第37話
先日、行く手を阻んだ鉄扉が開いて、竜之進は石壁に囲まれた区画に入った。
目の前に白い建物がある。
意外と大きい。ラセニケ伯爵家の代官屋敷と同じぐらいであろうか。
生け垣に囲まれていて、まっすぐ伸びる道の先に小さな門がある。
物々しさを感じないのは、色とりどりの花に彩られているからだろう。牡丹とおぼしき花輪もあるが、ほとんとがはじめて見る花だ。
竜之進が門扉を見ていると、やわらかい声が響いてきた。
「きれいでしょう。医療院の娘たちが育てているんです」
門の向こう側に、茶色の髪の男が立っていた。
年の頃は一六、七といったところか。
背は高く、無駄な肉はまるでついていない。白の上着に、茶の|洋袴《ズボンといういでたちがよく似合っている。
人のよい農夫といった顔立ちだが、瞳の暗さがいささか気になる。
「水野竜之進様ですね。私がカロッソ・ベンソです」
「あ、ああ。よろしくな」
「こちらへ。外で話をしましょう」
カロッソに導かれて、竜之進は庭に入る。
背の高い木々に囲まれており、右手方向では子供が声をあげて遊んでいる。服は粗末だが、表情は明るく動きも大きい。
その手前では、看護にあたる娘が三人で洗濯をしていた。
何か話しているが、内容はわからない。ただ弾けるような笑みから楽しい話題であることは間違いなさそうだ。
「驚きましたか。思いのほか明るくて」
「ああ。貧民窟の中にあるから、もっと汚らしいと思っていたよ」
「以前はひどかったようです。変わったのは今の院長になってからで建物をきれいにして、庭も整えたようです。人並みの生活をするには家が明るくないといけないとのことで」
「違いない」
暗い家は人をダメにする。汚れた家はもっと悪くする。
人が転落するのは、身の回りの世話ができなくなった時だ。それはよく知っている。
カロッソに勧められて、竜之進は椅子に座った。
「さて、じゃあ、話をはじめるか。まだるっこしいのは苦手だから、早速に本題に入るぜ」
「どうぞ」
「お前さん、ラセニケ家の一族っていうのは本当かい?」
「はい。間違いありません」
「いきなり認めたな」
「話を聞いた時から、事情は察していました。わざわざ手間をかけて、僕を指名するのであれば、他に理由はないでしょう」
「認めてくれるのは助かるが、鵜呑みはできんな」
「ぼくがだましているかもしれないと」
「そうだ」
「では、証しを見せましょう」
カロッソは上着を脱いで、上半身を陽光の下にさらした。
「背中の方に、紋様が刻み込んであるのがわかりますか。それが家系紋です。貴族の縁者とわかるように魔術で紋様を刻み込みます。普段はわからないのですが、まあ、ちょっと頭に血がのぼれば、こうやって浮かび上がってきます」
「話は聞いていた。代官屋敷で、これと同じ紋様を見た」
「本物と認めてくださいますか」
「ああ。確か、母親が先代当主の妹と聞いていたが」
「そのようです。死ぬ直前に、詳しい話をしてくれました」
カロッソによれば、館が焼き討ちされた時、母親は家人の案内で脱出、エゼーという町に逃げ込んだ。戻るかどうか迷ったが、御家騒動に飽き飽きしていたので、伝手を頼って帝都に赴き、そこで裕福な家の家庭教師として暮らすことになった。父親と知り合ったのはその頃で、早々に結婚し、カロッソが生まれた。
「ですが、その勤め先が宮廷の派閥争いに巻きこまれて、両親は帝都から追い出されてしまいました。その後は、あちこちの町を転々としながら暮らしました」
「母親は死んだと聞いた」
「はい。三年前です。父はその一年前に死んでいます」
「係累を亡くして、よくやってこられたな」
「運がよかったのです。巡り合わせが悪かったら、野盗に殺されていたか、奴隷にされて北部連合に売り飛ばされていたでしょう」
カロッソは上着を着ながら淡々と応じる。
相当に苦労したであろうに、それを表に出す気配はない。
それが心の強さであるならばよいが、瞳の色の暗さを見れば、それが違うことがわかる。
どこかに歪みがある。少なくとも見た目どおりの人物ではない。
