陰陽道の事柄で

入江 涼子

第1話

  こんばんは。


 今日は陰陽道について書きたいと思います。かつて、陰陽師と呼ばれた人々がいた事を皆さんはご存知でしょうか。特にかの安倍晴明公は、あまりにも有名ですね。

 私も陰陽道の事を詳しく調べた事がありますが。なかなかに難解な学問であると言わざるを得ません。


 てまあ、文句はこれくらいにして。陰陽道は元々、中国で生まれた道教でした。日本に伝わったのは奈良時代辺りと言われています。ちなみに陰陽道を広めたのは、吉備真備公ですね。この時代から陰陽道は持て囃されたと言えます。


 さて、陰陽道の基本は陰陽五行説なのですが。いわゆる木火土金水とか、相剋とかについてを指します。例えば、木は土を制するとか。意味は木は土に強いとなりますね。


 ……ややこしいです。とりあえずは細かい事を省略しますね。時に、陰陽道を学び、それを行使して活躍していたのが陰陽師です。といっても、陰陽師は本来は占いをし、暦もといカレンダーを作成するのが仕事でした。彼らは天体観測をして、現代でいう星占いをしていたのです。もちろん、六壬式盤りくじんしきばんなどを使ってする時もありました。


 ちなみに、安倍晴明公のライバルとして有名な蘆屋道満氏。彼は史実だと、晴明公が仕えた藤原道長公に呪詛を仕掛けた罪咎で播磨に流罪になったと記されています。もちろん、晴明公と呪術合戦をしたとか言われていますが。これはフィクションです。現実では、蘆屋道満氏は細々と薬屋を営んで暮らしていたとか。子孫がつい最近まで、播磨地方に住んでいたと歴史書にはありました。


 では、安倍晴明公についても書いてみます。安倍晴明公が活躍した年齢は意外と遅めで、四十代くらいだったと聞きます。道長公に見出されて、華々しくなったのがこの年代だったのですね。その後、晴明公は次々と呪詛の事件を解決します。こうして、彼は着々と都で有名になっていきました。


 晴明公は、非常に長生きをします。確か、八十三歳までは健在だったとか。現代でいったら、九十歳とか百歳まで生きた感じでしょうね。

 ……話が逸れました。陰陽道は日本で独自の発達をしています。神道を取り入れ、仏教を取り入れて。しまいには、密教の要素まで入りました。陰陽師は神道の祝詞、仏教の真言を学び、祈祷や怨霊退治に活用しています。また、修験道にも見られる印を組んでいました。

 確か、陰陽師達は修験道を幼い頃から学んでいたとも言います。なかなかに厳しい道だったと思いますね。


 最近は、「陰陽師」シリーズなどで一躍脚光を浴びました。私もハマった一人と言えます。けど、陰陽道は呪術的な面に注目されがちですが。本来はこれ、天文学なんですね。あの有名な方角の神様の四神も元は、星座を組み合わせた物なんです。


 昔にの星とか柄杓星とかありました。ちなみに、子の星は北極星を意味します。柄杓星はあの北斗七星ですね。北斗七星は確か、おおぐま座の腰の部分に当たったはずです。

 後、面白い事に二千年前くらいに使われていた北極星は現代より位置がズレていました。現代の北極星と比べると、もうちょい日本でいったら東寄りだとか聞きましたね。(昔にある番組で聞きかじっただけなので、間違っていたらすみません)


 それでは失礼します。読んでいただき、ありがとうございました。

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