第79話 ぐるぐる

 九月最初の登校日、圭太は傘を持って家を出た。

 朝からぎらぎらと太陽が照り付け、少し歩いただけで汗がにじんだ。


 始業式を終え、提出物を済ませると、下校になった。

 空いている祥吾の席を一瞥して、教室を出る。明充を迎えに、隣のクラスを覗いた。

 圭太を見つけると、明充はすいすいと車椅子を走らせ、近づいてきた。夏休みの間に操作に慣れるよう、練習したのだという。

「朝は先生たちが教室まで運んでくれるし、トイレのほうも夏休み中に工事入れてくれたんだ。今日の感じだと、問題なく登校できそうで良かったよ」


 階段に差しかかると、声もかけないうちから明充のクラスメイトがやって来て、車椅子を持ち上げた。

「ありがとう」と言った明充の顔は、晴れ晴れとしていた。


 二人は一階まで下り、中庭に移動した。

 資料室の窓に面したところで止まり、圭太は持ってきた傘を開いた。父が使っている、黒色の大きな傘だ。明充に手渡した。


「俺は、ここにいるだけでいいのか?」

 傘を差した明充が尋ねる。


「うん。ごめん、暑いけどちょっとだけ付き合って」


 明充をその場に残し、圭太は旧校舎へ入った。

 一階から見ていく勇気がなくて、まずは三階に上る。それから各教室を巡って、中庭で傘を差す明充を窓から確認していった。三階から二階へ移り、同じことを繰り返す。

 そして、一階に下りた。

 空き教室やトイレなど、順に確認していく。どの窓からも、木が邪魔をして明充の顔を隠してしまう。

 最後に調理室の窓に近づいた。そこからは、明充の顔がしっかりと確認できた。

 明充は退屈そうに、開いた傘を回していた。




 ■ ■ ■




 回転する黒い傘を、望は二階の渡り廊下から見下ろしていた。

「明充、あんなところで何やってるんだ?」


 先程、圭太が明充に傘を渡して、旧校舎に引っこんでいくところを見た。残された明充は、そのまま中庭から動かない。しかし何か目的があってとどまっているようにも思えなかった。


「検証しているんじゃないかな」

 隣で、万里子が言った。


「検証?」と首を傾げた望を無視して、万里子は面白そうに口角を上げる。

「圭太くんも、やっと自分が何を奪われたのか認める気になったみたいだね」


「え?」

 奪われたって、一体どういう意味で言っているのだろう。

 呪いのことか? と一瞬思うが、すぐに違うと望は判断した。思わせぶりな発言でこちらの気を引こうとするのが万里子のやり口だ。第一、これまでに呪いに関する話を万里子にした覚えはない。

 珠代を供養し、呪いは解いた。現在も自分には何も変化が起きていない。他のみんなも同じはずだ。

 呪いは終わっている。


「そろそろ帰ろうか、望くん」

 そう言われるだろうと、さっきから身構えていた。万里子は自分と行動を共にするのを、最早当たり前だと捉えている。

 今日こそはっきり伝えなければ。

「ごめん、俺友達と帰るわ」


「なんで? 約束でもしてたの?」

「約束はしてないけど……ほら、久しぶりに顔合わせたんだし、色々話もしたいじゃん?」

「話なら、わたしとすればいいよ。ね? いっぱいおしゃべりしよう?」

「いや、そうじゃなくてさあ……」


 望は頭を掻いた。どうしたら万里子にわかってもらえるだろう。

 どうしたら、自分への執着をやめてもらえるだろう。

 夏休み中、万里子は昼も夜も関係なく連絡を寄こしてきた。その頻度は、異常ともいえた。「会いたい」と繰り返し、望の行くところには必ずついて来た。少しでも望が断る素振りを見せると、泣いて暴れた。「わたしを嫌いなら、はっきりそう言っていいよ。わたし、望くんに嫌われたら死ぬからね」と言われては、望も慎重になるしかなかった。

 新学期からは、少しずつ万里子と距離を置いていこう。望はそう心に決めていた。


「二人で帰らないとだめなんだよ、望くん」

「ごめん、今日はひとりで帰って」

「ううん、だめ。一緒に帰ろうよ……視影に」

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