【ひとりパンケーキ・前編】(番外編)
定時で上がると、珍しく「推し」の
「お疲れ様です!」
明るく声を掛ける。
「美山さん、おつかれ様。」
やっぱりいつ見ても顔が良い。
「私、この近くのスペイン料理のお店行きたくて、でもぉ一人だと入りづらくって…米田さん一緒に行ってくれませんか?」
我ながら唐突な誘いだ。
でも席が離れて、推しを愛でる機会が少なくなってしまったので、何とか供給を得たかった。
「あわよくば奢ってください!」
「それが狙いか。」
「お願いします〜〜!」
「まぁ…いいけど。」
相変わらずほぼ無表情。でも顔が良すぎ。
推しが今日も尊いです。
パエリヤやら何やらを食べ終えて、店を出る。
米田さんみたいにたくさん食べてくれる人が一緒だと、色んな種類を注文して少しずつ食べられるのが魅力だ。
「美味しかったですね!」
「そうだね。こういう店はネットで調べたりするの?」
「はい。好きなインフルエンサーが美味しいって紹介してて〜。」
まだ帰りたくないな。もう一軒、飲みにでも…。
ふと、米田さんが足を止めた。どこかを見つめている。
「どうかしました?」
「いや、飯島さんがいた気がして。」
へえ。
飯島さんを見かけたら、そんな愛おしそうに見つめるんだ。
つき合って…は、いないだろうけど。
米田さんは飯島さんのこと、好きなのかな。
何でもないよ、と再び歩き出した米田さん。
慌てて横に並ぶ。
もう一軒とは言い出せず、二人で駅へと向かった。
北海道土産のチョコレート、配ったあとの残りが机の引き出しに入っている。
個包装に賞味期限は書いていないけど、既に捨てた外箱に書いてあった賞味期限は11月30日。
まだまだ余裕はある。
これは自分用ではなく何かのついでに渡すもの。
たとえば電話の伝言メモを置く時に一緒に置いておいたり、隣の人に3時のおやつにあげたり。
新人でまだまだ重要な仕事を任せてもらえない私は、こんなふうに愛想を振りまくのが仕事だと勝手に思っている。
「美山さん、あのぅ…」
先月から総務部に採用された牛島さん。
私の母親と同い年の彼女はいつも申し訳なさそうに私に話しかける。
「はい。」
笑顔で振り向く。
「このあとってどうしたらいいんでしたっけ?」
牛島さんのディスプレイを覗くと、伝票入力の最初のページが現れていた。
またか。と、ため息を吐きたいのを我慢する。
「えっとぉ、いま何されようとしてます?」
「請求書が届いたので、その伝票を…」
「なるほど。じゃあまず何が必要だと思いますか?」
「えっ……何って?」
あ〜、イライラする。
「伝票打つ時、どこから請求書届いたかがまず必要な情報ですよね?ここのボックスに、その相手先の番号を入れましょう。」
ディスプレイを優しく指さす。
「ああ!思い出した。」
ぱあっと明るい顔で彼女はカーソルを動かした。
この伝票の打ち方、教えるの5回目くらいなんだけどね。
「えっと……そのあとってどうするんでしたっけ?ごめんなさい、ど忘れしちゃって。」
また、申し訳なさそうに繰り返す牛島さん。
私はにっこりと、順を追って説明をした。
こうして、つきっきりの業務説明で30分が消えていく。
ていうか、どうしてメモしないんだこの人。
牛島さんは派遣社員だ。
この歳の派遣社員なんてバリバリ事務作業をこなすものだと思いこんでいたけど、事務経験は無いし、出勤1日目に実はエクセルさえほとんどわからないということが判明した。
部長の稲荷さんは「まあ、簡単な仕事から覚えてもらって。」と、仕事の指示役を私に委ねた。
今は年末調整の時期でうちの部はみんな大変なため、比較的業務の余裕がある私がハズレくじを引くことになった。
正直やってらんない。
でも、ニコニコして理不尽を気にしないふりをするしかなかった。
「どうしたのー、ため息なんてついて。」
給湯室でコーヒーを入れていたら経理の田中さんがやってきた。
いつも通りの朗らかな様子だ。
「え〜やだ、ため息ついてました、私?」
「ついてたよー。何、仕事でなんかあった?」
「全然ですよぉ。あ、そういえば今日、東京から来られてる方いますよね。営業の方ですか?」
「あー、塩塚部長ね。会うのは初めて?」
「はい。」
「なんかセクハラみたいなこと言われたら言ってね?たまに超〜失礼だから。」
「やだ〜そんな方なんですね。」
他にも他愛ない話をしながら給湯室を出ると、ちょうどその塩塚部長が現れた。
「桃ちゃん、久しぶりー。」
塩塚さんは田中さんにニコニコ、いや、ニヤニヤしながら挨拶をした。
すでにもう嫌だな〜、このおじさん。
「ちょっと、うちの旦那に怒られますよそんな呼び方したら!やめてくださいよ〜。」
田中さんは笑いながら慣れた様子で塩塚さんをあしらっていた。
「田中さん、P社のソノダさんからお電話です。」
パタパタと走ってきた経理部の人に呼ばれ、田中さんは走って席へ戻っていった。
「君は総務の子?」
流れで自分も席に戻ろうとしていたが、塩塚さんはじっと見下ろして聞いてきた。
「はい。1年目の美山です。初めまして。」
「そうか〜まだ1年目か。若いね〜。」
コーヒーがどんどん冷めていくように感じる。
続けて、塩塚さんが言葉を発した。
「君みたいな若くて綺麗な
瞬間、自分の表情が凍りついた気がした。
ダメダメ、と表情を崩さないようにする。
でも、自分が思っていることでも、こうやって他人から言われると腹が立つんだな。
それとも単に、ニヤニヤおじさんにムカついているだけかしら。
「塩塚部長、お話し中すみません。」
塩塚さんのうしろに、いつのまにか経理の飯島さんが立っていた。
「飯島ちゃん、お疲れ様。お土産食べた?」
「いただきました。それより、先週お電話いただいた経費精算の件ですが、明細はお持ちいただけましたか?」
「え、あ〜忘れてた!いや〜ごめんごめん、紙で出したんだけど
この会話のすきに、自分の席へ戻った。
飯島さんが私を助けてくれたことは何となくわかっていた。
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