【ひとり定食】米田大輔の場合

朝、駅に着くと、ホームのベンチにフラフラと座り込み下を向く女性が目に入った。

女性は鞄のポケットに手を突っ込み、また下を向く。

髪を耳にかけた時に見えた横顔は、会社の同期の飯島さんだった。


どうしてこんなところにいるんだ。

近づいて声をかけ、隣に座った。


「平気。病気じゃないから。」

顔の前で手を振りながら、飯島さんは俺の姉と同じことを言った。

姉も同じように、月に一度酷く体調が悪くなる。

病気じゃなくても腹痛が酷いなら無理することないのに。


女性に月のものについてどうこう聞くことは無粋なので、何も聞かずに、寒いだろうからコートを貸す。

今朝はよく冷えるが、歩いてきて暑いからと嘘をつく。



飯島さんは毎日淡々と働いているような人だ。

あまり人と群れず、俺自身もあまり関わりがない。

とびきりの美人ではないかもしれないが、清潔そうで歳のわりに大人っぽい。

男がいる気配もなく、所謂「おひとりさま」という感じだ。

こんなこと言ったら、セクハラになるだろうが。


この前午後から出社した日に、飯島さんがちょうど弁当を食べ終わるところだった。

飯島さんがいつも最後に食べるのは卵焼きだった。

いや、別にそんな、いつも見てるわけじゃないけど…たまたま昼飯に向かうのが遅くなった時とか、今回みたいに午後から出社した時とかに、たまたま目にしただけだ。

綺麗な黄色の四角を口の中に放り込む彼女をほんの少し、長く見ていた、気がする。


その彼女が今、俺のコートをぎゅっと掴んで小さくなっている姿は、彼女の見てはいけない秘密を見てしまったように俺をソワソワさせた。

わかりやすくはないけれど、彼女の女性らしい部分を初めて目の当たりにしたようで、落ち着かなかった。



やがて飯島さんが体を起こせるくらいに回復し、会社へ向かうことにした。

電車を待つ列の最前に二人で並んだ時に、飯島さんが口を開いた。


「そういえばさ。先週の金曜日の夜、美山さんと歩いてるの見たよ。どっか行ってたの?」

言い終えると、飯島さんは顔をこちらへ向けた。

先ほどより顔色はマシになった。


金曜の夜、美山さんが「奢ってください〜」としつこく言うので、彼女が行きたいと言うスペイン料理の店へ二人で行った。

あの帰りに飯島さんを見かけた気がしたが、気のせいではなかったようだ。


「なんか急に飯誘われたから行っただけ。別に、それだけだけど。てか、飯島さんも決算終わったら飯行こう。」


無意識に、若干早口になっていた。

言い訳しているような台詞。その延長で、意図せず飯に誘ってしまった。


「うん、行こう。」


飯島さんの顔が少し、ゆるんだ気がした。



昼前、オフィスで斜め前の席に座る飯島さんにチャットを送るとすぐに返ってきた。

もう体調は良さそうだ。


「飯、いつ行けそうですか。」


日程は早めに決めたい性格のため、今朝の約束のことについて再びチャットを書き込む。

でもこんなこと送ったら、なんかすげえ楽しみにしてるみたいじゃないか?


どうでもいいことで悩んでいると、飯島さんはゆっくり立ち上がりオフィスを後にした。

チャットを送らないままPCをスリープモードにし、俺も昼飯へと向かった。


エレベーターは地下の社食に向かう人と外に食べに行く人でいっぱいだった。

1階に着き「すみません」と軽く人をかき分けながら小さな箱から出た。

いつもなら同じシステム部の魚崎さんと社食に行くが、魚崎さんは年休を取っていたため、今日は外に食べに行くことにする。


とは言っても、会社の外の店は夜はよく行くものの、昼飯ではほとんど行かない。どこの店が昼間も開いていて安くてうまいのかよく知らない。

仕事終わりには見ないキッチンカーが来ていたり、夜には並ばずに入れる店が長蛇の列を成していたりして、キョロキョロ見回し、どこに決めようか完全に迷っていた。


小さな路地に、飯島さんらしき人が入っていくのが見えた。

今日は弁当じゃないのか。

その路地を覗くと店が3軒ほど並んでおり、客が待っている様子はなかった。

一番奥の定食屋の引き戸をカラカラと開けて何の迷いもなく店内へと入る飯島さん。

リアル孤独のグルメじゃん。

女の人でそういうことできるのって、なんか渋いな。

これもまたセクハラだろうか。


つられて、同じ店に入る。

空いているのはカウンター席だけだったが、何となく飯島さんに気づかれたくなくて一番端の、3つ横の席に静かに座った。


彼女と同じ日替わり定食を注文する。

背筋を伸ばしてスマホ画面をスクロールしている彼女を見て、自分もスマホを取り出す。

いつものニュースアプリを開くと、自分と同じ歳の俳優の結婚報道が出ていた。

俺も、同期の飯島さんも、そういう歳なんだな。


すぐに定食が出てきた。

魚に揚げだし豆腐、豪華だな。


「いただきます。」

向こうで飯島さんは優しく手を合わせた。

またつられて、自分も手を合わせた。


昼間から揚げだし豆腐を食べるのは初めてだった。

大きめにカットした揚げだし豆腐は食べごたえがあり、上にのった大根おろしと出汁と生姜がうまい。

魚にはすだちが添えられていたので絞ると、魚の脂とバッチリ合っていた。

これでワンコインか。かなり良いな。


飯島さんはこういう店、詳しいのかな。

ちらりと目をやると、揚げだし豆腐の出汁を飲み満足そうに息を吐く彼女。

なんて、うまそうに食うんだろう。


かと思うとさっさと会計を済ませ、店を出る飯島さん。

店員がさっと彼女のお盆を片付け布巾でテーブルを拭く。

すぐに、店の前に並んでいたらしい3人組がカウンターを埋めた。


揚げだし豆腐の出汁を一口飲み、フウとため息を吐いた。

口いっぱいに出汁の味とあたたかさが広がった。

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