【ひとり居酒屋】

バレンタイン当日、朝から新菜さんが更衣室まで来てチョコレートを届けてくれた。


「去年と同じやつになっちゃった!ごめーん。」

眉をハの字にして彼女は申し訳なさそうに謝ってきた。

「ううん、これ美味しかったから、すごく嬉しい。」

そもそも私は毎年同じものを作ってるわけだし。


カットダイヤの形をしたチョコレートが6個入っている有名ブランドのチョコレート。

去年彼女が「飯島さんのイメージっぽいやつにしてみた!」と言って渡してくれたのを覚えている。

こんな可愛いものが私のイメージだなんて。


これから外回りだからとロッカーからマフラーだけ取り出し、新菜さんは更衣室を後にした。



昼休み、慣れた手つきでレンジの出力・時間を設定しお弁当を温める。

お疲れ様です、と言いながら米田こめださんがレンジの順番待ちにやってきた。


彼は最近ほぼ毎日お弁当で、斜め前の席で食べている姿を見るのがなんとなく新鮮だった。

私よりも大きい口で食べているのを見るといい食べっぷりだなと感心した。


周りを軽く見回して米田さんは少し小さめの声で話しかけてくる。


「昨日の、うまかった。」


紛れもなく、昨日渡したクッキーのことだった。


「もったいなくてまだ半分くらい残してある。」

「そうなんだ。よかった、お口に合って。」

「ちゃんとお返しするから。」

「お気遣いなく。ハンバーグも美味しかったね。」


昨日米田さんと食べに行ったハンバーグはふっくらして肉汁たっぷりで、オレンジ色のスパゲティとポテトサラダも添えてある完璧なハンバーグだった。

二人して無言になるほど夢中で食べたのが、今になってなんだかおかしい。


「また行きましょう。」

「うん。」


「お疲れ様です〜!」

いつもニコニコ、美山さんもレンジに並びに来た。

「「お疲れ様です。」」

誤魔化すように、二人で返事をしてしまった。



朝見た天気予報では雨は深夜頃降ると言っていた。

3時間毎の予報が映し出され、夜9時から0時までの間だけに雲と雨傘のマークがあったのを覚えている。

最後に天気予報士のお姉さんが「予報をこまめに確認してください」と言っていたのを聞いていたのに、傘を忘れた私は最寄り駅で呆然と雨が降るのを見ていた。


時刻は18時半過ぎ。

会社を出る頃にすでに雲行きはあやしかったが、家に帰るまでに降らないでほしかった。


家まで走るにしては雨足が強い。

しかも2月の雨は足の先が凍るほど冷ややかだ。


仕方ない、駅の近くで暖を取るついでに夕飯も済ませてしまおう。

たまにはこういうのもいいだろう。


この近くだと何か店があったかしら。

グルメアプリを開き、周辺の店を調べる。

パスタとか丼とかそういうキーワードを入れる前に、検索機能は周辺の居酒屋を自動的に探し出してきた。


駅の前の道に店が立ち並んでおり、その一番端にマップのピンが立っていた。

ここ、ずっと前に一度だけ行ったところだ。

何を食べたか覚えていないけど、久しぶりに行ってみようかな。


仕事や学校から帰ってきた人々が改札から出てくる。

その波に乗りながら出口への階段を降りていった。



赤い提灯がぽうと色づき店内からの光も見える。

「商い中」の札を確認し、カラカラと引き戸を開けた。

こじんまりした店内は座敷にちゃぶ台が2つ、カウンターは5席ある。

座敷にはすでに顔を赤くしたおじさん3人が笑いながらお酒を飲んでいる。


前に来た時は、誰かと一緒に来た覚えがある。

新菜さん?田中さんだったかな?


らっしゃい、と短く歓迎の言葉をかけた店主は、天ぷらを揚げている最中だった。

カウンターの一番端に座る。


「何にしましょ?」

店主はチラとこちらを見て、また手元の天ぷらを見ていた。

「えーと…なまちゅ…いや、小でお願いします。」

壁に一つ一つ貼られたメニューの札の中から生ビール(小)の文字を発見し、それを注文した。

中だとすぐにおなかいっぱいになってしまうので、小がある店では必ず小を注文する。


「オススメはありますか。」

「ブリがいいやつ入ったんでその刺身と、白子もあります。」

「じゃあブリの刺身と、白子の天ぷらと、子持ちこんにゃくもください。」

「あいよ。」


すぐにビールがやってきたので、ごくりと最初の一口を喉に通す。

苦みがじわっと口の中に広がる。

以前はこの味に慣れずビールは苦手だったな。


期待通り、子持ちこんにゃくもすぐに出てきた。

半透明のこんにゃくに魚卵が散りばめられている。これをわさび醤油で食べるとお酒がすすむ。


スマホで「子持ちこんにゃく 何の卵」と検索バーに入力すると「シシャモ」の文字が出てきた。


ぐびっとビールを飲む。


「あい、お刺身ね。」

ごとりとテーブルに置かれる刺身のお皿。

脂の乗ったブリが綺麗に盛られている。

醤油皿につけるとブリの脂が醤油の表面に広がるのが見てわかった。

食べると、思わずため息が出た。

冬のブリはブリブリしていて最高だ。


ビールがなくなりそうだったので、日本酒の冷やを注文する。

後ろの座敷から「粋だねぇ」と小さく聞こえたような気がした。

ペースが早くなりすぎないように、丁寧に刺身を食べていく。


お酒と白子の天ぷらが同時に出てきた。

日本酒はグラスにたっぷり入っている。

まずは天ぷらを、添えられた塩をつけてさくっと一口……熱い!

中から溢れるクリーミーな白子で案の定舌をヤケドした。

しかし、ヤケドをしてでも、白子の天ぷらはアツアツを食べたくなるものだ。

ヤケドを冷ますかのように、日本酒をくいっと飲む。

ぷふーっと息を吐き、気持ちがいい。


頬杖をついて、次は何を注文しようかと壁を見つめる。


社会人になりたての頃は、ビールもそうだが、日本酒も白子も特に好きではなかったし、むしろ苦手だった。

でも歳を重ねていくと、好きな食べ物や食べられるようになるものが増えてきたように思う。


いつまでも若くはいられなくても、歳を重ねるのもなかなか悪いものではないと思える。

歳を重ねないと感じられない贅沢な気持ち。


お酒を一口飲むごとに酔いが回っていく気がした。

「すみません、揚げだし豆腐ひとつ。」

天ぷらを食べ切る前に一番好きな居酒屋メニューを注文した。


そういえば今日はバレンタインだったな。

こんな日にひとりで何やってんだろ、と、お酒のせいもあり急に笑えてきた。


雨で冷えた体はすっかり温まり、ふわついた気持ちで天ぷらをつついていた。



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