【ひとり残業】

1月末、またしても私は四半期の業務で忙しくしていた。

経理部の他のメンバーとは違い一般職的なポジションの私は、こうした開示資料の編集や経費精算、各種伝票のチェックが主な仕事になる。

決算の数字が締まりみんながひと仕事終えた後から、私だけこの編集作業で忙しくなっていく。


次の第一クオーターから四半期報告書の提出義務が無くなったが、決算の速報である短信のボリュームがその分増えることとなり、業務量としてはそこまで変わらないのだとか。

それでも最後になる四半期報告書の編集作業に名残惜しさを感じたり…することはなかった。


時刻は19時。

フレックス勤務の人や私と同じく残業をしていた人がそろそろ帰り出す時間だ。


目の前に座る田中さんも帰り支度を始めた。

毎朝子どもを保育園まで送っている田中さんは、10時半から19時のフレックス勤務だ。


「飯島ちゃん終わりそう?」

心配そうに声をかけてくれる。


「ちょっと気になるところがあって、今日中にやってしまいたくて…。」

「あんまり無理しないでね。まだ決算発表まで日はあるし。」

「はい。」


それじゃ、と軽く挨拶をして田中さんは帰っていった。

経理部の島は私だけになった。


お隣のシステム部も、日頃から早めに帰る人が多いこともあり今日はもう誰もいない。

米田こめださんも同じ部の魚崎さんに飲みに誘われて帰っていった。


あと残っているのは総務部の部長と課長だけだ。



この時間からおなかが空いてきてしまう。

近くの席に誰もいないのをいいことに、おなかの音を気にせず鳴らしっぱなしにしていた。

とはいえさすがに集中力が切れそうになり、デスクの引き出しを開ける。

お土産にもらったお菓子と、先週のうちに買い溜めておいたお菓子たちがたくさんあった。


どれにしよう…。

やはりここは賞味期限が短いものを。


そう思い取り出したのは、営業の新菜さんからもらった博多通りもん。

彼女が九州の支店に行く際に、お土産は絶対にこれがいいと私から頼んでいたものだった。

「飯島さんホントこれ好きだよね。」

新菜さんはニコニコ笑いながらお土産を渡してくれた。


私の中での三大お土産でもらうと嬉しいものは、博多通りもん・萩の月・羽二重くるみだ。

これらは他のお土産よりももらうとテンションが上がる。


こっそり包装を切る。

一口食べると、甘くて柔らかい白あんが舌に当たる。

和洋折衷のなめらかさは、何度食べても飽きることがない美味しさだ。

もうひと回り大きいサイズでもぺろりと食べられそう。

お土産ひとつでこんなに喜べる自分が単純で笑えてくる。


食べ終わり、さてもうひと頑張り。


作業をするにあたっては、編集から印刷までを担っている会社のシステムを使うが、これがまあ使い方がややこしく時間がかかる。


表の中の数字を変えたあと他のページを開こうとするといちいち上書き保存するように指示が出たり、リンク付きの文章を他の文書にコピー&ペーストしようとするとリンクが反映されなかったり…。

しかも保存やページの切り替えに何秒もかかるので、その間手が止まるのがもどかしい。

PCでいちから作らなくても良いだけ大助かりだが、細かい動作が多く時間がかかって仕方がない。


「飯島さん。」


総務部部長の稲荷さんが話しかけてきた。


「我々ももう帰るから、最後戸締まりだけお願いしてもいいかな。」


いつものおっとりした口調で言ってきた。

総務のデスクの方を見ると、課長も帰り支度をしていた。


「わかりました。失礼いたします。」

「飯島さんも早めに帰りなね。」


電気がもったいないので、経理部の上の蛍光灯以外は消した。

時間はいつの間にか21時前だ。


就業時間内にはいつも早く終わらないかなと思っている仕事は、残業時間になると途端に早く過ぎていくのはどうしてだろう。

同じ1時間でも、残業の1時間の方が圧倒的に短く感じる。

だから残業は全然苦ではない。

お金ももらえるし。


四半期の業務といっても、半期の決算や年次の決算に比べればボリュームは格段に少ない。

それでも通常業務に加えてこの作業をするのだから、結局は残業が必須になる。


そして、こういう忙しい時に限ってややこしい質問が来たり電話が多かったりする。

今日なんかはまたあの塩塚から電話が来て、経費精算のことで質問があった。

いい加減覚えてくれないか…。


眉間にシワが寄ってしまうので、いけないいけない、と背筋を伸ばして手でシワも伸ばす。

カップに入った紅茶がすっかり冷たくなっていたので飲み干し、新しい紅茶を淹れに給湯室へ。


集中したい時というのは皆コーヒーを飲みたくなるのだろうけど、私はコーヒーをブラックで飲むのが苦手なためいつも紅茶を飲んでいる。

コーヒーを飲むときは倍の量のミルクを入れないと飲めない。

単に好みの問題なのか、私の舌がまだまだ若いからか。


総務の人がいつも補充してくれる紅茶のティーバッグを箱から取り出し、マグカップへ入れる。

ウォーターサーバーのお湯を注ぐ。


そのまま給湯室でお茶をすする。

静まり返った空間で、冷蔵庫のブゥンという小さい音だけが響く。


天井を眺めると目の力がふぅっと抜けていくように感じた。

今日の業務のことを走馬灯のように思い出す。

まだ手を付けていない仕事は、明日どうやってこなすか考える。


一度伸びをして、自分の席へ戻る。

誰もいない社内の空気は少しひんやりして、やっぱりちょっと寂しい。



そういえばシステム部の魚崎さんは、例のシステム導入の一番忙しい時期に日付が替わるまで作業していた日、自分一人残ったオフィスでカツ丼を買ってきて食べたって言ってたっけ。

ああ、思い出すと、なんだか食べたくてたまらなくなる。

博多通りもんはすっかり消化され、おなかが空いてきていた。


でもこの時間にカツ丼はまずい。

だから明日は、早く終わったらカツ丼を食べに行くことにする。

上書き保存中のくるくる回るカーソルを眺めながら、そんなことを考えていた。


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