第4話 怪盗コキア、最初の事件 奪い取る

 はままつ刑事と駿河するが刑事は再び『魚座の涙』の現所有者である資産家のたかやま西せいなん氏の邸宅を訪れていた。

 窃盗犯が改めて予告状を出してきたからである。


 犯行予告日を想定した今日まで、前回の反省も含めて高山西南氏と協議してあらゆる窃盗対策を施したのだが、それでも眼の前で盗まれるのは阻止したい。

 警視庁捜査三課のメンツにかかわるからだ。


 予告状に書かれている『魚座の涙』の本物を初めて見たふたりの刑事は、想像していたよりもずっと上質な絵画と出会うことになった。

 これほどの名画は社会的にもっと認められてよいものだ。


 よしむねしのぶから聞いた話では、父親は母親に絵を描かせては小遣いを出すだけで、その絵をなかなか売ろうとしなかったという。

 他の画家が描いた作品は数十万円から数千万円の値が付き、それで家計が潤っていたから、母親も文句は言わなかったそうだ。

 だから、母親がどんな絵を描いていたのかは忍にもすべてはわからないのだそうだ。


 これも忍が又聞きした話だが、父親が母親にプロポーズした際に「あなたの描いた作品はすべて僕が買います。一生養っていきますので結婚してください」と言い放ったという。

 そんな常識外れな願いごとをする父親もだが、それを承諾した母親の気持ちがわからなかった。


 そんな忍には無理にでもある作業を頼んでいたので、その行く末を見守るために高山西南氏とともに別室で防犯カメラのモニターの前で待機している。

 浜松刑事と駿河刑事は警護対象である名画『魚座の涙』をまじまじと見つめていた。


 青を基調としながらも、色鮮やかな珊瑚や装飾品を身にまとった女性の人魚が海の岩礁に座って涙を流している。

 これほどの名画であれば、窃盗団に狙われても納得の出来栄えだ。

 人魚の美貌と筋肉質でありながらも少し丸みを帯びたシルエットは、人間には出せないと思わせる色気を感じさせた。


 この絵が元は盗品で、十二星座を題材にした連作のひとつであることは、窃盗犯の狙いが透けて見えるようだ。

 二、三枚単品で売りつけて価値を高めたあとに、十二枚の連作であることを公表し、十二枚セットで数億円以上の値をつけさせようという目論見だ。

 事実、それが許されるほどの出来栄えなのだから、その邪推も真実に見えてくる。

 非合法の手段で十二枚の名画を手に入れた画商の宇喜多忠勝は一連の絵をいくらで仕入れたのだろうか。

 そもそも名の知られていない画家の作品である。


◇◇◇


 著名なパトロンだった父・すぐるが秘蔵していたからとはいえ、どこから聞きつけたのか。忍が知りたいほどである。

 いずれコレクションの内容を風の噂で聞いた宇喜多か美術窃盗団の餌食になったのだろう。

 画家の死後に作品が再評価されて画壇を席巻する例はこれまで何度も見られた。

 だから、母親の絵が死後に再評価されるのは、その息子としては喜ぶべきことではあるのだが。


 忍はモニター室で高山西南と『魚座の涙』を見守りながらそんなことを考えていた。


◇◇◇


「予告日時が書かれていませんでしたが、おそらくあとわずかですね」

 駿河刑事は腕に着けたスマートウォッチで時刻を確認した。

 高山邸の書斎で窃盗犯を待ち構えているふたりは、室内の掛け時計に目を転じた。あと一分で日をまたぐ。


「これだけ張り付いていたら、さすがに盗めませんよね」

 駿河刑事が浜松刑事に問いかけた。


「無駄口はいいから、しっかりと警備するんだな」

 すると浜松刑事のスマートフォンが鳴り始めた。

「なんて時間に連絡してくるんだ。どこの馬鹿だ」

 素早く懐からスマートフォンを取り出して、通話に応答する。


「浜松だ。誰だ、こんな時間に電話してくるとは」

 それが合図かのように書斎の照明がすべて落ちた。

「な、なに。襲撃か」

 浜松刑事と駿河刑事は慣れない暗闇でスマートフォンとスマートウォッチの明かりを頼りに『魚座の涙』を確認した。


「まだありますね。ではこの明かりが消えた理由はなんでしょうか、おやっさん」

「落ち着け、駿河。おそらく賊が忍び込んだに違いない。前回の失敗がある。今回は『魚座の涙』から離れるわけにはいかない。おそらく当初から書斎のどこかに潜んでいて、照明が落ちたと同時に盗んで逃げようとしたんだろうが。警官がもっと配備できたら未然に捕まえられたかもしれんが、課長が無名の泥棒に警備費は割けないっていうからな。まったく、警視も融通が利かんというか」

 電灯が再び灯ると、無線から声が聞こえてきた。


「高山です。義統さんが二階で強盗犯二名を倒したそうです。そちらに義統さんを向かわせるので、浜松さんか駿河さんのいずれかが犯人捕縛のために来てください」

 忍と入れ替わった浜松刑事が警官を連れて二階へ上がり、順調に捕縛していったところで、再び電気が落ちた。


 そのとき、駿河の呻く声が聞こえてくる。


 再び電気が戻ってきたとき、駿河は床にノビており、壁にかけられていた『魚座の涙』が紛失していた。

 その様子をモニターで見ていた高山西南は一階へと降りていった。部下に指示を出した浜松刑事もそのあとに続く。


 出迎えたのは忍唯ひとりだった。


「すみません。力不足で、『魚座の涙』は何者かに盗まれてしまったようです」

 忍が申し訳なさそうに返答した。

「詫びはいつでもできます。それよりも犯人を捕まえて絵を取り戻してください」

 高山西南は浜松刑事に詰め寄った。

 せっかくのコレクションが盗まれたのだから、激昂するのも無理はない。

 忍は駿河を起こして背中から気合いを入れた。

 すると、ノビていた駿河の意識が戻る。


「緊急配備はいたします。幸い受信機に移動する光が映っているので、追跡はじゅうぶん可能です」

 そう言って浜松刑事は発信機の電波を拾う受信機を確認して画面を高山西南と義統忍に見せてきた。


「この移動する光が犯人が持つ『魚座の涙』の居場所を示しています。これをたどっていけばアジトまで連れていってくれる道理です」


「しかし、追跡するにしても発信機しか手がかりがないのは痛いな。追いついたとしてもどの車が窃盗犯か区別がつかないな」

 高山西南はあるものを発見して、その場にいる二人の刑事と義統忍にわかるように指さした。


「幸い犯人は手がかりを残していったようですね」

「手がかり、とは」


 高山西南が指さしていたのは、『魚座の涙』が置かれていた画架の下に落ちていたものだ。

 それをつまみ上げた駿河刑事は、不思議そうに眺めている。


「これって、なにかの植物の枝のようですね」




(第一章完結。次話より第二章スタートです)


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