第9話 花神巫


 「……らからね、云ったの。何時いつになったら小説、鬼灯ほおずきに載せてくれるんれすか、って……そしたらせんせ、なんていったと思います……ひく」

 「え、ううんと、なんだ、ろう……」


 瑞香みづかは笑みを浮かべながらも、遊楽ゆうらに救けを求めるように目を向けた。

 遊楽は小さく首を振る。牡丹ぼたんが抱え込む酒瓶に手を伸ばしたが、空振りした。彼女、いや、彼、牡丹は、その酩酊具合にまったくそぐわない機敏さで遊楽の手を回避し、手元の器にどぼぼと酒を流し込んだ。


 店内の照明は落とされている。

 入り口には閉店の札が出されているらしい。

 店内の中央あたりの、他より若干おおきな卓に、いま、遊楽と牡丹、そして瑞香がついている。そこだけが、卓上の小さな洋燈ランプにより柔らかいひかりに浮いている。


 遊楽の前には中徳利。瑞香は、葡萄の果汁の入ったグラスを持っている。

 卓にはいくつかの惣菜が並んでいる。芋と菜を煮たものなど、瑞香に馴染みのあるものもあるが、見たことのないような鮮やかな色の西洋料理も置いてある。

 牡丹はそれらの料理を厨房から運ぶと、自らもいそいそと席についたのだ。その左の脇には強い酒の大瓶が抱えられていた。

 

 何度目かの乾杯をひとりで終えて、いま、牡丹はひどく破損している。


 「せんせいね、君に小説なんぞまだ早いって、わたしが花神巫はなかんなぎとして、一人前ひとりまえになってからだって、そう云うんですよお。酷くないですか。小説と、お役目は、ぜんぜん関係ないじゃないれすかあ……っ、ひっく」

 「おい、軽々に」


 花神巫、という言葉を牡丹が口に出すと、遊楽は盃をとんと置いて睨んでみせた。牡丹は頬を上気させ、桃色の小ぶりな唇をぺろりと舐めながら、上目遣いで遊楽を指差した。

 愛嬌のある大きな目が、据わっている。


 「いいじゃないれすかあ。どうせここには身内しかいないんれすから」

 「瑞香くんがいるだろう」

 「……瑞香さん……かあ……」


 卓に肘を置いて、器をぷらぷらと揺らしながら、牡丹は瑞香をぎろと睨んだ。瑞香は電流に撃たれたように背を伸ばし、ごくりと喉を鳴らした。

 

 「いいれすねえ……瑞香さんは……ずるい。狡いです。小説も、初めて書いたの、鬼灯に載せてもらえるんですってね……そのうえ最強の花神巫の、生涯ただひとりの飼われあやかしに、選ばれて……」

 「え」

 「おい」


 声を出すのは、瑞香と遊楽と、同時だった。

 遊楽は腰を浮かしたが、牡丹は気にする様子もなく言葉を続けた。


 「せんせ、ちゃんと、説明したほうがいいですよお。まだ何も云ってないんですよね、きっと。瑞香さんの生命いのちにかかることなのに」

 「……」

 「ほうら、やっぱり……ね、瑞香さん」


 言いながら、ふらりと身を起こし、それでも胸を張って座り直した。不思議に威厳のようなものを感じた瑞香も、改まる。


 「わたし、牡丹です」

 「あ、はい……牡丹さん」

 「んん、そうじゃなくて。わたしの花は、牡丹。そうして先生は、沈丁花」

 「……?」

 「陰陽師って、わかります?」

 「あ、はい、小説とかでは……」

 「そんな感じの人たちが、ご先祖さま。先生も、わたしも」

 「……え」


 牡丹は、ふふんと、鼻から息を吐いた。どうだ、というような表情。遊楽はなかば諦め顔で、云うに任せている。横を向き、足を組んで、徳利をひとりで持ち上げた。

 牡丹は目を瞑り、ふらつきながらも、とらい到来とうらい、というように手を広げ、気持ち良さげに詠うような声を出した。


 「むかし、むかあしの、おはなし。都には天変地異が続いておりました。飢える者も多く、疫病も流行って、人死にが後を絶ちません。道もむくろで一杯です。迷う亡者が夜になるとあちらこちらでふらついています。さあそうなると、そうした亡者を利用しておのが欲望を満たさんとするものも現れます」

