第35話 魔法の練習

「我にあだなす者の手をしばりたまえクラムジーハンド」


 アッシュが呪文を唱えると、私の手から剣が滑り落ちそうになる。

 しかし、指先に神経を集中させればすぐに落下は防げた。若干痺れているような感覚はあるものの、剣を振れないほどではない。


「ああっ、また失敗か。これ結構難しいよ」


 アッシュが残念そうな声を上げた。


 昨日宿屋で休息をとった我々は、魔法の効果、運用法などを確認すべく迷宮におもむいたのだ。

 今いるのは出口の近く。行き止まりになっている場所だ。

 ここは人がほとんど来ないため、魔法の訓練には適している。


「体は動かしてないんだけど、凄く疲れる」 


 どうやら魔法は心身ともに負担をかけるみたいだ。

 しかも、扱いが案外難しいらしい。

 ただ呪文を唱えるだけでは駄目で、標的をしっかりととらえていなければいけない。

 魔法屋の店主ラノーラが言っていたが、魔法にどのような作用があり、どう影響を与えるかを思い浮かべるのが大事なのだろう。

 また、標的の動きも妨げになるようだった。

 私が激しく動けば動くほど、魔法は効果を示さなかった。

 

 けっきょく剣や弓などと同じで、何度も使って体に覚えさせていくしかなさそうだ。

 現状では複数相手に効果を作用させるどころか、移動すら覚束おぼつかない。

 相手も自分もその場から動かずにいればやっとといったところだ。


「アッシュ、少し休もう」

「うん、そうだね」

 

 こうして何度か休憩を取りつつ、出来ること、出来ないことを探っていった。



――――――



「けっほう、はいへんだよ。ひゅうひゅうがふづかない」


 串焼きを頬張りながらアッシュが話す。集中が続かないって言ってんのか? 口の中のもんを飲み込んでから話せ。

 アッシュに注意を促すが、そんなことなどどこ吹く風か、彼は更に肉を口に詰め込んだ。


「あんはりへてないときみはいに、ぼーっとふる」


 なんだって? あんまり寝てないときみたいに?

 やれやれ。溜息をついてエールを流し込んだ。


 今は宿屋の食堂で魔法の効果を振り返っているところだ。

 今回、試してみて色々分かった。

 まず魔法をかける相手をしっかりと認識していなければならないこと。これは必ずしも姿が見えていなければならないわけではない。

 例えば大きな荷物、その後ろに身を隠した場合、姿は見えずともそこにいるのが確実で、魔法がどのような効果を現すかを明確に想像出来れば、魔法は効果を発揮したのだ。

 むろん実際に姿が見えている時より成功率は格段に落ちたが、それでもこの事実は大きいだろう。

 次に私が通路の先に身を隠した場合、全く効果を現さなかった。

 その場にいると確信できないためだ。そのまま私は立ち去ることもできたから。


 そして、魔法をかけられても多少なりともあらがえることも分かった。

 効果が完全に現れてしまっては遅いが、違和感を自覚した瞬間、意識を集中する。例えばこの手は自分のものである、いつも通り動かすことが出来る、などと強く念じると、効き目がないあるいは、うすれるようだった。


 使う側が未熟であるのも要因だろうが、精神力により魔法に抗える可能性があるのがわかっただけでも十分な収穫であろう。


「訓練あるのみだな。アッシュ」


 技術の面でも、気持ちの面でもな。


「アニキの動きが速すぎるんだ。目が追いつかないよ」


 しかし、アッシュは泣き言をいう。

 だめだ、それを出来るようにするんだよ。

 実践ではさらに、こちらの命を狙っているという緊張感が加わる。

 この程度こなせないようでは、とても実践で使えるもんか。


「敵は待ってくれないぞ」

「そうはいってもさ」


 次第に声が小さくなるアッシュ。自分でもこのままではいけないと思っているのだろう。

 大丈夫だ。こちらも、いきなり使いこなせるとは思っていない。創意工夫しながら着実に一歩ずつ進めば良いのだ。


 それに今の状況は、私にとって有り難い面もある。

 魔法を使う者にとって何が嫌か良く分かるのだ。これは大きい。


 これからも魔法を使う敵と遭遇するだろう。

 そのとき、今の経験が生きるはずだ。


「アッシュ。実戦で試してみるか?」

「え?」


 少し早いかも知れないが、実践でしか分からないこともある。

 習うより慣れよだ。

 さいわい、味方を巻き込んで大惨事になるような魔法ではないからな。


 ――などと話していると何やら言い争う声が聞こえてきた。

 テーブルを囲むひとつのグループ。

 一人は女で、四人が男。見た目から迷宮へもぐる仲間内のモメごとだと分かる。


「どういう事よ必要ないって!」

「そうは言ってない。君はうちには向いてないのではないかと……」


 女の方は十代後半。邪魔にならぬように短く整えた黒髪に、とおった鼻筋。

 美人と言っても差し支えない顔だちではあるが、眼つきは鋭く近寄り難い印象をあたえる。


「同じじゃない」

「いや、君を責めてるんじゃない。単に相性の問題だよ」


 いっぽう男の方は二十代後半だろうか、逆立つほど短く刈った髪に、うすいあごひげ。

 体つきは荒事専門のそれだが、話し方は落ち着いており、知性を感じさせる。

 

 女は見たところ冷静さを欠いており、荒い口調で責め立てるが、男は淡々と受け流している。


「もういい!」

 

 やがて、女はひと際大きな声を出すと、テーブルを力強く叩き立ち上がった。そしてドスドスと、怒っていますとの主張を響かせながら歩き、部屋の隅っこの席へと移っていった。


「ふはは、頭にヤカン乗せたら湯、沸きそう」


 アッシュが小声で私に言う。

 他人ごとだと思ってか、じつに楽しそうだ。


 私は残された四人組を見てみる。すると彼らは肩をすくめたり、首を左右に振るばかりで、女に味方する者はいないようだ。

 会話の内容から察するに、集団を抜けてもらう話でもしていたのであろう。


 不憫ではあるが、みな命がかかっているからな。

 合わない者同士、無理にくっつく必要は無い。


 なるほど。これはチャンスかもな。

 少しばかり探りを入れてみるか。


「アッシュ、私は四人組の方と話してくる。お前は女に飲み物でもおごってこい」


 その言葉を聞いてアッシュは明らかに狼狽ろうばいしていた。


「ちょ……」

「頼んだぞ」


 私は席を立つと、ポンとアッシュの肩に手を置く。

 ふふ、因果応報。他人を笑っていると、いずれ自分へ返ってくるものなのさ。

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