第40話

 カロッソが頭を下げ、ヒーム伯爵とともに市庁舎の前から立ち去ると、竜之進は大きく息を吐き出した。一気に緊張がゆるんで、身体から身体から力が抜ける。

「さすがの水野様も疲れましたか」

「まあな。あれでカロッソ殿とラセニケ伯爵家の将来が決まった。さすがに笑っているわけにはいかんよ」

 ベルトランの言葉を、竜之進は素直に認めた。切り返す余力もない。

 今日、カロッソは正式にラセニケ伯爵家の跡継ぎとなった。

 帝都からの使いにその旨を告げ、宣誓して書類に自分の名前を書く。

 それですべてが完了するのであるが、その儀式の立会人に竜之進は選ばれていた。カロッソ本人とヒーム伯爵に懇願されてのことだが、さすがに緊張にした。立会人の名前を記す時には、手が震えたほどだった。

「大変なのは、これからですよ」

 ベルトランは、カロッソが消えた先を見つめる。

 中央広場にはいつもと同じように人が集まっている。商売をする者もいれば、噴水の前で恋人と語る者もいる。笑って石畳を駆け抜けるのは10歳ぐらいの子供で、母親の制止を振り切ってはしゃいでいた。

「貴族社会で認められるには、かなりの時がかかりましょう。鬱陶しいぐらい面子を気にすますから、しばらくは嫌な目にあいますよ」

「だが、あいつ、いやあの御仁ならばやってくれるだろう」

 カロッソは、伯爵から跡継ぎになることを求められて、拒まなかった。あえて周囲の思いを受け止め、厳しい道を選択した。

「芯の強さは感じた。簡単には屈しないと思うぞ」

「若いのに、やるべきことはわかっている。そんなふうに見えました」

「あの辺は見習いたいな。俺はしくじってばかりだからな」

 今回はしくじってばかりだった。

 ガレアッツオが決闘の作法を守らないことは、最初からわかっていた。だから、エマとエレーネに助けを乞うたのであるが、よいやり方とは言えなかった。ヒーム伯爵ともっと頻繁に話しあって決闘が正しくおこなわれるように手を尽くすべきだった。

 北部連合の間諜を逃がしたのも失敗だった。

 あの男はエレーネの雷撃で吹き飛ばされたはずだったが、いつしかいなくなっていた。

 決闘の始末をつけるのが最優先だったとはいえ、せめて縄でも打っておけば、あっさり取り逃がすこともなかった。

 ガレアッツオの動きも気になる。あの後、屋敷を出て帝都に向かったらしいが、また大きな面倒を起こしそうにも思える。

「もうちょっと手を尽くしておけばな」

「完璧というわけにはいかないでしょう。今はこれで十分かと」

 ベルトランは竜之進を見る。

「水野様のおかげで、多くの者が倖せになっています。カロッソ殿だけではありません。あの魔術師の娘も、あなたの子分も、歌姫も。新しい道を見つけ、自らの足で歩み出した。道を作ったのは、あなたですよ。それで十分なのではありませんか」

 素直に褒められて、竜之進は沈黙した。照れ隠しにごまかすこともできない。

 この町のために、何かできているのか。正直なところ、わからない。

 だが、もし、自分が手を貸すことで、他の誰かが幸福になるのだとしたら、顔をあげて前に進む力を与えることができたのならば、うれしい話だ。

 異世界の町に立って、こうして生きているからには自分にできることをしたい。

 いつまでもヴァルドタントの同心でありたい。その思いは変わらない。

「今回は世話になったな。助かったよ」

「いえいえ、当然のことをしたまでです」

「そういえば、家臣になるという話はどうなった? 誘われたのだろう?」

 カロッソはベルトランを高く評価しており、代官として彼を支えて欲しいと考えていた。能力の高さを考えれば、当然だろう。

「ありがたい話ですが、断りました」

「どうしてだ?」

「自分の力で、家を再興したかったからですよ。今回の件で、改めて思いました」

「そうか」

「それに、しばらくはこの町にかかわっていたいとも思ったのですよ。皆もいますし」

 ベルトランが顔を向けると、その先にはオックとエマ、エレーネの姿があった。

 オックは竜之進を見つけると、駆けよってくる。エマもそれにつづく。

 ヴァルドタントの日々はまだつづく。荒っぽいことも起きるだろう。

 だが、今は静けさに身を委ねる。それは決して悪いことではない。

 雲の影から太陽が姿を見せ、光の柱が大地に立つ。陽光に照らされる美しい道を、竜之進は笑みを浮かべつつ歩んでいった。

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転生した同心は、異世界でもやはり同心だった。 --水野竜之進、ヴァルドタントに舞う-- 中岡潤一郎 @nakaoka2016

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