第39話
長い説明を受けて、竜之進は思わずうなずいた。
「なるほど。決闘というのは、そういうものか。わかりやすい話だな」
「知らずに従者を買って出たのですか。さすがは水野殿。何とも頼りがいがある」
「腰が軽いと言いたいのだろう? いいぞ、笑っても」
「いえいえ。思い切った決断があってこそ道は開く。そう思っていますよ」
ベルトランは静かに応じたが、その口元には笑みがあった。
紺の上着と黒の洋袴はいつもどおりだが、今日は細剣を佩き、両手には鎖の籠手を装備している。上着の隙間からは鎖帷子も見てとれる。
あの日、カロッソの挑戦をガレアッツオは受けいれ、貴族決闘が成立した。
決闘は、家中、あるいは家同士でもめ事があった時、大きな犠牲を出さぬ為、決められた人数同士で戦って決着をつける貴族伝統の解決法だった。
神と陛下の恩恵があれば勝利できるという見立てであり、勝利すれば、すべての栄光が手に入る。
逆に言えば、敗北すれば、正義はなく、何を言い返すこともできない。
本来ならば、決闘が成立するためには、複数の貴族の承認が必要なのであるが、家中の問題で、しかも当主が申し込みの場を見たということもあって、あっさり話はまとまった。
彼らが決闘の場に選んだのは、ヴァルドタントの東にある草原地帯だった。周囲に雑木林があり、農民の目につくこともない。
「甲冑を着てこなかったのは、さすがだな。動きやすさを重視か」
竜之進の言葉に、ベルトランは笑みで応じた。
「相手の出方がわからない以上、うかつなことはできないでしょう」
「向こうは三人。こっちも三人。数は同じだがな」
伯爵の裁可で人数は三人と決まったが、療養院暮らしのカロッサに家臣はいない。剣技をこなす仲間もいなかったので、竜之進が従者の名乗りをあげた。さすがに、あれだけあおって見捨てるわけにはいかなかった。
もう一人はベルトランに紹介してもらおうと思ったのだが、話を持っていくと、なんと彼が自ら決闘に加わることを表明した。
さすがに、この決断には驚いた。
「すみません。ベルトラン様。このような決闘に巻きこんでしまって」
頭を下げたのはカロッソだった。細剣を吊し、右手に籠手をつけていた。
「申し訳なく思っています」
「いえいえ、お気になさらず。ここでラセニケ家の次期当主に恩を売っておけば、どこぞで便宜を図ってくれるでしょう。下心満載ですので、お気になさらず」
ベルトランは静かに応じた。引き受けて当然と言いたげだ。
表向きは彼が語ったとおりであるが、実際は窮状を見かねてといったところだ。他に仲間がいないと見て、あえて分の悪い賭けに乗ってくれた。感謝の言葉しかない。
「申しわけありません。本当に。つまらぬ争いに巻きこんでしまって。ただ、彼にラセニケ家をまかせるわけにはいきませんでした。あの時は意地を張っただけだったのですが、後から水野様の話を聞くと、その判断が正しかったことがわかりました」
決闘の前、竜之進はカロッソにガレアッツオの行状を説明した。
情報をもたらしてくれたのは、竜之進の知己だった。そこには、オックやエレーネはもちろん、エマやアデール、ヒーム伯爵やヴェルデ、さらにはリコルノやリルケといった仕事で知り合った者も加わっていた。
皆、エレーネやオックから話を聞いて、望んでガレアッツオの行状を調べてくれた。リコルノのように出入りしている店や買っている品物まで教えてくれた者もいる。
話をまとめると、ガレアッツオは途方もない額を遊びに突っ込んでおり、遠からず伯爵家の資産は底をつくと見られていた。おかげで筋のよい商人は逃げており、今の取り巻きは金目当ての悪党ばかりだった。
状況が悪くなっているにもかかわらず、ガレアッツオはあくまで強気だった。
なぜか。
