第6話 何もしてない

 話し終えた蒼依先輩は静かに俯いた。


「つまらないものだろう?私が勝手に期待に背負って壊れて行っただけ。弱いんだ、私は。自分が弱いのがつらい。期待に応えられるだけの器なんて元々なかったんだ」


 そう、またぽつりと呟いた。


 やけに波の音が大きく聞こえた。


「.......僕は凄いと思いますよ、それでも」

「…そうか」

「僕は期待に応え続けることもできない。期待に応えてほしいと思われたことすらもない。でも、蒼依先輩は、期待に応え続けた」

「でも、でもっ!!私は!!」


 彼女は堪えるようにこちらに顔を向けた。


 凛々しくて誰にも優しそうで生徒の模範であり続けた蒼依先輩の矜持が崩れ去ろうとしていた。


 うまい言葉なんか見つからない。だけれど、そんなものは思い浮かばなかったのでせめて僕の言葉で。


「確かに、蒼依先輩は期待に応え続けることは出来ない器だったかもしれない。だけれど、蒼依先輩が期待に応え続けようとした努力は何物にも代えがたいもので。才能なんかじゃないと思います。それに、そうして今も必死に耐えようとしている蒼依先輩も蒼依先輩なんです」

「あ、あぁ、ううぅ…」


 彼女の頬から涙がこぼれた。


「そ、そうなんだ。私は、私は.......天才なんかじゃない。才能なんてないんだ。全部、全部必死に努力をして.....」


 嗚咽をこぼしながら、でも確かに胸の内にあったものを今度こそ広い海へと吐き出していく。


「褒めてくれたのは嬉しかった。期待に応えられるのも。でも、でも私は.......弱いんだ。弱くて完璧じゃない私も私で。それも認めてほしかった!!私は私でありたかった。私を見てくれる存在が一人でも欲しかった。慰めてほしかった、その頑張りを褒めてくれる人が欲しかった」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、それでも彼女は思いを吐露し続ける。何年間もずっと胸の内にしまって死ぬまで開くことのなかった気持ちを。


「私は、蒼依は強くなんかない。完璧じゃない。天才じゃない。普通の人間で、普通の女の子だ!!全部、全部私なの!!私は、私なんだよ」


 涙を袖で拭って、それでも止まらない鼻水と涙でぐちゃぐちゃだったが何処か晴れやかな気持ちでそう言い切って最後には笑った。



 


 数分経ち、蒼依先輩の気持ちが落ち着いた頃になると何処か恥ずかし気にこちらを見た。


「な、なあ。柊君ひいらぎくん

「何でしょうか」

「このことは......忘れてくれないか。こんな気持ちを誰かに吐き出すなんて初めてでどうにも恥ずかしくて」


 蒼依先輩は海の方へと最後には視線を向けそう言った。


「大丈夫です。僕は聞いていませんでしたから。蒼依先輩はただ海に気持ちを吐き出しただけです」

「そ、そうか。うん、そうだ、な」


 照れくさそうに笑った彼女は立ち上がる。


「ありがとう。柊君」

「僕は何もしていませんよ」

「それでも、ありがとう。君がいてくれてよかった」

「…そう、ですか」


 君がいてくれて良かった、か。


 こんな言葉を誰かに言われたことがなかった僕はその言葉を反芻した。少しは役に立てたと考えてもいいのだろうか。


「それじゃあ、もう時間も時間だし何処か宿泊できる場所に移ろう」

「そうですね」


 蒼依先輩に続いて僕も立ち、先に歩き出した蒼依先輩に遅れないようにその後をついて行く。


 その後、スマホを使って調べながら何処か泊まれる場所がないか探したが何処も空いていないし、事前予約が必要な場所であったり、そもそもの資金が足りなかったりして僕達は困り果ててしまった。


 数分立ち止まって蒼依先輩が思いついたようにハッとするものの若干顔を赤らめて「宿泊できる場所の検討は付いた。けれど…でも柊君なら大丈夫か」と呟き、また歩き出した。


 彼女について行き、あるホテルに入った。


 蒼依先輩は慣れない様子でフロントにチェックインを申し込んで、部屋のカギを受け取る。部屋に向かう途中、他の部屋から漏れ出る声に蒼依先輩は恥ずかしくなったのか若干早歩きになり僕もそれにつられて足が速くなっていき、部屋に着いた。


 部屋の内装についてはお互い何も言うことはなく、大きなベッドに何処か居心地悪そうに蒼依先輩は座った。


「蒼依先輩......ここって」

「それ以上は言わなくていい」

「……蒼依先輩はいいんですか。こんな僕と一緒なんて」

「それは、大丈夫だと思っている。それに君は......いや、何でもない。今日は疲れたろうし、早く寝よう」

「分かりました」


 彼女はそう言ってお風呂場へと足を運び程なくして、シャワーの音が聞こえて来た。


 僕は特に何もすることがなかったので、カバンから資格の教材を取り出して眺める。数十分ほどしてから彼女がお風呂場から出て来たので、入れ替わりで僕も入る。


 蒼依先輩よりも幾分か早く入り終わり、髪も乾かし歯磨きも終わったところで彼女に話を振ることにした。


「蒼依先輩。僕はあっちで寝るのでベッドを使ってください」

「...いや、君も一緒にベッドで寝ればいい」

「いいんですか?」

「良いよ。君はそういうことはしないだろう?」

「はい」

「ならいいよ」


 僕がベッドに入ったことを確認した蒼依先輩は電気を消した。ベッドの中で蒼依先輩とある程度の距離を保ちながら横になる。


 目を瞑るがいつものベッドと違うせいか、眠ることができない。


「なぁ、柊君」

「なんですか」

「今日は改めて本当にありがとう」

「僕は何もしていませんよ」

「そうだったな」


 彼女はふっと息を吐いた。


 僕は本当に何もしていない。何もできていない。僕は何をやっても空回るはずだから。蒼依先輩が勝手に問題を解決しただけ。


 ただ、それだけ。


「なぁ…柊君。明日、観光というものをしてみたいって思う」

「観光ですか?」


 観光か。


 今まで僕は観光なんてしたことなかった。修学旅行は、行ったはいいもののいつの間にか僕は班からはぐれていてまともな観光なんてしていないし、家族旅行なんて本当に僕が幼かった、両親に愛されていた頃はもしかしたら行っているかもしれないが、僕はのけ者にされてきた。


 最近では、僕の事を何故か誘ってくれるようにはなったが家族の和気藹々とした楽しい旅行に水を差してはいけないので断っている。


「分かりました。観光しましょう」

「あぁ。…明日が楽しみだな。ありがとう柊君」


 そう言った彼女は数分後、寝息を立て始めた。


 僕もそれを見て寝ようとは思ったもののやはり寝ることは出来ずに数十分程時間が経った後、浅い眠りにつくことができた。





 

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