第80話 夢遊病

 気がつくと、望は視影を歩いていた。隣には万里子がいて、手を握られていた。


「どうして……」

 望はぼんやりと周囲の荒れ果てた景色を眺めた。

 万里子と一緒に学校を出て、ここまで自転車を走らせてきた記憶がある。しかしそれを、自分の意思で行ったように感じられない。まるで誰かに操られていたような――。


「楽しいね、望くん」

 万里子が微笑みかけてくる。

「こんなふうに望くんと視影を歩けるようになって、わたし嬉しい。ずっと思っていたの、いつかまた恋人と一緒にここを散歩したいって。昔もね、彼とよく並んで歩いたんだ。彼と会うのは夜中になることが多かったけど、楽しかったな」


「恋人ねえ……」

 望はうんざりした顔で相槌を打った。向こうは都合よく勘違いしているようだが、自分は万里子を恋人と思ったことなどない。


 万里子は望の表情の変化を、違う意味で捉えたようだ。

「あ、もしかして昔の彼の話題とか嫌? 嫉妬しちゃう?」


 望は無言で肩をすくめる。なんだかすごく疲れた。声を発するのが億劫だ。


「あんな男なんかより望くんのほうが断然いいよ。やさしいし」

 万里子はそこで、憎々しげに顔を歪ませた。

「あの男は嘘つきで薄情だった。わたしとの交際を周囲に隠して、いつも夜中にこそこそと会うばかり。それでもね、わたしは嬉しかったんだよ。いつか正式に婚約を交わそうっていうあの男の言葉を信じていたからね。それなのに、あの男は他の女と婚約していた。よりによって地主の娘なんかと。あんな性悪女のどこが良かったんだろう……」


「は? 何? 意味わかんねえんだけど」

 薄気味悪くなって、望は万里子の手を振りほどいた。正気とは思えなかった。この子は、さっきから一体なんの話をしているのだろう。

 反射的に疑問を口走る。

「あんた、誰だよ。曽根ちゃんじゃないのか?」


「誰って――」

 万里子の顔をした女が首を傾げる。

「恵津子だよ」


「エツコ……」

 望は声を震わせた。どこかで聞いた覚えがある気がするが、いつ誰から聞いたものなのか。

 思い出そうとすると、こめかみの辺りがずきりと痛んだ。

 今の話自体には、既視感があった。奥野から聞いたのだったか。かつて巫女の珠代が鎮めようとした魂。信じていた男に裏切られ、実の弟に毒を盛られ、強い憎しみを抱きながら山深くに消えたという娘の話。

 そうだ、確かその娘がエツコという名前だった。

「なんであんたが……」


「万里子ちゃん、いつもひとりでここへ来て泣いてた。虐げられるばっかりで、可哀想な子だったのよ。この世から消えたがってた。だからわたし、代わってあげることにしたの。あの子も辛い現実から逃げられて、わたしに感謝しているんじゃないかな?」


「……曽根ちゃんはどこに?」

 望の問いかけに、恵津子は無言で微笑んだ。

「一体いつから……」


「最初は代わったり戻ったりの繰り返しだったよ。完全に入れ替わったのは、望くんたちがあの巫女の骨を見つけてからかな」

 恵津子は今度、挑発的に望の顔を覗きこんだ。泳ぐ魚のような滑らかさで、ぐるぐると望の周りを歩く。

「あれも一応巫女だったからね、亡くなってからもわたしを山に封じこめておけるくらいの力はあったのよ。だからわたし、なかなか出られなかった。でも思った通り、望くんたちがわたしとあの巫女とを間違えてくれたから、助かっちゃったよ。ずっと目障りだった巫女の骨を片付けてくれて、ありがとう。お陰でわたしは、こうして自由になれたよ」


「間違えた……?」

 どういうことだ。珠代を供養してはいけなかったのか。

「あんた、なんなんだよ!」

 ほとんど悲鳴に近い声で、望は叫んだ。


「あれえ? 悲しいな。まだわからないの? 確かに最初に会ったときとはだいぶ見た目変わっちゃったけど」

 恵津子が正面に回りこんできた。かかとを上げ、ぐいと顔を近づけてくる。

「最初に会ったときから、望くんのことだけは気に入ってたんだ。他の奴らはわたしを蹴ったり、バケモノと罵ったりしたけど、望くんはそんなことしなかった。あの穴倉の中で、他の奴らから暴力振るわれていたわたしを、可哀想だろうって庇ってくれた。わたしはね、やさしい人が大好きなんだ」


「うわあぁ……!」

 情けない声をもらし、望は尻もちをついた。その体勢のまま後ずさる。凍り付いた顔で、相手を見上げた。

「あんた、四年前の……」

 バケモノだったのか。

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