背後で何者かが資金を提供していたからだ。
出所ははっきりしないが、例の間諜がいるところを見れば、自ずと察しはつく。
ラセニケ伯爵家は、罠にかかっていた。
カロッソが決闘に積極的になったのは、これらの事情を知ってからだった。
「かまいませんよ。私らにとっても他人事ではありませんから」
「ああ、民の平穏はしっかり守らねえとな。俺はヴァルドタントの同心だからな」
町のために尽くすのは、当然のことだ。
「さて、問題は向こうの出方だな」
「まっとうにやってくれればいいんですが……」
万が一に備えて、仕掛けは施しているが、使わずにすめば、それに越したことはない。面白がって動かれると、それも困る。
ベルトランが顔を向けると、雑木林の細い道を抜けて、剣士が現れた。
四人で、いずれも金属の胸当てに籠手、臑当てをつけている。兜はなく、素顔をさらしている。
武具は二人が剣で、残りの一人が槍だった。
槍の穂先にあたる部分は斧であり、まともに食らったら頭は粉砕されてしまうだろう。
前に出てきたのは、ガレアッツオだ。胸当てには、伯爵家の紋章が描かれている。
「臆せずによく来たな。数もそろえてきたとは上等だ」
「もちろんだ。逃げるつもりはない」
「では、はじめるとしようか」
ガレアッツオが剣を抜く。
「待て、立会人はどうした」
「ヒーム伯爵が来るはずだが、遅れているようだな。やむをえん。俺の部下にやらせよう」
「待ってください。それでは、決闘として成立しません。双方にかかわりのない者でないと……」
「私の家臣を信用できないのか。ちゃんと報告するから心配するな」
荒っぽい。先にカロッソを倒して、既成事実で押し切るつもりか。
ガレアッツオが駆け出し、その左右を若手の騎士が固める。
残った一人は、後方で様子を見ている。立会人ということらしいが、どこまであてになるのか。
「仕方ない。やるぞ」
竜之進は忠吉を抜き、カロッソとベルトランもそれにならう。
最初に仕掛けたのは、ガレアッツオだった。間合いを詰めると、思いきり上段から振りかぶり、カロッソの頭をねらう。
乾いた音がして、カロッソが剣を払った。
逆に踏みこんで、ガレアッツオの腕をねらう。
うまく右手の甲を叩くも、切っ先は籠手にはばまれた。
「よくも、私の手を」
ガレアッツオが下がったところで、騎士が一撃をかけてくる。
その顔には見おぼえがある。竜之進をねらった間諜だ。
竜之進はカロッソと間諜の間に入って、一撃を防ぐ。
引き際に、針が首筋をかすめる。
含み針だ。ここでねらってくるとは。
竜之進はかまわず前に出るも、小刀の攻撃で動きを封じられる。
「ベルトラン殿、カロッソ殿の守りを」
「心得た」
ベルトランがカロッソに前に出て、ガレアッツオと戦う。
その動きには無駄がなく、たちまち次期当主を追いつめていく。
一方、カロッソには三人目の騎士が迫っていた。巨大な槍を振り回して、頭を攻めたてる。
カロッソは後ろに下がって、強烈な一撃をかわす。
第二撃、第三撃もすべて見切って距離を取る。
我流だが、その動きは速い。
長年、苦労してきただけのことはある。何度もその身は危険にさらされてきたらしく、対応する技術は持っている。
カロッソは槍を避けて、懐に入る機会をうかがう。
しばらく攻めあぐねていたが、余計な見栄が状況を変えた。
「ええい、どけ。私が仕留める」
ガレアッツオが騎士を押しのけて、カロッソと対峙した。
右からの横薙ぎの一撃を放つも、大きく外れる。
カロッソは次の一撃が来る前に、ガレアッツオとの間合いを詰めた。片手でしなやかに剣を振ると、その首筋をねらう。
ぱっと髪の毛が飛び散る。
つづいて放った突きも、カロッソの肩をかすめる。
うまい。確実に追いつめている。
