【ふたりオムライス】

指定された喫茶店で飯島さんを待つ。

かすかにレモンの味がする水を飲み、店内をキョロキョロしたりメニュー表を持ち上げたり戻したりする。


最後に送られてきたメッセージによると、あと10分ほどで彼女はやってくる。

プロフィール画像はつやつやのうまそうな目玉焼きだった。


昼間にざっと降った雨は夕方には上がっていた。

窓の外はすっかり闇に包まれ、星のように点滅するイルミネーションが向かいの店を照らし出している。


もう一度メニュー表を手に取る。

コーヒーなどの飲み物の他に、オムライス、ピラフ、ミートスパゲティ…どれも魅力的なメニューだ。

一緒にご飯どうですかと言いながら喫茶店を指定してきたあたり、飯島さんはそんなに食べるつもりじゃないのかもしれない。

ここは彼女に合わせて注文するとしよう。

また、メニューを元の位置に戻した。


ほどなくして時間通りに飯島さんは店に入ってきた。

「こんにちは。」

互いにぎこちなく挨拶をする。

休日に会うのは初めてだった。


飯島さんはコートを脱ぎ、向かいの席に座る。

全身無印良品で揃えましたと言わんばかりのシンプルな服装は、オフィスで見る彼女とほとんど変わらなかった。


「何食べますか?ここはオムライスが美味しいんですよ。」


メニューを取り、表と裏を一度ずつ見た後、こちらにメニューを渡してくる。


「へー。じゃあオムライスにしようかな。飯島さんは?」

「もちろんオムライスです。今日はそれを食べに来たから。」

ここで普通に食事をするようだ。そりゃそうか。

オムライス2つを注文する。


水を一口飲んだ後、飯島さんは「あの、」と言って鞄の上に置いていた小さな紙袋を手渡してきた。


「もう1か月も前だけど、駅でコートを貸してくれたり、いろいろありがとう。」

「わざわざいいのに。」

「ううん、とても助かったから。甘い紅茶苦手じゃなければいいけど。」

「ありがとう。」


袋を覗くと、赤色のリボンが掛けられた小さな箱が入っていた。

そっと隣の椅子に置く。


「俺の家、ここの近くなんだけど、こんな古い喫茶店があるなんて知らなかったな。」

「前に一度だけ来たことがあったの。こういうお店好きだな、私。」

そうして、店内を見回していた。


「今日はどっか出かけてたんすか。」

聞くと、彼女は一瞬、ほんの一瞬固まったような気がした。


「…うん、図書館に本を返しに。」

「ふーん。」


それきり、黙ってしまった。


こういう時どういうこと喋ればいいのかわかんないな。

そもそも飯島さんと仕事のこと以外ほとんど喋ったことないんじゃないか。

つまらないとか思っていたらどうしよう。


しかし彼女の方を見ると、目は合わず、どこか悲しげな表情を浮かべていた。

見てはいけない気がして、水を飲んで誤魔化す。


米田こめだくんに話しても、困ると思うんだけどさ、」


急に話し出したので、慌てて顔を見る。

飯島さんもこちらを見ていた。


「さっき、昔つき合っていた人と会ったんだよね。もう結婚していたみたいで。別にまだ好きだとかそんな気持ちないんだけど…」


打ち明け話をする飯島さんは、いつもの大人っぽい飯島さんよりも年相応に見える。


「今日は一人だよって言ったら、『やっぱり』って。『一人好きだよね』って、言われたんだ。」


「うん。」


「つき合ってた頃にも言われたの。『ひとみは一人でもやっていけそうだよね。楽しそうだよね。』って。」


「うん。」


飯島さんが昔の男に「ひとみ」と呼ばれていたことに、何故か胸がちくりとした。


「ひとりで何かをするの、好きなんだけど、何ていうのかな…。そうやって、私を勝手に『一人ぼっち』にしてくるの、嫌だなって思ったんだ。」


「…うん。」


俺という男は、もっとマシな返事くらいできないものか。

自分の無能さに呆れた頃、オムライスがテーブルに運ばれてきた。



流行りのぷるぷるなオムレツではなく、色も厚さも薄い卵でケチャップライスが綺麗に包まれている。

皿いっぱいの大きさで食べごたえがありそうだ。


「…食べましょうか。」


「飯島さん。」


声を掛けると、オムライスを見つめる飯島さんはゆっくり俺の方を見た。


「ひとりで楽しむことは何も悪くないし、かっこいいと思う。」


彼女の目には涙が浮かんでいるように見えた。

じっと見つめては悪いと思い、慌ててスプーンを取りオムライスを食べ始めた。

飯島さんも同じくスプーンを手に取る。


ぎゅっと詰まってはいるが潰れていない、ふっくらと盛られたケチャップライスは濃いめの味。

卵の布団と一緒に食べれば優しく懐かしい味になる。

いくら食べても、飽きない。

飲み込むように食べられてしまう。


食べ進める飯島さんに目をやると、ポロポロと大粒の涙を落としていた。


ハンカチ持ってたっけ。

ポケットに手をつっこむが、スマホと家の鍵しか入っていない。


「美味しい。」


オムライスが口に入ったまま、彼女は呟く。


「美味しい。本当に美味しい。美味しくて涙出てきちゃった。」


あははと笑い、大きな口を開けて食べる。

うまそうに泣きながら飯を食う人は初めて見た。



「米田くんに恥ずかしいところを見られたのはこれで2回目だね。」

店を出ると、白い息を吐きながら飯島さんは呟いた。

泣き腫らした色っぽい目をそらしながら、すんと鼻をすすっている。


さっき聞いた話は、飯島さんが今までひとりで溜め込んでいたものだったんだろう。

ひとりは楽しいけど、ひとりぼっちになりたいわけじゃないんだな。

そりゃそうだよな。

ていうかそんなの、彼女のことちゃんと見てればわかるだろ。


「飯島さん、」

もう少し、一緒にいたい気がする。

「俺の家で飲まない?」


柄にもなく自分から女性を誘った。

手にはじわりと汗を握る。


飯島さんは少し考え込んだ。

ほんの少しの時間だったはずなのに、俺の心臓が速いせいで、返事を待つその時間はとても長く感じられた。


珍しく笑顔を向けてくる飯島さん。

「今日はやめとく。」

そりゃそうだ。


「また今度にする。絶対にまた誘って。」

それだけ言うと、彼女は背を向けて駅へと歩き出す。

髪がかけられた耳が赤くなっているのは寒さのせいだろうか。


駅へと送り届けるため急いで彼女の隣に並ぶ。

彼女の髪からふわりと冬の匂いがする。



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