【ひとりカツ丼】
レンジにフタを外した弁当箱を入れ2分チンする。
鶏むね肉ときゅうりの和え物、キャベツのコールスロー、れんこんのきんぴら、卵焼き、小さめのおにぎり1個。
今夜のためにおかずはヘルシーなもので揃えた。
ただ、鶏むね肉の和え物は冷たい方が美味しいので、部分的に温められたらいいのにな。
「飯島さん。」
甘い香りのする美山さんが話しかけてきた。
細いプリーツスカートがひらりと揺れている。
「飯島さんを見習って、私も最近お弁当作ってるんです!」
「いいね。」
「よかったら食堂で一緒に食べませんか?」
了承の返事をする前に美山さんは振り返り、
「
後ろにいる米田さんに話を振った。
「俺、今日は弁当なんだけど…。」
いつも社食の米田さんは弁当箱を持ってレンジの順番を待っていた。
「私も飯島さんもお弁当なんで、みんなで食べましょう!」
私よりも先に、レンジがピーピーと返事をした。
二人は社食で一緒に食べたことがあるかもしれないけど、私は誰かとお弁当を食べることは入社してすぐの頃以来だった。
久々に訪れた社員食堂は、別階の営業部や経営企画部の人たちもたくさん来て賑わっている。
私と美山さんが横に並び、その前に米田さんが座った。
美山さんのお弁当はガパオライスとスープジャーに入ったミネストローネ。
彩りがあって美味しそう。
米田さんのは、ミートボールとブロッコリー、たっぷりのご飯、それに、
「わ、米田さんと飯島さん、卵焼きおそろいですね!」
そんなことを言われると恥ずかしくなってしまう。
「すごいね。全部手作り?」
「いや、卵焼きと、ブロッコリーはレンチンしただけ、ミートボールは冷凍の…。」
米田さんは恥ずかしげに目をそらした。
「え〜でもすごいです!料理しようとする意志が素晴らしいですよね。」
美山さんがニコッと笑ってこちらに同意を求める。
私はコクコクと頷いた。
「いただきます。」
「お、ここ座っていい?」
手を合わせていると、営業部の新菜さんがやってきた。
細身のスーツに身を包み、綺麗な茶髪のポニーテールが揺れている。
「どうぞ。」
米田さんが横の椅子に位置を移し、米田さんが座っていた場所に新菜さんが座った。
彼女は社食の500円のカツ丼をテーブルへ置いた。
黄色い卵がうるうると揺れている。
「けっこうがっつり食べられるんですね。」
美山さんが驚いたように新菜さんを見ながら言った。
「そーなの。米食べないとあとでおなかすいちゃうのよね〜。」
新菜さんは飲み会でもよく飲みよく食べる。
何度か酔いつぶれた彼女を家まで送ったり私の家へ連れて帰ったりした。
よく食べるのにスタイルはモデル並み。趣味はテニスとマラソンだっけ。
おまけに仕事もできる。
私から見ると、完璧な美人。
「え、米田くんお弁当作ってきてんの?めっずらし〜。」
今度は新菜さんが米田さんの方を見て驚く。
「どういう心境の変化よ〜?料理めんどうって言ってたくせにさ。」
「まあ、人並みにできるようになればと思って…。」
相変わらず表情薄めで答える米田さん。
その横でニヤニヤ笑いながら肘で米田さんを小突く新菜さん。
「飯島さんは、弁当もうまそうだね。」
米田さんが私の弁当を見て言うので、なんとなく順番通りに今度は私から美山さんのお弁当を褒める。
「ガパオライスもとっても美味しそう。これ、赤いのはパプリカ?」
「そうなんです!人気のダイエッターが痩せる作り置き紹介してたので、真似しました。」
お弁当箱を顔に近づけ笑顔で答える美山さん。
そうして仕事のことなんかを話しながら、4人での食事は難なく済んだのだった。
弁当もうまそうだね
この言葉の意味が、私だけにわかりますように。
そう願いながら、心は少し汗ばんでいた。
昨日の残業中に思い立った通り、とにかく手を動かして仕事を終わらせて、定時は過ぎたが早めに退勤した。
行き先と食べる物は決まっている。
職場から歩いて5分、細い路地のいつもの定食屋に入る。
「いらっしゃい。」
昼間は奥で忙しそうにしているご主人がカウンターから顔を出した。
「あ、えーとカツ丼ひとつ。」