ガレアッツオは見てくれはよいが、腕が伴っていない。三流以下で、まともに戦って勝つだけの技は持っていない。
ならば、余計な邪魔が入らないようにするのみ。
竜之進は間諜を追い払うと、カロッソとの距離を取った。
一対一になったことを知って、カロッソは長剣を振るって攻めたてる。
その切っ先が頬をかすめた瞬間、若き次期当主は声を張りあげた。
「助けよ。我を助けよ」
雑木林で殺気が逆巻き、武装した男たちが飛び出してくる。
四人、五人と数は増え、最終的には十二人に達する。
「何をするか。従者の数は決まっていたはず」
カロッソの声に、ガレアッツオは顔をゆがめて応じる。
「勝てばよいのだ。貴様らのような下賤の者を相手に卑怯も何もあるか」
「そこまでして後を嗣ぎたいか。爵位を持っていることがそんなに大事か」
「当たり前だ。我は第12代ラセニケ伯爵、ガレアッツオ・ミハウ・ネーメンズ。名誉と栄光はすべて俺のものだ。やれ!」
六人の家臣が半円の陣形を組む。その手には赤い輝きがあった。
「魔術師か」
「これはかわせまい。全員、消し炭となって死ね」
ガレアッツオは剣先を竜之進に向ける。
「我の知略に貴様らは屈するのだ」
「知略だ? そんなのは孫子を読んでから言え」
「ほざけ」
ガレアッツオが手を振ると、火炎弾がいっせいに放たれた。
火の壁が彼らに迫る。
一瞬で全員が炎のつつまれると思われたが……。
その直前、見えない壁に弾かれて、炎は飛び散った。
「何だと」
二回、三回と火炎弾が迫るが、まったく届かない。
「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからずと孫子は言う。お前の汚いやり口はわかっていた。当然、対処はしているよ」
「なんだと」
「兵は詭道なり。欺かれるお前たちが間抜けなんだよ」
竜之進が手を振ると、背後の森から二つの人影が飛び出してきた。
いずれも長いローブに身にまとい、太い杖を手にしている。
「ようやく出番かい。遅すぎたよ」
エマである。口元に浮かぶ笑みが力強い。
「待ちくたびれて寝そうだったよ」
「そういうな。若き魔術師。我らの出番がなければ、平和裡に物事がすんで、我らには好都合だったのだぞ」
応じたのはエレーネだ。その瞳は爛々と輝いている。
「約定が守られず、面倒なことになった」
「言っている口元が笑っていますよ。姐さん」
心の底から楽しげな二人を見て、竜之進はうれしい反面、不安もおぼえる。やはり、こうなったかという思いがある。
ガレアッツオが約束を破ったり、魔術を使ったりしてきた時のために、竜之進はエマとエレーナに頼んで様子を見てもらっていた。その時が来たら、即座に飛び出して対応する手筈だった。
できることなら使いたくなかったが、それは正々堂々と戦いたかったからではない。
二人が嬉々として暴れ回ることがわかっていたからだ。
いったい、何をやらかすか、不安でしかなかった。
その読みが正しかったのは、二人のやりとりを見ていればわかる。
「何ですか、その正論。どうせダメになるって、姐さんも言っていたじゃないですか。だったら、さっさと出て叩きのめしましょうよ」
「違いない。それが一番、楽しそうだ」
「来るぞ」
ベルトランが警句を放った時、家臣が火炎弾を放った。
炎が奔流となって、カロッソに迫る。
「やらせない!」
エマが手を振ると、風が逆巻き、カロッソの前で壁ができた。
炎がぶつかり、弾き返されていく。
そればかりか見えない手に押しつぶされているのように、炎の塊は小さくなり、ついには消える。
立てつづけに、火炎弾が迫るが、その一つとして竜之進たちには届かない。
エマは、微笑しながら敵の魔術を払いのけていく。
「やるな。そこまで風を使えるようになったか」
