第12話 四年前(九)

「え?」

「大声を出すな」


 明充がひそひそと言い、その横で祥吾が無言のまま顎を引く。


「あのバケモノ、目が悪いみたいなんだ。音で判断して追って来るんだよ。だから大声出すと居場所がバレるぞ」


 圭太は、自分がバケモノから見逃された理由を理解した。

 恐怖で身じろぎもできず、声を殺していたのが幸いした。眼前に迫っていたバケモノは、圭太が物音を立てなかったため、居場所を探ることができなかった。それで諦めて、圭太から離れていったのだ。


 圭太は忍び足で二人に近づいた。合流できたところで、

「他のみんなは?」

 声を抑え尋ねる。


「望と哲朗は、とっくに逃げて視影を出てるんじゃねえか」

 明充が苦々しく言った。

 二人は穴倉の中で腰を抜かし動けずにいた明充を、見捨てて逃げたのだ。


「あいつらのことなんか心配しなくていいだろ。それより隆平だよ」

「隆平いないの?」


 圭太の頭に、隆平の丸っこい背中が浮かぶ。林の中を駆けていく後ろ姿。隆平の走りは遅い。しかしあのとき、バケモノの標的は圭太のほうだった。


(俺が狙われている間に、隆平はうまく逃げ帰ってくれたと思ったんだけどな……)


 祥吾が暗い顔で首を振る。

「さっき神社のほう確認して来たけど、颯太しかいなかった」


「颯太は?」

「大丈夫。日陰でおとなしくしてるよ。色々訊かれたけど、バケモノのことは内緒にしておいた。怖がらせたくないから」

「そっか、ありがとう」


「隆平、まだ林の奥にいるのかな」

 明充が木々の隙間に目を凝らす。


 隆平の名を呼びたかったが、声を張り上げれば、寄ってくるのはバケモノのほうだろう。

 三人はじっと、隆平が現れるのを待った。他に何もできず、ただ時間だけが流れる。風の匂いで、日の傾きを感じた。


「そろそろ俺たちも戻ってみる? きっと隆平は、望たちと一緒に帰ったんだよ」

 圭太は提案した。

「颯太も具合悪いから、早く家に帰らせないとだしさ」と弱々しく付け足す。


 明充がじろりと睨みをきかせた。

「戻りたいなら圭太だけ戻れよ」


「え? でも……」


「颯太が心配なんだろう。そういう理由なら納得できるし」

 明充は祥吾にも目を向け、

「いいよ、帰っても。俺はひとりでも隆平を待つぞ。絶対見捨てたりしない」


 明充の覚悟の裏には、自分を置いて逃げた望と哲朗の姿があるのかもしれない。圭太は思った。

(あの二人と同類になりたくなくて、明充は意地を張っているんだ……)


 圭太と祥吾は、どうしたものかと顔を見合わせ、ため息をついた。

 自分たちだって、隆平が心配だ。だけどどこかで見切りをつけなければ、また危険が迫って来るかもしれない。バケモノに察知されていないだけで、今いる場所も安全とは言いきれないのだから。


「もう少しだけ隆平を待つよ」

 肩をすくめ、祥吾は答えた。圭太もしぶしぶ同意する。

「そうだな」

 再び林の奥へと目をやった。


 どこからかかすかに、草を踏み分ける音がした。そして――、

「助けて……」

 隆平の声だ。


 三人は耳を澄ませた。足音が近づき、草の影から隆平が飛び出て来た。全身に汗を滴らせ、必死の形相だ。そのすぐ後ろに、バケモノの姿があった。


「隆平!」

 咄嗟に圭太は叫んだ。直後、祥吾に手で口を塞がれた。


 隆平は何かに足をとられたのか、地面に倒れた。

「やだ、放して……」

 うつぶせの状態で、じたばたと身をよじりはじめる。

「放せよ、バケモノめ!」


 倒れた隆平の足には、バケモノがしがみついていた。

 隆平がパニックを起こす。


「放せ、放せ! 放してよ、やだ、お願いやめて、放して、ごめんなさい、放して……」

 泣きじゃくりながら、懇願する。

 隆平の体が引きずられはじめた。

 バケモノが隆平を連れて行こうとしている。

 地面に爪を立て、隆平は抵抗する。だがバケモノの力には敵わない。


「助けて……!」

 三人が見ている前で、隆平は薮の中へと引きずりこまれていった。

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