第16話 毒母

「隆平? 何をぼうっとしているの? こっちに来て一緒にお茶飲みましょう」

 いつの間にか、母がリビングに戻って来ていた。


 隆平は慌ててダイニングテーブルに着いた。

「いただきます」

 そろそろとティーカップを口に運ぶ。


「集中力を高める働きのあるお茶なのよ」

 訊いてもいないのに、母は解説した。

「これで勉強もより捗るわね」


「う、うん……そうだね」

 隆平はぎこちなく笑みを浮かべた。


 母の口から出るのは、勉強の進み具合や高校受験に関することばかりだ。

 隆平の中学入学を機に家に戻って来た母は、息子に対し異常な干渉をするようになった。


 隆平は母から、部活動や友達付き合いを禁止された。学校が終わると真っすぐ帰宅し、勉強するだけの日々。「田舎の学校教育なんて程度が知れてるわ。塾も家庭教師もだめね」というのが母の見解だった。そうしてたくさんの学習教材を取り寄せては、息子に強いた。自分が吟味した教材で勉強させるほうが何より息子のためになると、母は強く信じているようだった。


「隆平には、絶対に東京の高校に合格してもらいますからね。母さんの母校よ」

 何かにつけて、母は口にする。息子の進学先が東京の学校となれば、この家を捨てる口実が持てる。そうして自分たちはまた東京で暮らせる。母はそう期待しているのだった。

「隆平はこんな中途半端な田舎で終わっていい人間なんかじゃないの。母さん信じてるわ。こんなところ、さっさと出て行きましょうね」


 隆平も父も、長年住んだこの地に愛着がある。だが母にしてみれば、ここは蔑むべき場所なのだった。


「道を歩けば、そこら中で年寄りたちがひそひそ噂話。まったく何が楽しいんだか。あの人たちは人の陰口を言うことと、他人の家の洗濯物を観察することしか生きがいがないんだわ。本当、嫌な町ね」


 母の前で、絶対に弱みを見せてはけない。

 以前から隆平はそう考え、実行してきた。悩んだり迷ったりする姿を見せれば、母につけこまれる。通っている中学さえも信用しておらず、母が自分を家に縛り付けたがっていることに、隆平は早くから勘づいていた。だから母の前では、常に気を張って過ごした。


 だが、バケモノの姿を目にしては、動揺を隠せなかった。

 初めてバケモノが現れた翌日、隆平はショックで寝こんだ。母の待ちわびたときが訪れたのだった。弱っているところへつけこみ、母は息子を学校から遠ざけるのに成功した。常々、授業を受けている時間が無駄だと考えていた。家で勉強させたほうが、息子に質のいいものを与えられるはずだ。

 こうして隆平は現在、母の手によって軟禁状態にある。


「さっき隆平のお友達だという子たちが訪ねて来たんだけど、帰ってもらったわ」

 お茶を飲みながら、母はついでのように言った。

「八幡くんと宮本くん。名札にそう記してあった。隆平、本当にお友達なの?」


「うん、友達だよ」


「そう……」

 母は残念そうに目を伏せた。

「とっても非常識な子たちだったわ。隆平、付き合うお友達はきちんと選ばないとだめよ」


 二人の自宅の電話番号を教えなさいと言われ、隆平は驚く。

「なんで?」


「今日のことをお伝えしないと。今後、あの子たちが非常識な行動を起こさないように、ご両親のほうから注意してもらうのよ。隆平にも関わらないよう釘を刺しておかないとね」

「そんな、やめてよそんなこと言うの」

「あら、どうして?」


「じゃあ訊くけど、母さんは二人の何がいけないと思うの?」

 隆平はおそるおそる尋ねた。

「圭太は昔からよく僕を気にかけてくれて、遊びに誘ってくれたりみんなの輪に入れてくれたり、すごく親切なんだ。祥吾は落ち着いていて、頭がいい。成績なんて毎回学年一位だよ。ねえ、二人と付き合っちゃいけない理由なんてないよね?」


「あの子たちはね、きっとご家庭できちんとした教育を受けてこなかったのだと思うの。だってこんな時間に約束もなく家まで押しかけて来たのよ」

「こんな時間っていうけどさ、まだ七時半だよ。二人は僕を心配してわざわざ来てくれたのに、そんな言い方しなくてもいいんじゃない?」


 隆平はむっとした顔で問いかけた。すると母は同情的な眼差しを向け、

「隆平はあの二人に毒されているのね、可哀想に」

 深くため息をついた。


「違うよ。毒されてなんかないよ。二人は友達だもん」

 隆平はめげずに続ける。


「わかったわ、隆平は二人に何か弱みでも握られているのね」

「まさか。ねえ、おかしなこと言うのやめてよ母さん」

「本当、可哀想にねえ。だけど大丈夫よ、母さんがなんとかしてあげるからね。母さん、隆平のためならなんだってしてあげられるんだから」


 隆平は強く唇を噛んだ。どうしてこの人は、話を聞いてくれないのだろう。

 互いに言葉を発しているのに、会話が成立しない。母には最初から、自分の話を聞く気がないのだ。そのくせ何もかもわかった顔で、恩着せがましい物言いをする。


「僕のためだとか言って、本当は全部自分のためだよね? 母さんは自分の希望を叶えるために、僕を利用しているんだよ。僕を東京の学校に進学させるのだって、自分がこの家を捨てたいからでしょ?」

 本心をズバリ突いてやったつもりだった。勢いにのって、隆平は宣言した。

「僕は東京の高校になんか行かない」

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