「ばあちゃん直伝ですよ」
「アデールか。おとなしくしていれば、帝国魔術師長の地位も夢ではなかっただろうに。気の強いのが、玉に傷だったな」
「自分でもそう言っていましたよ」
「そうか。なら、こっちも負けていられぬな」
エレーネは杖を振るう。
「竜之進、一気に道を開く。決着をつけろ」
「姐さん、無茶はしないで」
「派手に行くぞ!」
棒から光の線があふれて、上方に伸びていく。
エレーネが手を振ると、轟音とともに強烈な稲妻が大地に降りそそいだ。
先端は大地を切り裂き、巨大な手でひっぱたいたかのようにガレアッツオの家臣を薙ぎはらう。
すさまじい魔術だ。こんなことまでできるのか。
確か、以前、魔術師の話をした時、自分は素人だからとうていかなわないとか言っていたが、とんでもない。玄人が束になってかかっても勝てないのではないか。
「竜之進!」
エレーネに叱咤されて、竜之進は走り出した。
敵の一団は全員があおむけに倒れており、残っているのはガレアッツオだけだった。竜之進は怒りに顔をゆがめる世継ぎに迫ると、右からの一撃をかける。
ガレアッツオは受け止めたが、大きくよろめく。手を抜いたのに、これでは困る。
体勢を立て直したところで、今度はカロッソが駆けよって剣を繰りだす。
「くそっ。こんな奴に」
ガレアッツオは踏ん張って、剣を振るうが、力が入らず、切っ先が大きく揺れる。
息も切れており、満足に戦うことはできない。
竜之進は呆れた。これで武人として戦に出るつもりだったとは。
馬鹿馬鹿しい。戦の世界になれば、貴族も無償で権勢を得ることはできまい。道を切り開くのであれば、戦うしかないのに、まるで鍛えていないとは。この覚悟で一家の当主を務めるつもりだったとすれば、阿呆らしいとしか言いようがない。
ガレアッツオはなおも前に出るが、足がもつれてしまう。
そこにカロッソは踏みこんで、肩に強烈な一撃を振りおろす。
甲冑にはばまれて、手傷を与えることはできない。それでも相手に膝をつかせるには十分だった。
「あなたの負けです、ガレアッツオ殿」
カロッソは決闘の作法に則って、切っ先を首筋につけた。
「お終いにしましょう」」
「まだだ。まだこれからよ」
「では、このまま喉をつらぬかれますか。命が惜しくないというのであれば、それでかまいませんが」
ガレアッツオは沈黙し、原野は先刻の雷鳴が嘘であったかのように静けさに覆われる。
敗者はなかなか負けを認めない。どうするつもりか。
「そこまでにしていただこう。カロッソ殿。いや、第12代ラセニケ伯爵殿」
聞き慣れた声に顔を向けると、ヒーム伯爵が歩み寄ってくるところだった。小さく息をついて左右を見回す。
「派手な音がするので、あわてて来てみたら、まさか決闘が終わっていようとはな。時間が変わったと聞かされていたが、どうなったのか、ガレアッツオ殿」
ヒーム様、これはよいところへ」
ガレアッツオは立ちあがり、ヒームに駆けよった。
「この決闘は無効でする。奴らが勝手にはじめたことで、成立しておりません」
「勝手にはじめたのはおぬしだろう。よくもそんなことが言えたものだ。しかも、魔術師の加勢まで用意しておいて。決まりを破ったのは、ガレアッツオ殿ではあろう。だったら、その報いはもらわんとな」
ヒーム伯爵は笑った。おそらく、すべてを知った上で、この場に姿を見せたのであろう。
ガレアッツオは顔をゆがめたのは、それに気づいたからだ。もう先はない。
「決闘は終わった。勝者は明白。あとは儂が預かる」
高らかな声が響く。
それは熾烈な戦いが終わり、未来が開けたことを明快に示していた。
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