【ひとり帰省・後編】

実家でたらふくごはんを食べた後、4人で病院へ向かった。

父の運転する車に乗るのは数年ぶりで、相変わらず真面目な安全運転をしている姿に懐かしささえ感じた。


「この車ももう古いねぇ。」

姉はしみじみと呟いた。

私が高校生くらいの頃からだからたしかにもう10年以上は乗っている。

母は助手席でお茶を飲んだり「お父さん飴いる?」と父に声をかけたりしていた。

車の懐かしいにおいの中で、私はまた窓からの景色をぼんやり眺めた。



小さな駐車場から病院の入口へと回ると、ちょうど三女ののぞみもやってきた。


「なおちゃん久しぶり!もう長いこと会ってなかったね〜!」

姉の頭の先からつま先まで見て、妹は笑顔で言った。

「数年ぶりだものね〜。もしかしてのぞみの結婚式以来じゃない?孝宏さんもお久しぶり。」

のぞみの旦那さんがどうもと笑顔で軽い会釈をした。

「キミがりく君か。はじめまして、なおちゃんです!」

そしてのぞみの後ろに隠れる甥っ子。


「ほら、りく。叔母さんのなおちゃんだよ〜。」

「絶対に『おばさん』って呼ばせないでね!なおちゃんって呼んでもらうんだから。」

「はいはい、そのへんは大丈夫。ひーちゃんもひーちゃんって呼んでるから。ね?」


そう、私は妹ののぞみと甥っ子のりく君からは「ひーちゃん」と呼ばれている。

少しこどもっぽいけど、可愛い甥っ子に呼ばれるのはまんざらでもない。



のぞみと旦那の孝宏さんが両親とも軽く挨拶を済ませたところで、祖母の待つ病室へと向かった。

本を読んでいた祖母は部屋の入口から覗く私達に気がつくと笑顔で手を振った。


「なおちゃんもひとみちゃんも、わざわざありがとねぇ。」

しみじみと言う祖母。

「おばあちゃん、本当に久しぶり。具合はどうなの?」

「今日はすごく体調良いのよ。みんなが来てくれたからかねぇ。」

「そっかぁ。たしかに顔色もいいね。これ、お土産!」

姉がビック・ベンのマグネットを取り出して見せると、祖母はニコニコ笑って喜んでいた。


部屋にはもうひとり、祖母の斜め向かいのベッドにおばあさんがいた。

こちらも旦那さんらしき男性がお見舞いに来ていた。

迷惑にならぬようあちらもこちらも声を控えめにしていた。


しばらくして父と孝宏さんがタバコを吸いに行くと言って病室を出ていく。

「ひーちゃん、ちょっとりくのことお願いね。」

そう言い残し、のぞみは母と姉と一緒に飲み物を買いに行った。


甥っ子のりく君はもうすぐ3歳になる。

姉には人見知りを発動していたが、何度か会っている私には少し慣れてくれていた。

さっきから一生懸命折っていた折り紙(何の形かはわからない)を「あげる」と手渡してくれる。

無垢でさらさらの髪がきれい。


「私からもひとみちゃんにあげようねぇ。」

祖母がベッドの脇にある引き出しから小さなえんじ色の箱を出した。


「なおちゃんとのぞみちゃんには内緒だよ。」

「何だろう?開けてもいい?」

祖母が微笑んで頷く。


箱の中には立派な真珠が一粒入っていた。

真珠は金色のチェーンにくっついたネックレスで、古い箱と同じくらい年月を重ねているはずなのに瑞々しい美しさだ。

でも私はこれがなんだか知っている。

すぐに祖母の顔を見た。


「おばあちゃんこれ…。」

「おじいちゃんが結婚前にくれたもの。ひとみちゃんに似合うわよ。」

「私が小さい頃にも見せてくれたよね。」

「そうよ。自慢したかったのよ、おじいちゃんのこと。」


数年前に亡くなった祖父は祖母のことを大事にしていて、祖母も祖父のことが大好きだった。

祖父が亡くなってから祖母は一気に老けたように思う。

だから余計に…

「こんな大事なもの受け取れないよ…。」


「いいのよ、おばあちゃんもうそんなに長くないこと、自分でわかるもんなのよ。これ身につけてたら、きっと素敵な人に出逢えるわ。ひとみちゃんに持っててほしいの。」

「…わかった。ありがとう。」


箱を大事に、大事に鞄の中へしまった。

りく君からもらった折り紙も一緒に鞄へしまった。



祖母が疲れてしまわぬよう、会話もそこそこに我々は帰ることにした。


車へ戻る道でふと祖母の顔を思い出す。

ずいぶん痩せていたな。

腕も指も細くて…。


どっと涙が溢れた。

その場に立ち尽くし声も出さずに泣いていたら、姉と妹がそばへ寄ってきた。


「どうしたの!?」

「なんかおばあちゃん、すごく小さくて……死に近づいてってる気がして怖くて……。」

涙が止まらない。


祖父が亡くなる時、最後に祖父を見たのは死後だったため「ああ亡くなったんだ」という感情だったけど、死を前にした人間というのはああいう感じなのか。

衰えていっているのが目に見えてわかるというのは恐ろしい。

身近な人がもうすぐいなくなってしまう実感が急に不安な気持ちにさせる。

事前に父から「医者からはもうそろそろって言われたよ。」と聞いていたけど、あんなに元気だった祖母が今日はずっとベッドにもたれていたのは実はとてもショックだったのだ。


私はおばあちゃん孝行というには全然足りないくらいだと思う。

祖母のことは大好きだけど、これまで実家にあまり帰らなかったのと同じくらい祖母の家にも寄らなくなっていた。

こんな気持ちになるくらいなら普段から帰ってきていれば良かったのだ。


手の甲で涙を拭う。子どものように泣いてしまっている。

泣きすぎて鼻が痛くなってきた。


姉が抱きついてきた。

次に、妹も抱きついてきた。


「ひとみは私らの中で一番、昔からおばあちゃん想いだったもんね~。」


子どもをあやすように私の頭をぽんぽんと撫でる姉も鼻をすすっていた。

妹も静かに泣いていた。


昼前から雨が降るという予報は外れ、ずっと曇り空だけが広がっている。

梅雨前の季節の風はやけに湿っているように感じた。

その湿った風には、姉の香水の匂いと、妹の服の柔軟剤の匂いが混じっていた。



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