第5話 四年前(二)

 哲朗の問いかけに、妙な沈黙が流れた。

 哲朗は試すような顔で、明充を見据えている。この中で一番発言力のある明充を落とすことができれば、残りを従わせるのは容易いと踏んでいるのだ。


「怖いんじゃしょうがないね。視影に入ると祟りに遭うって噂だしね。親とかも視影には近づくなって言うし。もし視影に行ったことがバレたらさ、絶対怒られるじゃん? やっぱ母ちゃんは怖いよな、明充?」


 明充は、簡単に挑発に乗った。

「別に怖くねえし。いいよ、行こうぜ視影。今から」

 そうして圭太たちを見やり、

「な? お前らも行くよな?」


 明充に睨まれ、圭太は弱々しくうなずいた。本心では、視影に近づきたくなかった。


 川向こうにある、地図で見るとちょうど二等辺三角形をした地区を、視影と呼ぶ。

 圭太たちの住むS町と隣のK市とは川で区切られており、普通に考えれば視影はK市ということになる。だが実際、視影はS町のほうに属していた。以前に行われた川の整備工事で視影は地図上、S町から分断される形となったのだ。現在では、K市民は視影がS町に含まれると認識し、一方S町民の多くは視影をK市に含まれるものと思いこんでいる。

 この構図から、どちらも視影を自分たちの領分と考えたくないことが読み取れた。

 視影は昔から、忌み地として嫌悪されてきた地区だ。

 大人たち、特に年寄りは視影と聞いただけで眉をひそめる。


 祖父がまだ生きていた頃、圭太は視影について尋ねたことがあった。どうしてあのような扱われ方をされるようになったのか気になっていた。

 祖父は「子どもはそんなこと知らなくていい! とにかくあそこには絶対近づくな!」と圭太を一喝し、詳細を語らなかった。だがあるとき、酒に酔って口を滑らせた。


 かつて視影一帯を取り仕切っていた地主一家とその親族が、立て続けに不審な死を遂げた。地主一家の不幸を皮切りに、視影住民の間にも死が拡がった。多くの者が急な病や事故で命を落とした。その異常な死者数に、視影の周辺住民は不安を募らせた。視影に伝染病が広がっているのではないか、あの土地は呪われているんじゃないかと噂が立った。

 人々は、視影住民との接触を避けるようになった。


 その頃、まだ子どもだった祖父は、視影住民の子を仲間外れにしたり、時には集団でいじめたりしたそうだ。

 この状況に耐えきれなくなった視影住民は次々と土地を離れていった。やがて視影は無人となった。

 打ち捨てられ、嫌悪され、恐れられた土地。それが視影だ。

 そんなところへ、誰がわざわざ行きたいと思うだろう。


「ねえ本当に行くの? 僕、怖いよ」

 今にも泣き出しそうな顔で、颯太がしがみついてくる。圭太はやさしく弟の頭を撫でた。

「わかった。じゃあ颯太だけ先に家帰ってろよ」


「兄ちゃんは? 行くの?」

「行く、と、思う……」

「行かないほうがいいよ。危ないよ。後で絶対怒られる」

「うん……」


 圭太ははちらりと明充の横顔を窺った。すっかりその気になってしまった明充に、やっぱり行きたくないなどとは言い出しにくい。つまらない奴だと思われ、次から遊びに誘ってもらえなくなるかもしれない。


 圭太は密かにため息をついた。

「それでも行くよ、俺」


「じ、じゃあ、僕も行く」

「颯太、怖いんじゃないの?」

「平気だよ。だって何かあったら兄ちゃんが僕を守ってくれるでしょ?」

「なんだよ、調子がいい奴だな」


 弟の可愛らしい上目遣いに、圭太の心はいくらか和んだ。


「よし。さっさと行こうぜ」

 明充がペダルを踏みこみ、その後に望が続く。

 一同は視影に向かって自転車を走らせた。



 

 橋の向こうには、林が広がっている。視影への侵入を阻むかのように生い茂った木々を見て、圭太の足は重くなった。遠目からでも、一帯の不気味さが感じられた。

 住民から見放され、長い間放置された土地からは、淀んだ空気が漂ってくる。今もまだ、死の匂いが染みついている気がする。

 自然と、圭太の呼吸は浅いものになった。


 橋を渡り、川沿いを走った。途中、向こうからひとりの老女が歩いてきた。名前はわからない。けれど登下校中によく見かけるので、顔に覚えがあった。

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