがモデルになった女児のためだろう。


 授業前の出欠確認ののち、忍の描いた絵が児童たちの前で披露された。

 児童たちはやんやと騒ぐ。


「三原さん、この絵をどうしたらいいですか。持ち帰りますか、学校で飾りますか」

 モデルになった三原さんはどう思うだろうか。

「学校で飾ってください。こんなにすごい絵は受け取れませんから」

 どうやらこの絵が嫌なわけではなさそうだ。それを伝えるために、すごいと来たか。


「美郷ちゃん、いい絵なんだからもらっちゃいなよ。絶対将来高くなるからさ」

 その言葉を聞いた三原さんは反論する。


「こんなすごい絵をもらったりしたら、後で絶対弱みになると思うの。この絵は学校で皆に見てもらったほうが、描いた義統くんのためでもあると思います」


 そんなことなら急いで仕上げるんじゃなかったかな。

 忍は心のなかで落胆したが、絵の実力は認めてくれていることを知って、心が沸き立つのを感じていた。


 自分のためではなく、他の多くの人のために決断する。誰にでもできることではないだろう。

 よほど恵まれた環境で育ったのか、もしくは逆に底辺であえいで生きてきたのか。どちらにせよ、他人を思いやる心は一朝一夕には生まれない。

 三原さんはよほど人となりがきちんとしているのだろう。


「義統くんはどうかな。三原さんの言うことも一理あると思うんだけど」


 忍は右手を口元に付けて考えを巡らせた。

 確かに忍自身のことを考えれば、これから何代にもわたって在校生に見守られるのがよいだろう。

 三原さんにしても、とくに好きでもない男児から絵を贈られたって気持ちが悪いだけだろう。

 仮に三原さんが忍に気があるのだとしたら、絵を独り占めするかもしれない。

 だから少なくとも彼女は忍に好意を持っていないのは確かだ。

 そんな男児から自分を描いた絵が押し付けられるのは、我慢がならないのかもしれないな。


 そのとき担当教師は思いついたように切り出した。

「そうだ。ひとまずこの絵は学校で展示します。しかし三原さんがいつかこの絵を欲しくなったら、引き取る権利を与えましょう。そして義統くんも描いた本人としていつでも絵を取り戻せる権利を有している。双方とも引き取る意志がある場合は、ふたりで協議して持ち主を決めたらいいわ。ねえ、そうしましょうよ」


 忍は先ほどからの姿勢を崩さずに新たな提案を吟味していた。

 三原さんはそんな彼を見てから即答した。

「私はそれでかまいません。いつか昔を懐かしんでこの絵が欲しくなるかもしれませんから。それにきっと義統くんは大画家になると思いますので、先行投資としても損はないと思います」


 先行投資か。まるで父のような言い草だな。

 そう忍は感じたのだが、口にしても理解できる者はここにはいない。


「三原さんがそれでよければその条件でかまいません。僕としてもいつかこの絵を取り下げたく感じたときにいつでも取り戻せるのであれば、習作としては破格ですが展示いただけたらと思います」


 担任教師が顔を綻ばせた。

「じゃあそういうことで。絵の権利は第一に作者である義統くんに、第二にモデルとなった三原さんに、そのどちらかに帰属するまでは学校が預かるわね」

 ということは忍にとって、これが事実上初めての卒業制作ということになる。

 果たして、この絵は将来化けるのだろうか。




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