【ひとり焼肉】

火曜日や水曜日の午後はこの世のどんな時間よりも長く感じる。

特に私がいる部署は月初や決算期以外は特に急ぎの仕事もないため、この時間は皆どことなく眠そうにしている。


しかし私は仕事終わりの食事のことを考えると眠気も吹き飛んでいた。


職場の人と、しかも男性と二人でなんていつぶりかわからない。

でも、世間では普通のことなのだと思う。

そんなに特別に感じることではないのかもしれない。

米田こめださんだって美山さんと二人で食事に行ったのだから。


いつもと変わらない地味な格好だが、普段下ろしている髪を綺麗にまとめて家を出てきた。

どうか変に浮かれているこの気持ちを誰にも悟られませんように。


横目で、米田さんを見る。

午前中から米田さんを含めたシステム部の面々は忙しそうにしている。

来年度から導入することになった営業管理システムの作業も大詰めだそうで、今週も度々会議で席を外している様子だった。


チャットの通知が届く。


米田さんからだ。


「今日5時半に上がれそうになくて。6時に1階で待ち合わせしませんか。6時過ぎても終わらなかったら、また次の機会でもいいですか。」


やはり相当忙しいようだ。


もう一度米田さんを見る。

米田さんもこちらに目を向けたので、思わず目をそらした。


「わかりました。お忙しいなら無理なさらず。」


「急いで終わらせるよう頑張るんで。」


「承知です。正面玄関の前にいますね。」


「6時に来なかったら、もう今日は俺無理だと思ってください…。」


フレックス勤務ではあるものの結局は同じ時間に出勤するのが性に合っているため、ほぼ毎日9時から仕事を始める。

今日も同じく9時からだったので、17時半を過ぎた今、PCの電源を落とす。


挨拶を済ませ、更衣室へ。

特に着替えは無いため、ロッカーからコートを取り出す。


「お疲れ様でーす。」

美山さんも更衣室へやってきた。


「お疲れ様です。」

「飯島さん早いですね、珍しい。」

「決算終わって落ち着いたからしばらくはね。」

「なるほど〜。」


美山さんもロッカーを開く。

いつかトイレで出会った時のようにリップを塗り直している。

淡いピンクの唇がうるうるしている。


「今日このあとパンケーキ食べに行こうかなって思うんですけど、飯島さんも一緒に行きませんか?」

美山さんはリップの蓋を閉めながら唐突な誘いを提案してきた。

今からパンケーキ食べるのに、リップ塗り直したの?


「それは、夜ご飯なの?」

「そうですよ〜。一人じゃ食べ切れる自信なくってぇ。」

「うーん…またの機会で。このあと先約があるからさ。」

「あら残念。では、お先に失礼しまぁす。」


明るく挨拶し美山さんは先に更衣室から出ていった。

香水のにおいが少しだけ残っていた。



ビルの正面玄関の前でマフラーを巻く。

同じ時間に退勤した人々がバラバラと自動ドアから出てきた。

スマホの待ち受けに目をやる。17時57分。

ふぅと吐いた息は少し白かった。


そこから10分待ったが、米田さんが来る気配はない。

ちょうど終わって帰り支度をしているところかもと思いながら、足踏みをして寒さを紛らわせた。


18時15分。


18時28分。


来ない。


やっぱり今日はダメそうだ。

やだなぁ、変に期待したから、変に落ち込んでいるみたい。


まぁ仕方ない、忙しい仕事を優先するのは当然だし、今日行けなかったら別の機会でと言ってくれたのだから。

ただ連絡先を交換していなかったことが悔やまれる。

もう先に帰りますと連絡ができないな。


18時32分。

スマホをコートのポケットに勢いよくつっこみ、私は歩き出した。



会社の最寄り駅を通り過ぎ、繁華街へと向かう。

どこからか軽快な「もろびとこぞりて」が聞こえてくる。

ただいまの私は全くそんな気持ちにはなれないけれど。

腕を組むカップル、サラリーマンの集団、それらを綺麗に避けながらずんずん進む。


「ひとり焼肉専門店」の赤い文字が目に入る。

その横に「2人以上も可」の文字。

ついでに貼られている紙に書かれた「本日焼肉全品290円引き!」の手書きの文字も目に入った。


あ、今日って、11月29日(いいにくのひ)だ。

私は一目散に店へと入った。


元気な店員たちが「っしゃーせー!!」と出迎えてくれる。

「おひとりさまですね!」

「はい。」

大きな声で確認され、少し恥ずかしい。


案内された二人がけの席で注文の説明を受ける。

今はどこもそうだが、タッチパネルで注文するようになっていた。


さあ、何を食べよう。

一人だとそこまでたくさん食べられないので、注文は厳選したものでなければいけない。

カルビか、ハラミか、それともホルモンか…。

これらが全て割引だなんて、1年に一度の今日という日に感謝しなければ。


ポチポチとタッチパネルを操作し、未注文欄にはネギ塩タン・上ハラミ・ロースが並んだ。

送信ボタンを押し、タッチパネルを元の位置に戻した。


すぐに運ばれてきたのはハラミとロース。

先に店員が火を付けてくれていた網に優しくハラミを載せると、ジュッジュゥ〜…と美味しくなっていく音が鳴った。

ハラミとロースを皿の半分ずつまず焼いていく。

両面焼けたものから取り皿へ救い出す。

用意されたタレを付けて、口の中へ。

あぁ、牛の脂…!

このどろっとした油の不健康さがたまらない!!

甘辛いタレが牛の脂といっしょになり、脳に直接訴えかけてくる。「俺は牛だ」と。


食べている間に、残りの半皿分を焼きにかかる。

全て網に載せたところでネギ塩タンもやってきた。

珍しくネギがタンに載っておらず、別の器に盛ってある。

焼けたハラミとロースたちを取り皿へ移し、いよいよタンも焼いていく。

ジュワジュワと焼かれていくタンをずっと見ていたい気持ちを抑え、冷める前に取り皿の肉を大事に食べていく。

ついでにタッチパネルで冷麺を注文する。

焼けたタンを取り皿に上げ、ネギをたっぷりとかける。

ネギはあらかじめ塩ダレが和えてある。

ネギがこぼれないようにタンを包み、口の中へ放り込む。

タンとネギの噛みごたえがなんとも言えない。味も脂もじゅわりと口の中全体に広がっていく。


肉を全部食べ終え、冷麺もやってきた。

小さめの銀のボウルに入ったつややかな麺をすすり、焼肉で脳内にドバドバ分泌された幸せホルモンを落ち着かせた。


さっきまで落ち込んでいた気持ちも、忘却のサチコのごとく食べることで忘れようとした。


忘れよう、こんな気持ち。

下心にも似た気持ちがあったから、きっと今日は米田さんと食べに行けなかったのだ。


冷麺を綺麗に食べ終わり、つけっぱなしだったコンロの火を消した。



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