【ひとり定食・前編】
月曜日は朝から小雨が降っていた。
天気予報によると昼には上がるそうだ。
テレビの中で気象予報士が、指し棒で大きな太陽のマークを関東の上にドラッグしていた。
起きてすぐにいつも通りやかんで湯を沸かし、茶缶の茶葉をお茶パックに入れる。
明日から11月。この土日から本格的に寒い朝が続くようになった。
昨晩、女の大敵である月に一度のアイツがやって来て、寒いし腰は重いし散々だ。
鏡を見ると顔が青白い。
ため息をついて顔を洗い、目元だけメイクする。
スカートの下に色気の全く無い毛糸のパンツを穿く。
美山さんはこんなものきっと穿かないだろう。
3日前の夜、映画を観た帰りに
普段よく飲みに行くという関係でもないのに、あの日はそういう気分だったのだ。
でも隣に美山さんがいたのを見て、遠慮の気持ちよりも先に敗北感のようなものを味わった。
そもそも米田さんとはただの同期で、美山さんのような若くて可愛い子と同じ土俵に立つ気もさらさらない。
それなのに、この気持ちは何なのか。
食欲はないため、お茶をすすってすぐに家を出た。
冷たい風が吹いたので手に持っていたマフラーをすぐに巻いた。
今日に限っては寒さは気候のせいだけではない。
電車に乗り会社へ向かっていると、下腹部に鈍痛が襲いかかる。
座席は空いていないため近くのドアに寄りかかる。
冷や汗が出るほどひどい腹痛だったが、生理なので席を譲ってくださいとも言えず、次の駅でフラフラと降車する。
乗車する何人かがチラリと私を見るのを感じた。
ホームの冷えたベンチに座り込み、お腹に手を当てた。
ベンチがあまりにも冷たいので巻いていたマフラーを座布団のように敷いた。
目の前を人々が忙しなく歩いていく。電車にも次々乗り込む。
私ひとりだけ違う時間が流れているようだった。
鎮痛剤がバッグのポケットに入っている。
すぐそこの自販機で水を買って飲みたいが、立ち上がる気力すらない。
こんなことなら午前は休めばよかったと力なくうなだれた。
そもそも、寒いのに電車を降りたのが間違いだった。身体はどんどん冷えていく。
「飯島さん」
右側から話しかけられた。
見上げると米田さんが立っていた。
先週までは着ていなかったネイビーのコートを着て、黒いネックウォーマーを着けていた。
「顔色わる。」
ホームに滑り込んできた電車の扉が開くと同時に、駅名を告げるアナウンスが流れる。
ここは、米田さんの最寄り駅だった。
「おはよう。ちょっと、体調悪くて…。」
「救急車呼ぶ?」
「そこまでじゃないよ。大丈夫、ありがとう。」
「…これ、今買って一口飲んじゃったけど、よかったら。」
米田さんが差し出したのは蓋がオレンジ色のペットボトルのほうじ茶だった。
私はゆっくり手を差し出した。
「ありがとう。」
隣に米田さんが腰を下ろした。
私はもらったお茶でいそいそと薬を飲む。
駅のホームには私が乗ってきた2本あとの電車が到着していた。
「今日は休んだら?」
米田さんは言いながらこちらを向いた。
「唇、紫っぽい。」
「平気。病気じゃないから。薬も飲んだからしばらくじっとしてれば治るよ。」
「ふーん。」
「私にかまわず会社に行って。」
今のは少し突き放した言い方だったか?
でも、弱っている今の自分の姿を晒しているのが少し恥ずかしかった。
「いや、普通にほっとけないし。」
米田さんはコートを脱ぎだした。かと思うと私の肩に掛けてきた。
「いいよ!悪いよ!今日寒いから、米田くんちゃんと着てて。」
「歩いてる途中で暑くなったんだよ。ほらこれもかぶって。」
ネックウォーマーも頭からかぶせられた。
こんなスマートに女子にものを与えられるなんてすごいな。今までの彼女に叩き込まれたのか、それとももともとそういう気遣いができる人なのか…。
温かい。正直とてもありがたかった。
「ごめん、ありがと。」
「いいよ、全然。休んだらとか言ったけど、もうすぐ決算発表だよな。なかなか休めないよな、飯島さん。」
「そうなの。」
「まだ時間余裕あるから、焦らなくていいし。」
それから米田さんは黙って私の隣に座り、スマホでニュース記事を見ていた。
そのアプリ、私と同じやつだ。
時間が経つにつれて薬が効き、腹痛が少しずつ和らいだ。
15分ほど経っただろうか、前のめりにならなくてもつらくない程度に回復した。
「そろそろ行こうか。」
米田さんのコートを脱ぐ。
「大丈夫?」
「うん、もう大丈夫。コートありがとう。ネックウォーマーも。」
「ん。」
すぐに次の電車が来るようだった。
「そういえば、さ。」
1番のりばに普通電車が参ります。
「先週の金曜日の夜、美山さんと歩いてるの見たよ。」
危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください。
「どっか行ってたの?」
電車の接近音が鳴り出した。
米田さんの方を見る。
「え、うん。」
私はどんな答えを期待しているというの?
付き合っているなら、おめでとうとでも言うのか?
「なんか急に飯誘われたから行っただけ。別に、それだけだけど。」
何でもないことだというように、彼は言った。
「てか、飯島さんも決算終わったら飯行こう。」
ピンポンピンポン、電車の扉が開く音がした。
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