【ひとり帰省・前編】

ひとりで暮らす祖母が入院した。

祖母宅のすぐ近くに住む両親から連絡があり、一度お見舞いに行くことにした。


下り電車でまずは15分揺られる。

人の少ない車内にはスマホを眺める能面のような顔をした乗客たち。

私は窓の外を見ていた。今日も天気が悪くなりそうだな…。


まだ梅雨には早いけれど先週も今週も土日だけ雨なので気持ちがあまり晴れない。

気圧が低いと頭も痛いような気がした。


やがて乗り換え駅へ着く。

ここからさらに1時間ほど列車に揺られることになる。


母と事前に連絡を取り合った時は何も言っていなかったけど、昼ごはんはどうしようかな。

実家に着く頃には昼前だし、どこかへ食べに行くかもしれない。


駅構内の売店に寄り、美味しそうなサンドイッチと迷った末にグミを買った。

これならさほどおなかいっぱいにはなるまい。

大豆ほどの大きさのそれらを口に入れる。

ほどよい硬さと弾力、そして中毒性。

グミってどうしてこんなに食べだすと止まらなくなるんだろう。

電車が来るまでの間に袋の中身の半分ほどを食べてしまった。



久しぶりに乗る実家へ向かう電車は外も内もずいぶん綺麗になっていた。

つり革も座席も新しいものに替わっていて、乗る電車を間違えたかと思った。


進行方向を向く2人がけのシートに座りスマホを開く。

母親からメッセージが来ていた。


「お昼ごはん用意してるから、食べていきな。」


みんなでお昼を食べてから一緒に病院へ向かうようだ。

ありがとう、と短くお礼のメッセージを送ってスマホの戻るボタンを押す。


母親のメッセージ欄の下には好きなショップの公式アカウント。

そのもうひとつ下には米田こめださんのメッセージ欄があった。

最後にやり取りをした「木曜日」の文字が右上に載っている。

また食事に誘われたが、今週はこの通り実家に行く用事があるからと断った。


先週米田さんの家で初めて彼とセックスした。

そういう行為自体が数年ぶりだったこともありかなり疲れたけど、終始米田さんは私のことを気遣ってくれていた。

優しく髪を撫でたり、首筋のにおいを嗅いだり、力強く抱きしめたり。

ああこの人、本当に私のことが好きなのかも、という気持ちになった。


直接好きだとか言葉を交わしたわけではないけど、彼の気持ちは伝わった。


じゃあ、私の気持ちは?


私は未だに「彼のことが好きかもしれない」程度に自分の気持ちを抑えてしまっている気がする。


人生で2人目のセックスの相手にどんな反応をしていいかもわからず、変な声を出していないかとか下着の跡がついていないだろうかとか、そんなことばかり気になってしまった。

恥ずかしくて、泊まっていくか聞かれた時咄嗟に断ってしまったし、職場で特に話したりもしていない。


元カレとのことを引きずっている気もする。

だとしたらなんだかムカつく、自分自身に対して。

いつまでくよくよしてるんだよ。


30手前になるとどうしても結婚だの何だのが絡んでくるだろうし、そういうのが自分の中でまだ面倒くさくて直視したくないのだろうか。

そんなに深刻に悩まなくてもいいじゃん!と、脳内の美波が励ましてくる。


米田さんのメッセージ欄を開く。

最後に彼から送られてきた「また誘います。」と書かれた白いフキダシを撫でた。

なんで、敬語で送ってきたの。

他の乗客と同じように、今の私もきっと能面のような表情だ。


となりに誰も座ってこないのを良いことにお土産の紙袋を置いていた。

足を組み、車窓を流れていく景色を眺めた。

雲からかすかに陽が差す。

背の高い建物が減ってきたなと思ったところで、実家の最寄りに到着した。



思えば実家に帰るのは1年ぶりくらいだろうか。

1年で駅前や駅から実家への道は劇的に変わることはない。

さくさくと歩いていく。

梅雨入り前の5月は毎年少しずつ暑くなっているような気がするが、今日は曇っている分少し涼しかった。


普通の一軒家の前に立ちインターホンを鳴らす。

実家の鍵を持っているのになんとなく毎回インターホンを押してしまう。


しばらくして母親が出てきた。

「早かったねえ。」

「そう?これお土産、お母さんの好きなお菓子。」

「あら、ありがと。」

うふふと笑い袋を受け取る母。


家に入ると実家のにおいがした。

玄関の細くて赤いパンプスを見るなり私はハッとした。


「なおちゃん、帰ってきてるの?」

「うん、たまたまね。ごはんもうできるから待っててね。」

母はそう言うと先に台所へと戻っていった。


リビングに行くと、ダイニングには父が座り、ソファにはなおちゃん、もとい私の姉がくつろぎテレビを見ていた。

こちらを見てひらひらと手を振る姉。


「ひとみ、久しぶり~。」

「ほんと、何年ぶり?3年ぶりくらい?」

「そんなにか!マークがこっちで仕事あるから一時的に帰ってきたのよ。」

「そうだったんだ。」


姉はマークさんと結婚して、彼の祖国のイギリスで生活している。

もう結婚して7年になるだろうか。

とても仲が良くふたりでよく旅行もしている。

インスタで投稿される写真はふたりで写っているものが多く、素敵なものばかりだった。


「お母さん、なんか手伝おうか。」

「いいよ、ひとみも座ってなさい。」

優しく母に言われ、姉の隣に座る。

父は静かに新聞を読んでいた。

ていうか父も姉も、暇そうにしてるならインターホンが鳴った時出てくれてもよかったのでは。


「のぞみは病院で待ち合わせだってさ。」

姉がテレビのチャンネルを替えながら言った。

土曜日の番組はどれも退屈そうなものばかりだ。

「そうなの。旦那さんは来るの?」

「うん。りく君も一緒に三人で来るって。」

「そっか。りく君、去年の正月ぶりに会うな…。」

「私なんて甥っ子に直接会うの初めて!楽しみ~。」


数年ぶりに会うというのに、姉とは実に自然に会話していたのがなんだか不思議な気分だった。

姉の雰囲気もほとんど変わってないな。変わったところといえば髪が長くなったことと、香水のにおいが少し強くなったことくらいだろうか。


「ごはんできたよ。」

母が呼ぶので、姉とふたりはーいと返事をしてぱたぱたと台所へ向かった。


「おいしそう!」

姉が台所に顔をのぞかせるなり嬉しそうに声を上げる。

母が作ってくれていたのは姉の大好物のからあげと、私の大好物のポテトサラダだった。



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