第37話 選択と準備

 老婆は俺の顔をじっと見て言う。


「ナオト、お前には選択肢がある。ひとつはこの世界に留まること、そしてもうひとつはお前の世界に帰ることだ」

「俺は元の世界に帰ることができるのか!?」


 驚きながらも訊き返す俺に、老婆は頷いて答える。


「帰ることができるよ。ただし、そっくりそのまま帰ることはできないんだ」

「どういうことですか?」

「魔法の書は別の世界に移動すると、記されていた魔法のほとんどを失ってしまう。また、魔法は集め直さなくてはいけなくなるんだよ。そして、失うものはそれだけではないんだ」


 老婆は「ここが特に重要だからね」と前置きをして言う。


「お前が元の世界に戻ると、お前にかかっていた翻訳の魔法も失われる。お前がどうにか、こっちの世界に戻ってこれたとしても、言葉は分からなくなってしまうんだよ」

「それは……」


 それはかなり厳しい。言葉が何も分からなくなるということは魔法の書も読めなくなるし、当然マリーたちとも意思疎通が取れなくなる。そのうえ彼女たちと再開できるかも分からない。


「お前はこの世界に残ってもいいし、元の世界に戻ってもいい。世界を移動するならば、それなりに失うものもあるが、故郷というものは恋しいものではないかね?」


 なるほどね。彼女の言うことはよく分かった。なら、俺の選択は決まっている。


「……それなら、俺はこの世界に戻ります」

「そうか。故郷へは戻らなくても良いんだね?」

「少なくとも今は、こっちの世界を気に入ってるし、こっちの世界でやりたいことがあるんです。それに……」


 先の言葉は恥ずかしくて言えなかった。それに、こっちの世界には好きな人がいるのだ。マリーという素敵な女性が。


 老婆は俺をじっと見ていた。やがて彼女は「そうかい」と言って続ける。


「お前の気が変わったら、またここを訪れるといい。私は……この空間に居る限り、死ぬことは無いからね。そういう場所なんだ。ここは」

「分かりました。その時はここに来ます」

「そうするといい」


 老婆は目を閉じた。そして彼女は言う。


「なら、お前たちの用事は終わったね。さよならだ」


 その言葉と共に辺りは真っ暗になり風が吹いた。かと思うと俺たちはパルス王城の前に立っていた。近くで城の衛兵が目を丸くしていた。城には入るときも顔を合わせていた男だ。


「み、皆さんどこから出てきたので!?」

「そりゃ……」


 俺は一瞬考え、正直に答えた。


「ここから城に入って、城から出てきたんですよ」


 エルパルスでの一件を終え、俺は転異魔法でエルドラーベへ戻った。今日も忙しくしていたノワに用事を済ませてきたことを伝え、それから数日は温泉巡りをしたり遺跡を観光したりということに時間を使った。


 遺跡を観光して新たなまほうを 手に入れたのだが『右手に持っている物を左手に移動させる魔法』だとか『物質を手がすり抜けられるようになる魔法』だとか、いまいち使いどころに困るものばかりだった。いや、後者の魔法は鞄とかもすり抜けられたし物を盗むのとかには便利だろうが……人の物を盗ろうとか思わんしな。


 そんな魔法の使い方に困って魔法の達人であるマリーに「何か良い使い方はないものか」と新しく手に入れた魔法について訊いてみると。


「物質をすり抜ける魔法なら、相手の体に手を潜らせて心臓を掴んだりも出来そうですわ」とか割とドン引きものの答えが返ってきたりした。そんなグロい魔法の使い方はできてもしたくはないなあ。


 そんな感じで数日が経ち、ノワの仕事も一段落がついた。驚くべきことに彼女はギルドの商人としての仕事を終えてすぐに、俺のやりたいことを手伝ってくれた。店を開くために良い場所を一日で調べてくれたのだ。


 エルドラーベの宿で、彼女からの調査報告を聞き、そろそろ店を開くために動く時ではないかと提案される。


「ナオトさま。酒場を開くのに良い場所を見つけました。その点も踏まえ、そろそろ王に酒場を開きたいことを相談してみてはどうでしょう?」

「そうだな。手紙を出すか」

「あなたが任せてくれるなら、私から手紙を出しても構いませんか?」

「ああ、任せる」


 王様への手紙とかどう書いたら良いか分らんからな。何が不敬になるか分からないし、そうなった場合は俺の首が飛ぶ可能性もある。ここは交渉ごとに長けていそうなノワに任せるとしよう。


「王様は俺が酒場を始めることを許可してくれるかな?」

「許可してくれますよ。あの方はあなたに何でも望むものをやると、兵たちの前で言ったのです。約束は守るはずです」

「そうか。うん、そうだな」


 それからの数日間、俺はノワに店を始めるうえで最低限理解しておくべきことを叩き込まれた。何日も朝から晩まで色々なことを教えられたが、それでもノワからすると必要な勉強は足りていないらしい。店を開くまで日々勉強するよう彼女に言われた。というか、店を開いてからも商人は日々勉強をしなければならないのだと彼女は熱く語っていた。


 俺とノワが宿で勉強の日々を過ごす間、マリーは街の冒険者ギルドで仕事をとっては出かけていた。彼女は宿にずっとこもりっぱなしというのは性に会わないらしく、それは俺も同じだった。だからたまに露店を出してはマリーに手伝ってもらったり、彼女とデートしたりもした。


 そうこうしているうちにアルド王からの手紙が届いた。酒場を開いても良いということだ。ノワが見つけてくれていた空き店舗をそのまま利用する許可も下りた。開店のために多少は店内を改装する必要があるものの、店を開くための準備が順調に進んでいる感じがする。


 今日もノワに店を開くために必要なことを教わっていた。開店は秋を目標にしている。


「店内の改装はドワーフの職人たちにやってもらうとして、私たちは酒場に必要な人員を揃えなければなりません」

「そうだな。それでなんだが、一人、酒場にスカウトしたい人物が居るんだ」

「雇いたい人物……ですか?」

「ああ……まだポテトヘッド村に残ってると良いんだが」


 俺の言葉を聞いてノワは「なるほど」と言った。彼女は俺が今スカウトしたいと言った人物にピンと来たらしい。


「善は急げですよ。早速行くべきです」

「分かった。それじゃあちょっと、行ってくる」


 俺は魔法の書を開き、転異魔法を発動した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る