【ひとり紅茶】
11月というのは何も無い月だ。
ハロウィンが終わるとたちまち街がクリスマスに向けて準備を始めるため、11月の印象のなんと薄いこと。
いつも前を通るいくつもの飲食店も、ちらほらと赤や緑の飾りつけをしている。
そんな11月後半の小春日和の昼下がり、脱いだコートを腕にかけた私は百貨店へと向かっていた。
会社の最寄りの1駅前で降り改札を出る。
ぞろぞろと多くの人が各々の目的地へと散らばっていく。
私と同じく百貨店方面に向かう人も多い。
「あつ…。」
暖房の効いた駅の構内で思わず独り言が出る。
友人の美波が出産したという連絡を受け、今日はそのお祝いを探しに来た。
子どもに贈るもの・夫婦に贈るもの・頑張った美波自身に贈るもの、どれを選べば良いかわからないため、3つとも買おうと決めた。
「苗字が小栗になるの。鈴木ってありふれた苗字だから、小栗になれるのうれしい。」
3年前、結婚のお祝いで飲みに行った時に美波は言った。
苗字が変わる感覚など当たり前にわからない私は「そういうの、なんかいいね。」という返事しかできなかったことを記憶している。
お相手の小栗さんは結婚式でしか会っていないが、美波を見つめる優しい顔も、話した時の明るい話し声も素敵だった。
素敵な二人が結婚して子どもが産まれて、友人の人生は着々と進み構築されていっている。
私は今はひとりでも楽しいので、美波に嫉妬したことは別に無いけれど。
ひと通り買い物を済ませ百貨店内のカフェに入る。
ケーキセットを注文し、待っている間に3つの紙袋をひとつにまとめる。
子どもへの贈り物は小さな花の刺繍がついたスタイ、夫婦への贈り物は小さな瓶の日本酒、そして美波への贈り物はアロマキャンドル。
頑張って疲れた体を癒やしてほしい気持ちを込めて、美波の好きなバニラの香りのキャンドルを選んだ。
やがてケーキと紅茶のセットが運ばれてきた。
ケーキはザッハトルテ、紅茶はオレンジティー。
チョコレートとオレンジの組み合わせなど、正解でしかない。
丁寧に蒸らされた紅茶をポットからカップへ注ぎ入れる。すでにいい香り。
熱々の紅茶は確実に舌を火傷させてしまうため、しばらく置いておく。
ザッハトルテは上下に薄いチョコレートが貼り付いていて、フォークで刺すとパリッといい音がした。
一口食べると濃厚で上品な甘さが舌を撫でる。
もう一口、今度もゆっくりと味わう。
まだ熱い紅茶を一口。
かすかなオレンジの香りと味が、口に残るチョコレートの味と合わさった。
紅茶はミルクを入れなくてもほんのり甘く、それでいて爽やかなオレンジの味がする。
紅茶のメニューには「当店人気No.1」と書かれていた。
満足してレジへ行くと、レジ前には店で出している紅茶たちが小さな箱で売られていた。
箱には可愛らしくリボンがかけられている。
「こちらティーバッグタイプなのでお使いになりやすいですよ。よかったらプレゼントにいかがですか?」
にっこりと店員の女性が微笑む。
へ〜と言いながら箱をひとつ取り上げる。
内容量:5個
ティーバッグ5個入りか…。たしかにちょうどいい量ではあるかも。
さっき飲んだオレンジティーの箱には果物のオレンジの絵が大きく描かれていた。
「じゃあ、これふたつ。」
オレンジの箱をふたつ手渡す。
「ありがとうございます。お渡し用の袋はおふたつご用意いたしますか?」
店員が左手でピースした。
「いえ、ひとつでいいです。」
「かしこまりました。」
店名が印字された紙袋に、赤と緑のリボンをかけた箱がふたつ入れられた。
家に帰ってすぐにやかんを火にかけた。
窓の外は暗くなり始めていた。
家を出る前に作り置きしていたタッパーは粗熱を取るためにキッチンに置きっぱなしにしていたが、もうすっかり冷めきっている。
蓋をして、冷蔵庫へ入れる。
たまに大きな駅まで行って、大きな百貨店で買い物すると楽しい。
だがその分疲れもする。
ソファの横の小さな紙袋から、緑色のリボンがかかった紅茶の箱を取り出す。
ソファに置いていたコートをハンガーに掛け、シュンシュンと音を立てるやかんの火を止める。
食器棚からお気に入りのアメ色のマグカップを出し、ティーバッグを入れる。
お湯を注ぎ、しばらく蒸らす。
先週の木曜日だったか、
「決算お疲れ様でした。よかったら今月末、飯行きませんか。」
あの約束が社交辞令ではなかったことに少しほっとした。
「ありがとうございます。ぜひ行きましょう。」
「いつが都合良いですか?」
「29日か30日が空いてます。」
「それじゃ29日で。」
斜め前の席に座っているが、話してるところを他の人にからかわれるのも面倒なのでチャットでやり取りをする。
米田さんもきっと同じ考えだろう。
約束が決まるとすぐにシステム手帳の11月29日に「ごはん」とペンで記入した。
3分ほど蒸らしたティーバッグを取り出し、紅茶をすする。
当たり前だが、さっき店で飲んだのと同じ味だ。
かすかに甘い、贅沢な味。
流しの下の収納にチョコレートのクッキーが残っていた気がするが、夕飯前なので我慢する。
窓へ近づき、ほんのり残る夕焼けのオレンジを惜しみながらカーテンを閉めた。
その夜、もうひとつの紅茶の箱を紙袋から取り出した。
赤いリボンに包まれたそれを、手渡し用の綺麗な紙袋に移す。
火曜日には忘れずに持って行かなければ。
テレビを見ながらソファの前のテーブルで、ピンセットを使い手の指のムダ毛を処理する。
天気予報によると明日からの天気は良好だそう。
指の毛というものは、ピンセットで1本ずつ抜くとけっこう痛い。
抜いた後には少し赤くもなる。
少し前に読んだ漫画で、
「指の毛の処理をしているかしていないかでそのデートにかける本気度がわかる」
という旨のセリフがあったことをふと思い出した。
別に、デートではないけれど。
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