第38話

 竜之進はカロッソを伴って、寝台の横に立った。

 老いた貴族は横たわったまま、視線をカロッソに向けた。顔色は悪く、病が悪化していることが見てとれる。

「伯爵様、遅くなりましたが、連れてきました。従兄弟殿です」

 ラセニケ伯爵は瞳を動かして、カロッソを見た。

「おぬしがそうか」

「カロッソ・ベンソです」

「いくつになる?」

「17歳です」

「そうか。叔母上の面影がある。無事に生きていたか」

 カロッソがかがみ込むと、ラセニケ伯爵は手をのばして、その頬をなでた。

「間違いなく、我が家の血を継ぐ者だ」

「家系紋は見なくてよろしいですか」

「必要ない。見ればわかる」

 ラセニケ伯爵は手をおろすと、大きく息を吐き出した。

「おぬしには悪いことをした。今まで苦労させてしまい、本当にすまなく思っている」

「それは母上に言ってください。つらい思いをしたのは母上ですから」

「それは遠からぬ未来にかなおう。あの世に行けば、いつでも会える」

 さすがにカロッソはたじろいだ。病人には慣れているだろうが、身内から死期を告げられれば、衝撃も大きかろう。

「今は何をしている?」

 尋ねられて、カロッソは素直に治療院のことを語った。医者になろうとしていることも、この先も多くの人を救っていきたいことも。

 働きぶりについては、竜之進も補足した。

 院長や治療院の医者、薬師、看護にあたる娘に聞いたところ、カロッソは医術に長けた優秀な若者で、すでに多くの患者を救っている。面倒見もいいが、すぐに怒るところが問題とのことだった。

「頭に血がのぼりやすいのは血筋だな。儂も若い頃は怒ってばかりだった」

 ラセニケ伯爵は笑ったが、それは一瞬だった。

「おぬしがどういう人物なのか、正直なところ、まだわからぬ。心根のまっすぐなよい男のように思えるが、瞳の暗さが気になる。何やら鬱屈を抱えているように思われ、それが将来どのようにおぬしの人生にかかわってくるか、はっきりとせぬ」

 さすがは貴族の当主だ。一目で、あの陰に気づいたか。

 視線をそらすカロッソに、ラセニケ伯爵はなおもつづけた。

「それでも、おぬしに頼みたい。この伯爵家を継いで欲しい」

「えっ?」

「おぬしならばできよう。そして、それが叔母上への罪滅ぼしとなる」

 伯爵は半身を起こした。その動きは驚くほど力強い。

「我が家にはいまだ先々代の放蕩の影響が残っている。懸命に立て直したが、まだダメだ。家臣は少なく、領地も荒れている。税の収入は当然、不足。地道に足元を固めていかねばならないところだが、残念ながら愚息が……」

 伯爵はそこで咳き込む。すぐにカロッソが慣れた手つきで、背中をなでた。

「すまぬ。見てのとおり、儂は病んでいる。そうそう長くは保たぬ」

「そんなことはありません。ちゃんと養生すれば、直ります。まずは医者に……」

「そんな余裕はない。できるだけのことはする。その後をおぬしにまかせたい」

「そんな……勝手なことを」

 カロッソはうめく。その手は細かく震えている。

 いきなり呼び出されて、跡継ぎになれと言われても、受けいれることはできまい。同心や与力ですら見習いがせいぜいだ。

 大名ならば、若年で後を嗣ぐこともあるが、その場合は後見人がついて、成人するまで優秀な家臣が家をまとめる。

 孤独なカロッソには過大な重みだ。

 それでも……。

 竜之進はカロッソに声をかける。

「無理ならば断ってもいいんだぜ。誰も文句は言わねえよ。放っておいたのは、この家の連中だからな」

 カロッソは顔をあげた。表情は渋い。

「正直、この家がつぶれても、お前さんには何のかかわりもあるまい。放蕩の果てだ。母上を追い出した家に復讐できて、一石二鳥とも言える」

 静寂が広がる。カロッソはもちろん伯爵も何も言わない。

 彼方から鳥の声が響く。

 あれは鳶か。この世界にもいるのか。

 江戸の町で空を見あげると、よく弧を描いて飛ぶ姿を見かけた。

 美しかった。子供の頃には、その後を追って何度も駆け出した。

 再びこの目で見ることができるのだろうか。江戸で。

 感傷が心の片隅をかすめたところで、低い声が響いた。

「母上は……」

 カロッソは伯爵を見ていた。

「この家の都合でさんざんに振り回されました。しなくてもいい貧しい生活を強いられ、挙げ句の果てにすべての精気を吸い取られるようにして死にました。ひどくつらい目にあいました。なのに……母上がこの家のことを悪く言うことはありませんでした」

