【ひとり散歩】

冷蔵庫の戸にぶら下げているカレンダーをめくり忘れていた。

数字が並び絵も何も無いシンプルな月別カレンダーは、もはや予定を書き込むこともなく、何となく日にちの確認をするためだけにぶら下げていた。

めくると、3月のページが現れる。


閏年を除く2月と3月の日と曜日が丸々同じなのはいつ見ても不思議な感覚がある。


今日は3月4日の土曜日。

予定のない休日だが、今朝はこれから自転車でどこかへ出かけようと思っていた。


昨日風呂上がりに体重計に乗ると、数か月ぶりに計った体重はなんと過去最高の数字だった。

見た目はそんなに変わらないし…と思って放置していたけど、服で見えない部分に贅肉がついている。

つまむと絶望の感触がした。


数日前また出張でこっちに来ていた塩塚部長に「飯島ちゃん…太った?」と言われセクハラじゃん…と思っていたけど、久しぶりに会う人にそう言われるなら本当に太ったのだろう。


運動は苦手なので、せめて歩くなり自転車に乗るなりしよう、と体重計の上で決心したのだった。



まだ寒い風が吹く外を見ながら、マグカップに入ったお茶をすする。

外に出たくない。

本当はゴロゴロしていたい。

もう一回寝たいかも。


だいたい私の見た目が変わったところで誰も何も思わないだろうに…と考えたところで、なぜか米田こめださんの顔が浮かんだ。


ええい、さっさと着替えて外に出よう!



家を出る前に、新菜さんへメッセージを送る。


「最近太ったからダイエットしたいんだけど、おすすめの運動ってあるかな?」


朝の9時、まだおそらく彼女は寝ているだろう。

スマホをコートのポケットにしまい、毛糸の帽子を深めにかぶって家を出た。


早春の風は自転車をこぐ私の手の甲に容赦なく吹きつける。

途中赤信号で止まるたびに何度も手をさすった。


朝の静けさのせいもあるのか、家から3kmほど離れた大きな公園まではとても長く感じた。


きっと明日は筋肉痛だな。



公園の入口付近のコンビニでコンビニオリジナルのカフェラテを買い、自転車を押しながら公園の中へと入っていった。


桜並木を見上げると、芽はまだ硬く閉じている。

鳥のチチチという鳴き声、陽の光、歩く人の足音。

私の自転車の車輪がチキチキと鳴る音も大きく聞こえる気がした。


小さな池の前のベンチに腰掛け、カフェラテを飲む。

吐く息が白くゆらゆらと上がっていく。


池に浮かんでいるカモの写真を撮り、インスタにコメント無しで投稿する。



休日の朝から行動すると、それ自体大したことではなくても達成感がある。

平日だと仕事で忙しくしている時間帯に自分のことに時間を費やせるからだろうか。


仕事の日、朝から元気がなくても働いているうちにだんだん元気になってくるもので、私はそんな自分が少し嫌だった。

仕事が嫌いなわけではないけれど、自分の生活を捧げるほど好きなことでもない。

だから休日はめいっぱい深呼吸ができることをすると、本当の意味で心が満たされる気がする。


脚をぷらぷらと振りながら空を眺めた。

自転車を一生懸命こいできたおかげで、体はぽかぽかと温まっていた。


スマホで時間を確認すると、9時半を回ったところだった。

またポケットにしまおうとしたところで新菜さんからメッセージがきた。

いつも昼まで寝ているはずの彼女が意外に早起きをしている。


「飯島さんは全然太ってないよ!でももし痩せたいなら健康的に筋肉をつけて痩せたほうがいいと思う。オススメの動画送るね。」


ダイエット動画をたくさん出している有名な配信者の動画をいくつか送ってきてくれていた。

5分の筋トレ、10分の有酸素運動、これなら私にもできそうだ。


お礼のメッセージを送り、ベンチから立ち上がる。


空に向かって拳を突き上げ大きく背中を伸ばした。

少し冷えてきた体をさすり、冷たくなった自転車をまたチキチキと押して歩き出す。


ベンチで座っている間も今も、ジョギングをする人が何人か通っていた。

新菜さんによると全国で開かれるマラソン大会は出場が抽選で決まるものも多いらしい。

ランニング人口って多いんだな。


走るのは苦手だし億劫だから、しばらくは自転車と歩くことを意識的にやってみよう。

それから、新菜さんが送ってくれた家でもできるダイエットの動画。



ふたりでどこかへ行ったり食べたりしたいと言ってくれた米田さんの言葉、不意に思い出してはくすぐったい。

少し緊張した彼の顔をこれまで何度か見た時、こちらまで緊張してしまっていた。


私がひとりの時間が好きなことも、ひとりぼっちになりたいわけではないことも、どちらもわかって言葉を選んでくれていると感じる。

不器用だけどまっすぐな優しい言葉たちはくすぐったくはあるけど、私のことを考えて伝えてもらえることが何より嬉しい。


次に誘われる時、私から誘う時、少しでも良く見られたいと思うのは女のさがなのか、それとも…。



公園の入口に戻り着いた。

近くのゴミ箱にカフェラテのカップを捨て、自転車にまたがる。


今日は銭湯が休みだから家に帰ってシャワーを浴びよう。

その前に、動画を見ながら筋トレをしてみよう。

まだ始まったばかりの休日の陽を浴びながらペダルを踏んだ。


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