【ひとりホワイトデー・前編】(番外編)

珍しく部署をまたいだ飲み会で、その頃まだこっちの支社にいた塩塚部長(当時は課長)が経理部の私の同期・飯島ひとみの隣に座っていたので、まずいなと思って私も近くに座った。


「だからさぁ、飯島ちゃんももっと見た目に気を遣わないとダメだって。」


あーやだ、早速セクハラ発言してやがる。

素早く塩塚の隣に張り付く。


「外見を良くしないと、中身を知りたいと思わないわけよ。飯島ちゃんしっかりしてて良い子なんだから、見た目も綺麗になったらもっとモテると思うよ。」


父親くらいの歳の人間がこういうこと言ってると、自分の父親ももしかして、私くらいの歳の女性社員に同じようなことを言ったりしてないかと想像してゾッとする。

だいたい飯島さんの良さは見た目に出さなくたってみんなわかっているでしょう。

そんなこともわからないのか、こいつは。


「あの、」

飯島さんが小さな声で話し出した。

「お気遣いありがとうございます。これから頑張ります。」

入社したばかりの頃は同じようなことを言われても困惑していた彼女が、今はこんなふうに冷静に返せるようになったんだな。

…顔は全く笑っていないけど。

ビールを飲みながら私は感心した。


「いやいや、これからって、もう焦らないとダメだよ?うちの奥さんだって飯島ちゃんの歳でもう結婚してたんだよ。ねえ?」

塩塚が飯島さんの肩に手を回そうとする。


ガコンッ

塩塚の席に置いていた、誰のものかわからないビールが残ったグラスをわざと倒した。

瞬間、周りの数人がこちらへ視線を向ける。


「すみません、私ったら本当そそっかしくて。」

あははと笑いながらテーブルをおしぼりでさっさと拭く。

みんな何事もなく会話の続きを始めていた。

「塩塚さん、スーツ汚れませんでした?」

「いや、大丈夫大丈夫。」

そのまま会話は何とか私に向いたため、飯島さんを解放することができた。

セクハラ発言は何度もされた気がするが、飲みすぎて何を話したか全く覚えていない。



トントン、包丁で何かを切る音。

柔らかい毛布の感触。

重いまぶたを開けると、自分の部屋ではない天井が現れた。

電気はキッチンの方しか点いていない。


彼女の家に来たのはこれが初めてではない。


ゆっくりもぞもぞと起き上がっていると、彼女がこちらへ振り向いた。


「おはよう新菜さん。」

「おはよう……やだ、声ガサガサじゃん私。」

「昨日もたくさん飲んでたもんね。」

「塩塚の隣の席だったからね…。」


飯島さんは慣れた手つきで朝ごはんの準備をしている。

彼女の部屋に来るのはこれで3回目くらいか。


飲み会で彼女を塩塚から解放したとて、こうやって酔いつぶれて彼女の世話になっているようじゃ意味ないのでは…と今更思う。


「はい、ごはん、よかったらどうぞ。」

彼女が出してくれたのはお味噌汁とごはん、そして綺麗な卵焼き。

二日酔いのくたびれた胃袋でも受け入れられそうだった。

「ありがとう。いただきます!」


料理が下手な私にとって、簡単に朝ごはんを用意してくれる彼女はそれだけで魅力があって、特別だった。

どれだけ短い横断歩道でも信号は必ず守るところとか、安いものを求めてスーパーをハシゴするところとか、こうやって綺麗な卵焼きを作れるところとか、私とは違うところがいくつもある。


「お嫁に行き遅れたら一緒に住もうよ。」

食べ終わった食器を洗い、笑いながら雑なプロポーズのような言葉を口にした。

「私はともかく、新菜さんが行き遅れるなんてありえないよ。」

飯島さんは食器を拭きながら、笑って答えた。



今のは、数年前の話。

そしてここからは現在の話。

珍しく食堂に飯島さんが来てると思ったら、同じ同期の米田こめだくんと総務の美山さんと一緒だった。

珍しい組み合わせだな…。

話しかけ、一緒の席でお昼を食べることにする。


「飯島さんは、弁当もうまそうだね。」

米田くんがその言葉を口にした時、違和感があった。

弁当ってことはこいつ、飯島さんの他の料理を見たことがある、もしくは食べたことがあるってことか。

しかも私と同じで料理はほとんどしない彼、お弁当に卵焼きなんてものを入れてきている。

怪しい…絶対何かあったでしょこの二人。


ちらりと飯島さんの顔を見ると何もないといった表情だったが、美山さんのお弁当を褒めながらも彼女の耳は赤くなっていた。


いや、絶対何かあったでしょ。



バレンタイン前日、この土日に作ったであろうクッキーを、飯島さんは例年と同じく渡してくれた。

嬉しい、けど。

彼女の手に持つ紙袋には、同じ包みのクッキーがもうひとつ入っていた。

それを見るなり、私は心がザワついた。


「今日、よかったらさ、」

自分の部署へ帰ろうとする彼女を慌てて引き留める。

「夜どっか飲みに行かない?最近一緒に行ってないじゃん。」

なんで、こんなに緊張するんだろう。


「ごめん、今日は先約があるんだ…。」

「そっかそっか!それなら仕方ないね!ていうかもしかして…米田くんと?」


彼女は少しぎょっとして、私の顔を見た。

初めて見る表情。

瞬間、自分が米田くんに嫉妬していることにようやく気付いた。



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