「……」

「自分はやるべきことをやった。屋敷から落ちのびたのも、あえて実家に戻らなかったのも自分の意志であると。こうすれば、少なくともラセニケの血はつながり、いずれどこかで花が咲くと。だから、いつかラセニケの家から声がかかった時には話だけは聞いて欲しいと。そして自分の意志で、行くべき道を決めて欲しいと言われていました」

「そうか。叔母上は、そのようなことを」

 ラセニケ伯爵は肩を落とした。気力が抜けてしまったかのように思える。

「本当にすまないことをしたと思っている」

「いえ、それはいいのです。母上は下町の生活も楽しんでいましたから。ただ、僕は……」

 そこで急に扉が突然、開いて、派手な紫の服を着た寝室に入ってきた。

 背は低いが、身体はすらりとしており、動きは身軽だ。

 金の線が入った紫の帽子をかぶり、白の洋袴をはいている。靴は革製で、きれいに磨きあげられていた。

 目を惹くのが胸のあたりで輝く宝石だ。赤、緑、青の石が銀細工にはめ込まれていて、自ら光を放っているかのごとく輝いている。

「何事だ、客人の前で」

 伯爵が叱りつけても、若者は気にするそぶりも見せず、口元をゆがめて笑った。

「父上こそ、私に何の話もなく、このような下賤の者を呼ぶとは。非礼も甚だしいではありませんか」

「言えば、反対するだろう」

「当然です。跡継ぎ問題は解決済み。今さら何を蒸し返そうというのか」

 では、この茶色の髪の男がラセニケ伯爵家次男、ガレアッツオ・ミハウ・ネーメンズというわけか。

 年齢はカロッソと同じぐらいか。貴族の子供ということもあり、品はよさは感じる。

 しかし、人を露骨に見下す目線と侮蔑することをためらわない物言いには、反感しかおぼえなかった。

「おぬしが、叔母上の子か」

 ガレアッツオの視線がカロッソをなぐ。

「何をしている? 膝をつけ。平民が我の前で立っているなど、非礼もいいところだろう」

 言葉に押されるようにして、カロッソが膝をつこうとしたが、寸前で竜之進が声をかけた。

「やめな。お前さんはこの家の人間だろう。身内に膝をつく必要はねえよ」

「何を、貴様」

「ついでに言えば、身内に膝をつかせる阿呆に払う敬意もねえよ。馬鹿馬鹿しい」

「おのれ、若様に何という物のいいよう」

 ガレアッツオの背後に控えていた家臣が前に出てきた。いずれも若い。

 一人は剣の柄に手をかけている。

 当主と客人の前で怒気を露わにするとは。よほど家臣の質が悪いと見える。

 ふと、そこで竜之進は強い殺気を感じた。

 遊びではない。本気の殺意だ。

 視線を転じると、若い家臣の背後に隠れて、背の低い騎士がいた。茶の上着に、黒の帯、白の洋袴という格好だ。

 黒い瞳は竜之進に向いている。

 どこかで感じたことのある気配だ。いったい、どこで……。

 そこで騎士が小刀を取りだした。三本で、すべて指の間に挟んでいる。

「あいつか……」

 運河で死闘を繰り広げた間諜。その一人だ。

 ここで相まみえることになろうとは。

 北部連合とやらは、どこまでラセニケ伯爵家に食い込んでいるのか。

「媚びる必要はねえぜ。カロッソ」

 竜之進は視線で騎士を押さえつつ語りかける。

「お前さんの思ったことを云うといい」

 茶髪の少年は、竜之進、ついでガレアッツオを見た。

 瞳には力がある。十分だ。これならつまらぬ貴族には負けねえだろう。

「我は、カロッソ。カロッソ・ベンツ。九代伯爵の子、マーニャの血を継ぐ者にして、その行く末を託された者」

 朗々と伸びる声に、ガレアッツオは気圧されていた。反論はできない。

「あなたのことは聞いている。ガレアッツオ殿。さんざん放蕩して、先祖の蓄えを切り崩すとは言語道断。ラセニケ伯爵家を嗣ぐには、その資質が足りないとみた」

 カロッソはそこで声を張りあげる

「故に、この家は私が守る」

「何だと!」

 ガレアッツオが吠え、家臣が刀に手をかける。

 竜之進も鯉口を切るが、間者の動きに気になって、うかつに反応できない。

「無礼者め。ここで斬り捨ててやる」

 ガレアッツオが迫ってきたところで、カロッソは堂々と言い放った。

「さりとて、ガレアッツオ殿にも思うところがありましょう。ならば、正々堂々と決着をつけましょう。決闘で」

「決闘だと」

「そう。二人で戦い、ラセニケ家の将来を決める。これで跡継ぎ問題はすべて解決しましょう。いかがですか」

 カロッソがにらむ。

 ガレアッツオは沈黙したが、それは思ったよりも短かった。

 口元に笑みを浮かべながら返事を述べる。毒を含んではいたが、その内容はきわめて明快だった。

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