 「悪くはないが、物語の冒頭は重要だ。一息で読者を掴む必要がある。背景の説明から入るのは俺は感心せんな」

 「……小説のご講評いただいてるんじゃないんで黙っててもらえますか」

 「続けろ」

 「……帝に対しておん恨みたてまつらんとするものもったのです。そうしたものは妖術を用いて亡者の魂を集め、恐るべき変化へんげを造り出しました。変化は都のなかそとで、ひとを喰らいました。喰らって大きくなり、やがて禁中だいりへ向かう機会を伺っていたのです。腕に覚えの武者なり術者が掛かってゆきましたが、みな喰われてしまいました」


 瑞香ははじめ面食らった様子で牡丹を見ていたが、やはりこうした話になれば心がざわめく。頷いて息を呑み、続きを欲する表情に、牡丹は満足げに口角を持ち上げた。


 「……さて帝は大変お心を痛められ、とうとう宮中の秘伝を使われる決心をなされました。それが、花言祝はなことほぎ」

 「はな、ことほぎ……」

 「帝が愛された七つの花にちなんだ力、花は古来から彼岸に通じる力を秘めると云われます。帝は博士たちに命じて、その力をぎゅうっと深め、蓄え、そうして思うままに使役する秘術を創り出されていたのです」

 「……」

 「帝は心得のあるものを集めてわれました。この力を貸し与える。首尾よく敵を討ち果たしたなら、子々孫々、ほまれと共にその力を引き継いでゆくことを許そう。そうして最も功のあった者にはわけても特別な力を与える。すなわち……」


 そこで牡丹は、ぴ、と瑞香を指差した。指された方は、びくりと身体を震わせる。


 「ひとをあやかしに変えることができる能力ちから。それも只のあやかしじゃあ、ない。この日本くにのすべてのあやかしの頂点となり得る力を持つもの。それを生涯ただ一度、創り出し、従えることができる……そんな、ちから……ふぁ」


 牡丹はそこまで云うと、ひとつ欠伸をし、ふにゃっと身体をたわめて卓に突っ伏してしまった。眠気が降りたらしい。それでもそのまま、くぐもった声を出した。


 「……激しい戦の果てに、変化はついに、討ち果たされ……そうして、帝は約束を守られました……七人の術者たちの子孫はその後、授かった力を代々、受け継いできたのです。象徴となった、花の名と共に……子孫たちは、花神巫、と、呼ばれたのです……」

 「……牡丹、さん……」

 「……その時、もっとも功のあった術者には、沈丁花が授けられました、とさ」


 牡丹は組んだ腕の上に頭を置いて、とろんとした目で瑞香を見上げた。


 「これでお仕舞しまい。わかったでしょ、わたしの家は、牡丹の花を受け継いだ。わたしは、牡丹の花神巫。そうして、沈丁花は……」


 すう、という寝息。目を閉じてしまった牡丹の肩を、瑞香は小さく揺すった。が、気持ちよさそうに背を上下させるだけで反応しない。


 「……どんなお偉方も知らぬ話を、まあ、簡単にしゃべってくれることだ」

 

 遊楽は手元の盃に酒を充し、くいと飲み干した。


 「だが、そうだな。君にはいつか説明しなければならないことだった」

 「……先生が、その、沈丁花の力を受け継がれたのですね」


 応えずに、遊楽は下を見ている。再び酒を呷る。瑞香が尋ねるであろう、次の質問が理解わかっていたから、黙っていた。

 その予想どおりに、瑞香は拳を胸にあて、小さな声を絞り出した。


 「そして……わたしは……あやかしに、変ぜられたのですね」

 「……」

 「先生のお手で。先生に、飼われる、ために」

 「……そう、だな」

 「なぜ、わたしを選ばれたのです。生涯いちど、と、牡丹さんは仰いました。あの時、どうしてわたしを救けて下さったのですか」


 遊楽はなにかを答えようと口を動かしかけたが、やめて、頭の後ろを掻いた。瑞香は言葉を待ったが、遊楽はぽんと立ち上がった。黒の薄丹前の前を、なにか誤魔化すように合わせて見せた。


 「……マスターは料理を作るだけつくって、居なくなってしまったようだな。何か買ってこよう。あらかた、牡丹くんが喰ってしまった」


 そう云い、からんと扉を開けて出ていってしまった。

 瑞香はその背を見送って、膝の上にあわせた手の上に目線を落とした。

 時計が時刻を刻む音と、牡丹の小さな寝息だけが聞こえている。



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