【ふたりホワイトデー】
テレビから聞こえてくる「ホワイトデーのお返し」という言葉は、なんだかおかしい。
言うならば「バレンタインのお返し」だろう。
まだ眠い頭を朝食で起こしながら天気予報の延長でニュース番組を見ていた。
今日は3月14日、ホワイトデー。
私は日付を意識していないふりをしてOKの返事をした。
お弁当を詰めた後、クローゼットの前で腕組みをしながら今日の服装を考える。
悩むほど多い服を持っているわけではないし、似たような色と形ばかりの洋服の中で、唯一よそ行きっぽいグレーのワンピースを取り出した。
これなら会社に着て行ってもさほど目立たないだろう。
ワンピースの背中のチャックを上げ切ると、ウエストがぴっちりした。
うそ、去年着たときにはウエストは少し余っていたのに…!
あまりにショックで、泣く泣くいつも通りのスラックスとゆったりニットに着替え直した。
ダイエット(もどき)を始めて1週間ほど経ったがそんなにすぐに痩せるはずもない。
でも今目標ができた。
このワンピースを綺麗に着られるくらいまで痩せよう。
昼は新菜さんから誘いがあり食堂で一緒に食べることになっていた。
彼女はいつも通り社食で、今日はカレーを食べている。
「ごめん、今頑張ってダイエットしてるの知ってるんだけど、どうしても渡したくて…。」
そう言って彼女はクッキーの入った小さな袋を渡してきた。
「どうしたのこれ?手作りだ!」
「ホワイトデー。バレンタインで去年と同じもの渡しちゃったからさ。毎年手作りしてくれるお礼に。」
「そんな、いいのに…。」
「私が飯島さんにあげたかったの!大好きだからさー。下手だけどよかったら食べて。」
笑顔でそう告げる彼女は眩しい。
お菓子作りを含め料理はほぼしない彼女が一生懸命作ってくれたであろうクッキーは、少し焦げ目がついていたけど美味しそうだった。
食後、また飲みに行こうねと手を振り、新菜さんは営業部の階へと帰って行った。
午後になると30分ごとに時計を確認した。
そわそわしているのが周りに伝わっている気がするほどだ。
今日米田さんと行くのは普通の居酒屋だ。
ランチの時に新菜さんから言われた言葉を思い出す。
「飯島さんはねえ、普段からお弁当小さいし朝ごはんも少なめだけど、夜がっつり食べちゃうこと多いんじゃない?朝しっかり、夜少なめにがダイエットの基本だよ!」
細身の彼女は説得力の塊だった。
これから夜ごはんは少なめにしてみよう。
…明日から。
ついに17時半になり、PCの電源を落とす。
米田さんも帰り支度を始めているのが目に入り、急いで「お疲れ様でした!」と勢いよく言って更衣室へ駆けて行った。
二人で帰るのをまわりに察せられるのは恥ずかしいから。
エントランスへ行くと、スマホを見ながら米田さんがすでに待っていた。
駆け寄り声をかける。
「お待たせ。」
「お疲れ様。行こうか。」
米田さんの左手に提げられた紙袋を見て見ぬふりをして、私の胸は小さく鳴っていた。
会社近くの繁華街で米田さんがよく行くというお店に入る。
個人経営のこじんまりした居酒屋。
小さなボックス席で向かい合わせに座る。
メニューは手書きの小さい字でびっしり書かれていて期待が高まる。
「俺ビールにするけど飯島さんは?」
「私もビール…小さいのあるかな。」
「聞いてみよう。すみませーん。」
スマートに店員を呼び、ビールの中と小を注文してくれた。
ビールが来るまでにメニューを端からじっくりと見ていく。
「これ、バレンタインのお返し。」
不意に米田さんが紙袋を渡してきた。
「どうもありがとう。」
わざとらしくならないようにお礼を言う。
「飯島さんって飯だけじゃなくてお菓子も作れるの、すごいね。」
「いやぁ…作れるってほどじゃ…お菓子はパウンドケーキとクッキーしか上手く作れないよ。」
「それでもすごいよ。うまかったし。」
そうやってすぐ、褒めるんだもんな。
ビールとつき出しがやってきたので早速乾杯をした。
つき出しは牡蠣の佃煮…なんて美味しそうなの。
いいお店だ、と瞬間悟った。
「では、お疲れ様。」
米田さんがグラスを持ち上げる。
「お疲れ様。」
カチンとグラスの当たる音が響いた。
実にたくさんのメニューがある中から厳選するのはとても楽しかった。
お決まりの揚げだし豆腐、お刺身、カニクリームコロッケ、生麩田楽、だし巻き卵、ネギたっぷりのにゅうめん。
米田さんの食べっぷりが気持ちよくて、お酒が進んだ。
食べるのも飲むのも喋るのも楽しい。
時間も忘れてふたりで笑い合った。
店を出て財布を開く。
「いくらだった?」
「今日はお返しだからいいよ。」
「ダメだよ、お返しはちゃんとお菓子もらったもん。」
「んー、じゃあまた次行った時に。」
さりげなく次のお誘いを受けた。
ふわふわと気持ちよく酔っているが、明日も仕事だしまっすぐ帰ろう。
急に、少し足元がふらついた私の肩と左手を米田さんが抱きしめた。
「大丈夫?」
「うん…ありがとう。」
ほんの数秒だったが、彼は手を握ったままだった。
「この前は冷たかったのに、あったかい。」
「お酒飲んだから…。」
ぱっと手を離したので、ふたり並んで駅へと歩き出す。
黙って私はドキドキしていた。
駅のホームに立ち電車を待つ間もふたりして黙っていたが、米田さんがその沈黙を破る。
「今度は、俺の家で飲もう。」
これは、もう紛れもない…。
「…いいよ。」
俯きながら呟く。
耳が熱くなっているのは、お酒を飲んだせいだけではない。
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