上着を脱ぎながら注文すると、ご主人は「へい。」とだけ言って奥へ戻っていった。
客は私以外に1組だけ。
席につくと、今度は奥さんがお茶とおしぼりを持ってきた。
いつも注文を聞いてくれる女性はそういえば昼間だけしか見かけないな、と振り返る。
スマホのニュースアプリを開く。
景気のいい記事はほとんどなく、気が滅入りそうになる。
毎日毎日働いている私たちに、何か国全体でいいことが起こればいいのに。
スマホの画面を下にしてテーブルへ置き、何故かため息が出た。
「米田さんと新菜さん、つき合ってるって噂が前にあったんですけど、やっぱり本当なんですかね?」
昼間、弁当を食べた後コンビニに行くのについてきた美山さんから、興味津々の顔で聞かれた。
なんかその噂、入社当時もあったけど、新菜さんはいつかの飲み会の時に全力で否定していた気がする。
「さあ…聞いたことないな。そういう話詳しくなくて、ごめん。」
「やっぱり美男美女でお似合いですよね〜。まあ私は推しが幸せならそれでいいタイプなので。」
久しぶりに美山さんが米田さんのことを「推し」と呼んでいるのを聞いた。
お似合い、か。
たしかに、今日隣同士の二人を見ていても、美男美女という言葉がしっくりくる二人だった。
無愛想気味の男性と、ハツラツとした明るい女性。
まるで少女漫画に出てくるカップルみたいだ。
(ちなみにその妄想上のカップルは、男は無愛想だけど彼女の前でだけ優しくなる。)
ていうか一緒に食べていたあの空間で、私だけ浮いていなかっただろうか。
イケメンの米田さん、営業部の華である新菜さん、可愛らしい美山さん。
その人たちに囲まれた自分。
なんだか今更、ちょっとつらくなってきたかも。
もちろん彼らは私の見た目に対して、私が思っているようなことは考えたりしない人だと思う。
ただ自分が勝手に劣等感を覚えているだけで、この歳になってもこういう気持ちになったりするもんだなとしんみりしてしまう。
冷えそうな心をお茶で温めた。
「はい、カツ丼。」
カウンターに本日の主役がやってきた。
昼間、新菜さんが食べていたようなうるうるの卵。
その真ん中にはつやつやで見た目もサクサクな豚のカツが乗っている。
湯気にのって香るにおいで食欲がみなぎってくる。
こんな美味しそうなものを前に、寂しいことを考えるのはナシだ。
「いただきます。」
箸を割り、手を合わせる。
さっそくカツの切れ目に箸を入れると、衣がサクッと鳴る音が聞こえた。
タレに浸かりきっていないこのサクサク加減がたまらない。
まわりの大切な黄色い卵と一緒に口の中に入れると、じゅわあとカツ丼のタレの甘い味が広がった。
サクサク、じゅわ、しあわせ。
ごはんも一緒に口へ入れる。まだほかほかのごはん。
私が丼物を食べる時の信条として、上に乗っているもののタレが染みている部分と染みていない部分は食べ分けるというものがある。
カツとタレが染みていないごはんを同時に食べ、タレが染みているごはんはそれだけで食べる。
まるでカレーを食べ進めるバランスのように、考えながら食べていく。
はあ…と幸福のため息を漏らし、一緒に出てきた味噌汁をずずとすする。
それからたくあんも食べる。丼物に付いてくる漬物大好き。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。」
さっと上着を着て、バッグから財布を取り出す。
「ありがとうございました〜」
奥さんがレジで、ご主人がカウンターから、二人とも笑顔で見送ってくれた。
おなかに溜まった温かさの余韻に浸りながら駅へと向かう。
家に帰るまでの道のりで余韻に浸る時間がやっぱり好きだ。
何か月か前、映画の帰りに米田さんと美山さんが二人で歩いているのを見たっけ。
同じように米田さんと新菜さんが歩いているのを見かけたらどうしよう。
今日はそんな二人を、なんか見たくないな。
自分の想像にソワソワしながら、足早に駅の入口へと急ぐ。
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