「ここに来たのは一年前です。今では治療院の手伝いをしながら、医者になるための勉強をしています」
「いい心がけだが、まあ、お前さんの生まれを考えると、放っておくことはできねえ」
竜之進は事情を語った。ラセニケ家が乱れていて現当主が廃嫡を考えていることも、その跡継ぎ候補の一人にカロッソがあがっていることもすべて説明した。
「信じられません。ラセニケ伯爵家は名家。つながりが深い貴族はいくらでもいます。外から養子を取ることもできるはずです」
「詳しい事情はよくわからんよ。ただ、今の当主は、お前さんの母親に負い目を感じているようでな。できることならば、お前さんを当主にしたいと思っているようだ」
竜之進は、カロッソを見る。
「いちおう確かめておきたい。お前さんの気持ちはどうなんだ?」
「跡継ぎになるつもりなら、まったくありませんね」
即答だった。ためらいはなかった。
竜之進は、わざと間を置いて話をつづける。
「そうかい。それはそれでかまわないが、一応、
「貴族が嫌いだからですよ。同じになりたくない」
声に怒気がこもる。表情もゆがみ、感情が露わになる。
「貴族にはさんざんいじめられました。帝都にいた時は、母ともども罵られ、馬鹿にされました。母は貴族の儀礼に詳しく、乞われてその由来を教えることもあったのですが、それが生意気と。市民のくせに、そんなことを知っていてどうすると言われて、ひどい扱いをされました」
「……」
「帝都から追い出されてからもそうです。父は数学の知識があり、とある町で教職の地位を得ることができたのですが、貴族の息子が横から奪い取りました。たいした知識もないのに、無茶を押し通したのです。抗議してもダメでした。むしろ彼らを敵に回して、町から追い出されてしまいした。それが原因で、父は体調を崩しました」
カロッソは、他にも事例をあげて、貴族にいじめられた旨を語った。
「金を持っている奴は多いのに、自分のために使うだけ。せめて寄附でもすればいいのに」
声には、純粋な怒りがある。
若さ故か。
いや、そもそも正義感が強いのだろう。さもなくば、治療院に身を投じ、患者のために尽くすような真似はしまい。
「ごもっともだな。まあ、俺も奴らにはいい気持ちは持っていねえ。さんざん振り回されたからな」
竜之進は頭をかく。
「ただ、この町でいろいろやってきて、貴族も通り一遍でないことはわかってきた。ダメな奴もいるが、まあ、それなりにいい奴もいる。いろいろとやりたいことがあるのに、頭の固い連中に抑えられて、苦しんでいたりする。そんな連中に俺は助けられてきたよ」
「……」
「ついでに言わせてもらえば、無駄遣いする貴族が嫌なら、お前さんがそういう奴にならなければいいんじゃないのかい。うまく金を使って、家臣の面倒を見つつ、自分のやりたいことをやればいい。治療院に寄附したっていいし、他のことをしてもいい。動かぬ山を動かすのが才覚ってもんだろう」
カロッソは黙ってうつむいた。
どうも首の後ろがむずがゆい。人の生き様にあれこれ言えるほど、立派な人物ではない。さんざん好き放題やってきて、どの面下げて説教か。
「とりあえず、伯爵様に会ってみたらどうだい? お前さんから見れば、従兄弟ということになる。係累に顔をあわせておくのは悪いことではあるめえ。それができぬほど狭量というわけでもなかろう」
冷たい風が二人の間を吹きぬける。日が陰ったこともあり、辺りは急速に冷えてくる。
カロッソは黙っていた。視線を合わせることもなく、うつむいている。
静寂は長くつづいた。
これはダメかと竜之進があきらめかけたところで、カロッソが顔をあげた。
「会うだけは会ってみます。ただ、気に入らない人だったら、すぐに帰らせていただきますが、それでよろしいですか」
「いいさ。頼んできたのは向こうだ。お前さんの好きなようにしな」
竜之進はカロッソの決断を受けいれた。自分の人生だから、好きにすればいい。
彼にできることは彼の進む道に危険がないように注意を払うことだけだった。
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